第17話

馬が嫌い。-17


今日はカフェの定休日。僕は早朝に動物達のお世話をしに乗馬クラブに来ている。


最近サンドイッチに感化されたのか、スコーンまで僕を見ると突進してくるようになった。山羊も羊も攻撃的だな。初めて知った。

それに比べて、ケーキは良い。可愛いし優しいし。


「浦良君。今日もありがとう」


手伝いを終えると、有馬オーナーに誘われた。事務所で朝食をご馳走になる。コーヒーもパンもカリソンで購入してきてくれたそうだ。何度食べても美味しい。


どこからともなくやって来たクッキーが有馬オーナーの足元に寝そべる。昔からの定位置だそうだ。

この間、信陽さんが来た時に削蹄した蹄をお土産にって貰ったんだ。

クッキーに渡したら、その後暫くは尻尾を振って寄ってくるようになった。でも、常に持ってないと知ると再び素っ気ない態度に戻った。現金な犬だ。


「どうだね?キッチンは慣れてきたかな?」


「はい。皆さん良い人達ばかりでして。

毎朝ミーティングをするんですが、全員に発言権があるんです。意見が違えば納得いくまで話し合ってマニュアルを作るんです。マニュアル通りに仕事を進めて、1週間後にマニュアルの問題点をまた話し合うんです。

店を良くするには気持ちよく働いてもらうのが一番だって、梨瀬シェフは言います。


僕にも何でも言って欲しいって言うんです。僕でも意見を言って良いって。でも、何を言えば良いのかまだわからなくて、何も言えていません」


「そうかそうか。だが、嫌という訳ではないだろ?」


「はい」


僕は急に照れ臭くなり、コーヒーを口に含む。ああ、美味しいな。バゲットに塗られたルバーブジャムも、良い酸味。梨瀬シェフのレシピはどれも美味しい。


「浦良君。何故僕がこのカフェを作ったか、リゼさんから聞いた?」


パンが口に入っていたので、首を横に振った。有馬オーナーはそうかと笑った。


「僕はね、我儘な人間なんだよ」


「んんっ!?……え、そ、そうなんですか?」


こんなに穏やかな人が我儘?信じられない。


「今の君だから、聞いて欲しい。この年寄りの夢を聞いてくれるかい?」


「……はい」


僕は姿勢を正して有馬オーナーに向き合う。

有馬オーナーは屈んでクッキーのお腹を撫で、思い出すように語り始めた。


「僕はね、馬を経済動物としか見ていなかった。愛情持って育て、成績が芳しくなければ乗用馬に転用させたり、肥育牧場に送る。それが当たり前だった。


20年程前だ。馬の種の保存をしている牧場に見学に行ったんだ。そこの牧場主は馬の繁殖に力を入れていた。多くの人の目に触れるように観光用として調教し、ふれあいの場を設け。

近隣の農家にも、繁殖への理解と協力を呼びかけをしていた。十数頭だった馬も今では百頭程に数を増やしている。


僕はね、衝撃的だったんだ。どんな気性の荒い馬であっても、体格的に人を乗せるのに不向きな馬であっても、手を掛けて最後まで看取る姿勢に。

同時に、経済動物とは何かと考えるようになった。競走馬は年間7千頭程誕生する。より良い種を残す為に交配もされている。それも素晴らしい事だと思っているよ」


僕は有馬オーナーの顔を見て、驚いた。その苦々しい表情は、過去に見送ってきた馬達を思い出しているようにも見える。顔に刻まれた皺には、苦渋の決断をしてきた歴史が見えた。


