第18話

馬が嫌い。-18


今日も大忙し。寄り合い場ではパンを焼いた側から売り切れていく。忙しい事は良い事だ。時間があっという間に過ぎる。

昼過ぎには今日の分が全部売り切れた。片付けをしてカフェに戻ろうとした時、野菜を出荷しに来た大和さんがバックヤードから声をかけてきた。


「ウラ君、お疲れさん」


「大和さん、お疲れ様です!」


「ちょっとさ、梨瀬さんに話す前に聞いておきたい事があんだ。作業が終わってから、少しいいか?」


「もう終わりましたから、大丈夫です。何でしょうか?」


大和さんに手招きされ、バックヤードに移動する。何だろう?真剣な顔だ。


「前にさ、駐車場で君に声をかけてきた夫婦がいたろ?名刺にはSってなってる。コイツらと前に何かあったんか?」


そう言って見せてきた、クシャクシャの名刺。握り潰した後に捨てようとしたが、何かあった時の為にとっておいたそうだ。


「……前に勤めていた店で、ちょっと。僕に近寄らない約束になっているんですが……何かありましたか?」


「そうか。やっぱりな。あの野郎、お前の悪口をペラペラと客や業者に話してっぞ。恩を仇で返した屑だって」


「え…?」


僕は一瞬で身が凍った。僕は縁が切れたと思ったのに。


「そいつの店に行った友達から聞いたんだ。んで、裏を取る為に俺も行ってみた。少し身綺麗にしてな。俺が誰だかわからなかったようだぜ。こっちから聞いてもないのに、暇なのかベラベラと話しかけてきてよ。この味はカリソンにいる弟分が盗んでいった、カリソンの経営者は泥棒だ。妻の姉がスタッフとしてカリソンで働いていたが、梨瀬にパワハラされて辞めた。嫁は妊娠したら仕事も家事もしなくなってハズレだった。ああ、彼女の方が具合が良いとかも言ってたな。


くだらねぇよ。聞く人によっては楽しいのかもしれないけどさ。俺は嫌になって直ぐ帰った。味もイマイチだったしな」


そう言うと、大和さんは携帯を取り出す。


「撮ってきたぜ〜。話す顔もバッチリな」


「……」


「俺も証言するからよ。カリソンを守れ」


「守る?」


「そうだ。ほっとくと風評被害で潰れんぞ。取引業者からは、厄介ごとに巻き込まれなくないと取引してもらえなくなる。梨瀬さんだけでなくスタッフも家族も知らない人達から攻撃を受けて、住んでいられなくなる」


「そんな。僕のせいで…」


僕の足は震えた。大和さんが腕を掴んでいてくれなかったら、僕は倒れていただろう。


「大丈夫か?そうなる前に守れ。

ああいう奴は調子に乗ると言動に拍車がかかる。反論されたら、悪気は無いで済まそうとする。だから、直ぐ対処すべきだ。そうじゃねぇか?ま、既に事は起きてっけどさ」


「ぼ、僕。僕、そうだ!辞めます。店を辞めます。ご迷惑をおかけして、すみませんでした」


「おいおい。俺に言ってどうすんだ。先ずは、梨瀬さんの所に行こう」


カフェまで歩いて行こうとしたら、大和さんの車に乗せられる。放っておける状態じゃないと言われた。そんな真っ青な顔をして、道に出て引かれても知らねえぞと叱られた。また迷惑をかけている。でも、正直、助かった。自分でも辿り着ける気がしなかった。


大和さんを見れば、僕を心配そうに覗き込んでいる。


「大丈夫か?」


「ダメみたいです」


僕の苦笑いに大和さんは少し顔が緩み、冗談が言えるなら大丈夫だなと車を発進させた。


乗馬クラブの駐車場に車が停まり、ここで休んでいるように言われる。梨瀬さんと話してくると車から降りて行った。


心が落ち着かない。ザワザワと波打つ。不安が押し寄せてきて、足元が掬われる。僕が砂の人形のように引き波により崩れていく。そうか。僕が生きているから他人に迷惑がかかる。僕が消えれば良いんだ。

退職届を出して、僕を知る人の居ない遠くに引っ越して。琢磨には今までの感謝をメッセージしておこう。今、どこを旅しているんだろうな。僕は自分探しではなく、自分消しをしないと。存在を消さないと。消えたい。


ああ、馬を好きになれない自分を消せば、馬が嫌いじゃなくなるかな?僕も、光る馬のように地を自分の足で走れるかな?