「乗馬クラブで人を乗せる事の出来なくなった馬達。彼女達は人に奉仕する生活しか知らない。

そんな彼女達だからこそ、命が尽きるまで生きられる場所を作りたくてね。


乗る為ではない馬がいるカフェ。馬を愛でるカフェ。

馬は乗る為だけの動物ではないと知ってもらいたい、僕の一方的な思いが形となった場。

カリソンのオーナーに話をしたら二つ返事で了承してもらったんだけど、リゼさんにシェフをお願いしたら断られたんだ。まあ、無理も無い。だけど、彼女が納得するまで何度も話し合って、最終的に受けてくれる事になったという訳さ」


有馬オーナーが話し終えると、クッキーが頭を上げて催促をする。有馬オーナーは耳の裏を指で掻いてあげつつ、笑った。


「長話に付き合ってくれて、ありがとう」


肥育牧場に送られる馬達も、経済を回すのに必要だ。馬一頭を飼育するのに幾らお金がかかるのかわからないけど、寿命を終えるその時まで健康で長生きしてもらうのって相当覚悟がいると思う。有馬オーナーはその道を選んだんだ。


だったら僕に出来る事は


「あ、あの。僕は、店が長く続くよう、頑張ります」


「そうか。ありがとう。これからも、宜しくお願いします」


そう言って笑う有馬オーナーが差し出してきた手を、僕は握った。その指は筋張って硬く、力強かった。


「以前、琢磨からも聞いたんです。馬は乗る為の動物じゃないって。琢磨も有馬オーナーの話を聞いたんですね」


「琢磨君はね、僕の生徒だったんだ。こうしてアルバイトに来てくれて助かっているよ」


「僕は、琢磨に新しい世界を教えてもらったんです。アイツには、感謝してもしきれません。

今は邪魔をしたくないので連絡はとっていませんが、今も何処かで笑っている。そう思うんです」


「ん?……まあ、琢磨君も浦良君も将来有望だ。努力を重ねていけば、それはいつか役立つ時が来る。来なくても、努力した自分を褒めてあげなさい。無駄になる事はないから、精進しなさい」


「はい」


朝食を終えると有馬オーナーから、これから中級クラスのレッスンがあると教えて貰った。見学しておいでと言われたので、野外運動場に向かう。

馬場にはハードルが二ヶ所置かれていて、馬に乗った生徒達が5人縦に列を成して順番待ちをしている。障害の練習をしているらしい。

スタッフさんに声をかけて、柵の外から見学する。


「馬が自分に意識を向けるようにして下さい!」


スタッフさんが鞍上の人に注意している。会員さんは馬を引きつけつつ指示を出して馬を走らせた。最初のハードルは跳べたけど、残念。バーが落ちる。

二つ目はどうかな。会員さんが次の障害へ顔を向けると同時に体もその方向にひねる。馬に次に跳ぶ障害を教えているんだ。馬も呼応するように助走をつけて走り寄る。ジャンプ。お、今度は落とさなかった。

跳べたと鼻を鳴らしながら馬が上機嫌で戻ってくる。そのまま列の後ろにつくのかと思ったら、何故か4番目で待つ馬の直ぐ隣に立つ。


『ブシュー(どうだった?上手に飛べてただろ?)』


そう言うように鼻を鳴らした馬に対して、相手の馬はスッと横に一歩ズレた。その圧が嫌らしい。


「ほら、後ろに並んで」


「す、すみません。ほら、ディンブラ。ドアーズが好きなのはわかったから。こっちだって」


スタッフさんがディンブラに注意を向けていた時だ。


「こらキャンディ!駄目!」


「ルクリリ!やめなさいって!」


一番前に並んでいたキャンディのお尻に、後ろで待っていたルクリリが噛み付いた。怒ったキャンディが振り返り歯を剥き出しにして威嚇する。馬の歯って人の歯と違って全部並列に並んでいるんだな。大きくて怖い。


「ルクリリを下がらせて!キャンディは横に!」


「すみません!ほら、キャンディ」


「すみません!ルクリリ、お願いだから」


スタッフさんは鞍上の人を叱る。

アフロさんが言っていた。馬は人より速い思考をしているので、1秒先は過去なのだと。1秒後に馬を叱れば、それは人で例えると1週間前にした悪さで叱られた事だと思えば良い。叱る時は一瞬で。刹那に生きる馬に人が合わせなければいけないと。