「ウラ君。大丈夫か?」


トントンと外から窓を叩かれて、ハッと我に帰る。ここは大和さんの車の助手席だ。深く考え過ぎて、どこかに行っていたみたいだ。


「はい。大丈夫です」


「大丈夫に見えんけどな。梨瀬さんに話はしてきた。俺は作業がまだ残ってっから帰るわぁ。

何かあったら連絡するし、何かあれば連絡しろよ。今度、すき焼きをご馳走してやっからさ。俺の作った春菊をたっぷり使ってな。楽しみにしておけよ」


「あの、ありがとうございました」


車から降りて、頭を下げて。大和さんの車が見えなくなるまで僕は見送る。風に流れて、ふんわりと香ってくるのは、敷き藁の香りだ。


退職届の前に何て話をしようか。纏まらないまま店に戻ると、賑やかな声がする。テラスで午後のお茶を楽しむお客様達だ。今日も満席。梨瀬シェフの味を求めにきた人達。


「馬って、毛繕いし合うのね。ほら、あの白い馬が顔で茶色の馬の首元を擦っているわ。可愛いわね。ふぅ、この紅茶美味しい」


「馬って見る機会ないからさ、こうしてゆっくり見れるのは新鮮ね。まだ触りたいとは思わないけど。はぁ〜、このケーキ美味しいわぁ」


「これ、毎月変わるアフタヌーンティーセットって書いてあるわね。来月は何かしら?クリスマス系かな?あ、……すみません!」


僕に手を振られる。僕が呼ばれている。僕はカリソンのコックだ。気持ちを切り替えて、顔を引き締めて。お客様のもとに向かう。


「お待たせしました」


「来月のアフタヌーンティーセットの内容は、教えて貰えるかしら?」


「はい。鶏胸肉を柚子味噌で低温調理した白菜サンドイッチ。金柑とナッツのハチミツパイ。2色のルバーブタルト。サツマイモのクリームチーズケーキ。キビのスコーンです。プティフールは、その都度変わるので来てからのお楽しみです」


「白菜のサンドイッチ?聞いたことないわ。これは、来週も行かないとね。ありがとう。ダイエットするわ」


「お待ちしております」


僕の笑顔は震えていた。仕事中だと自分を叱咤して、姿勢良くキッチンに向かう。

震える手のままドアを開ける。加賀さんが明日の惣菜パンに使う具材の仕込みをしていて、狭山さんがサンドイッチを皿に乗せて配膳スタッフに渡していた。無駄のないキビキビとした動き。僕が消えても支障ない?


「おお〜、ウラ君。お帰り」


「お帰り。タッパにオカズ入れるから、鍋持っていて欲しいの。手伝ってくれる?」


「……は、はいっ!」


考える暇もなく加賀さんから指示され、急いで靴を履き替えて手を洗う。体の埃も取り除いて、梨瀬シェフはどこか聞かずに仕事をする。聞くのが怖い。


「金柑が届いてね。これから仕込みをするわ。ハチミツ漬けは食べた事ある?」


「無いです」


「それは良いわね。初めての物を食べる時って期待と不安じゃない?未知との遭遇。自分にとって美味しいかの判断。それが楽しい思わない?……どうしたの?」


「えっ?」


タッパにオカズを入れ終えて、金柑を洗う準備をしている加賀さんが手を止めて僕を見てくる。僕は怖くて、体が固まってしまった。


「体調悪いの?休んでなさい」


「ちち、ち違います。その、あの、し、仕込み、教えて、お、教えてく、くだ……くだ」


歯がガチガチと震えて、声が上手く出せない。ギュッと胸を締め付けられる気分に、目の前がクラクラしてきた。怖い。怖い。怖いんだ。


「ウラ君大丈夫?ほら、ここに座ってな。外はだいぶ寒くなったから、気温差にやられたんだろ」


狭山さんが椅子に座らせてくる。仕事をしないといけないのに、手が震えて体が震えてくる。


「ウラ君。ほら、コーヒー」


加賀さんがモーニングで余ったコーヒーを温め直して手渡してくれる。情けなくて、涙が出てきた。


僕の様子に加賀さん達が顔を見合わせて、作業に戻る。ああ、僕もやりたいなぁ。新しい料理を覚えて、美味しいって喜んでもらいたい。自分の考えているフルーツバーも、梨瀬シェフに見てもらいたい。店に出して良いって言われたら、信陽さんに食べて貰いたい。


嫌だ!やりたい事は、まだまだ沢山あるんだ!!


「戻りました。あら浦良さん、良い所に」


手に持ったコーヒーに映る蛍光灯を見ていたら、梨瀬シェフが外から入ってきた。出かけていたようだ。僕を見ると、驚いている。

言わないと。言うんだ。命を助けてもらったのに、これ以上迷惑をかけるのか?僕は父と一緒にはなりたくない!!辞めるって言え!!


コーヒーを机に置いて、立ち上がる。


「あの、梨瀬シェフ。僕は…「大和さんに感謝よね。カリソンに対する営業妨害として、Sの件を弁護士に依頼しておいたわ。安心して。楽勝で勝てる相手よ!」…えっ?」


梨瀬シェフの発言に僕は固まる。


「直ぐに動いてくれるって。浦良さんも慰謝料のおかわり、貰いなさい。それだけの事をされているんだからさ」


「ありゃひでぇよな。本当。俺も業者さんから話は聞いてたけど、あそこまで酷い言い方だったとはさ」


「ウラ君、おかわりはしっかり貰いなさいよ!遠慮しちゃ駄目だからね!」


加賀さんも狭山さんも事情は聞いていたんだな。僕を心配してくれてる。僕は自分が情けなくて、嬉しくて涙が出てきた。


「浦良さんの事は守るから、貴方はするべき事をしなさい。わかりましたか?」


梨瀬シェフの力強い言葉に、僕は机のコーヒーを一口飲んだ。あたたかい。情けない自分を落ち着かせ、気合を入れる。


「は、はい!ありがとうございます。…あ、狭山さん。鍋から紅茶吹いてますよ」


「ぬおあっ!?」


「余所見し過ぎよ、全く」


慌てる狭山さんに、加賀さんが笑う。梨瀬シェフはそれをみてやれやれと肩をすくめた。


僕は、幸せ者だな。


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