「ドアーズをキャンディとルクリリの間に入れて下さい」


スタッフさんがドアーズに騎乗している人に指示を出した。


『『うわ〜。あの間に入るのかよ。嫌だよ』』


人も馬も揃って嫌な顔になった。本当、揃って同じ顔。僕でもわかる。


それでも、フシャー!と耳を伏せて口を開けて威嚇し合う二頭の間に入るドアーズ。足取りが重い。僕も同じ立場だったらそうなる。


「次!行って下さい」


「はい!」


会員さんがキャンディに指示を出してスタートした。グウグウ唸りながらハードルを全て飛び越えて、戻って来る。飛べたって事は上手なのかな?


「あの唸っているのは、指示を出された事に対して『わかっているわよっ!』て文句言ってるの。会員さん、少し指示が強いかも。

勝ち気で我儘で構ってちゃんなキャンディに合う人が乗れば、良い成績が出せる。とても良い馬だから」


「うわっ!…梨瀬さん」


馬に注意を向けていたから、梨瀬さんが隣に来たのに気がつかなかった。休みなのにどうしているのかな?


「娘達が馬を見たいって言うから、連れて来たの。ほら、あそこでケーキといるわ」


指差した先にキームンさんと娘さん達がいる。ウサギ小屋の中に入り、フワフワのケーキの触り心地に皆ご満悦のようだ。


梨瀬さんのキャンディの説明が気になるので、質問してみる。


「あの、そんな性格の馬に乗るのって怖く無いんでしょうかね。落とされそうです」


「そうね。馬が人を下に見るようになれば、故意に落馬させようとしてくる馬もいるわ。全員がそうでは無いけど。

キャンディのように繊細な馬は、人の細かな指示に敏感に反応してくれるの。鈍感な馬だと、どう指示を出しても一定の反応しかしてくれない……あら?ドアーズがバーを2本とも落としたわ。珍しい。調子が悪いのかしら?」


「ああ、それはですね…」


理由を話すと、梨瀬さんは笑った。


「牝馬って繊細でね。些細な事でも喧嘩するの。此処にいる牡馬は去勢されていて、セン馬っていうのだけど、穏やかな性格の子ばかりなの。だから仲裁をお願いされる事が多いわ。よくある事よ」


「去勢している理由ってあるんですか?」


僕の質問に、梨瀬さんは渋い顔をする。何か聞いてはいけない事を聞いてしまったのかな?

授業が終わって洗い場に帰っていく馬達を見送りながら、梨瀬さんは思い出すかのように悲しい顔になった。


「去勢すると、穏やかな性格になりやすいと言われているの。足が強くても、調教ができなければ使えないでしょ?勿論、病気で去勢を余儀なくされる馬もいるわ。……でもね、去勢手術って100%成功するとは限らないのよ。


じゃあ、また。明後日から宜しくお願いします」


「あ、はい。宜しくお願いします」


気持ちを切り替えるように、梨瀬さんは僕に笑顔を向けて去っていく。僕はその背中を見送り、梨瀬さん家族の笑う幸せな姿を目に映す。幸せそうな家族の姿を見ると、僕は少しだけ寂しくなるんだ。


「あっ……バイバイ」


梨瀬さんの子供達が僕に手を振ってきて、僕も口の中で声を出し、振り返す。キームンさんが子供達の頭を撫で、僕に会釈をする。幸せな顔。温かい家庭を守っている顔。僕の父には無かった顔。


皆で手を繋ぎながら、梨瀬一家は帰って行く。その光景は明るい日差しと相まって、僕の胸を優しく締め付けた。


「……僕も、帰ろう」


棚の人形が、僕の帰りを待ってくれている。





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