第16話

馬が嫌い。-16


明日は定休日。いつもより念入りに掃除をして、休み明けの打ち合わせをして店を出る。


18時に誘導馬の厩舎に来て欲しいとアフロさんから連絡が来ていたので、仕事が終わったその足で競馬場へ向かう。

今日の手土産は、おからケーキだ。近所の豆腐屋のおからで作っているから、風味が格段に良い。自然な甘さを利用してカロリーを抑えられる。


「お星様と雲をお月様にちょこんとのせて、くるくるクレープの、できあがり」


原付に跨り歌を口ずさみ、すっかり暗くなった道を走る。陽が落ちるのが早くなると少し寂しい気分になる。僕は冬も苦手だ。


アフロさんから誘われて何度かゴボに会いに行っているから、橋を渡る時の心の保ち方も慣れてきた。

どんどん橋が近づいて来る。歌うのを止めずにアニメのシーンを頭の中で再生した。こうすれば大丈夫。

橋を渡りきり、見慣れた競馬場から従業員用の駐車場でエンジンを切る。硬直した手をハンドルから引き剥がし、硬直した心を慰めるようにさする。


「ふぅ…この時間でも、人はいるんだな」


競走馬の朝は3時からとアフロさんから聞いている。乗馬クラブの厩務員さんの仕事は見てきた。馬の命を預かる大切な仕事だ。


リュックの中身を確認して、手土産が無事なのを確認してゲートをくぐる。厩舎に向かい、声をかけた。


「こんばんは」


出入り口から声をかけてみると返事があり、奥から信陽さんがアフロさんと来た。アフロさんが髪を手でモシャモシャしながら、楽しそうに話しかけてくる。


「来たね。早速始めて貰おうかな。信陽君、お願いします」


「何をですか?」


「ゴボの蹄鉄の打ち替えをお願いしたんだよ。人でいうなら、新しい靴に履き替える感じかな。

浦良君は見た事無いって言っていたし、ゴボも君に慣れたからさ。見学していって」


装蹄する所を見れるんだ!やっと、信陽さんの仕事を知れるんだ!


「嬉しいです。信陽さん、宜しくお願いします」


「ああ」


まるで『馬の靴屋さん』のようだ。技術職な感じがカッコいい。


手土産を渡して、洗い場に信陽さんと共に先に向かう。洗い場の側には金床(アンビル)や金槌(ハンマー)が用意されていた。ネットで調べて勉強したんだ。信陽さんの仕事を知りたくて。


「お待たせ。ゴボ、ほら。蹄の手入れだぞ。大人しくしていような」


アフロさんがゴボを連れて厩舎から出てきた。声を掛けると、ゴボは言葉がわかるのかパッと首を上げて、頬をすり寄せ甘え始める。大人しくする代わりに構ってもらおうとしているのかな?

アフロさんってどの動物にも好かれるんだ。それで嫉妬し合ったルフナとアールグレイの喧嘩は、女の戦いって感じで怖かった。


「ゴボ、こんばんは。これから君の装蹄を替える所を見させて貰うね」


アフロさんに許可を貰い、ゴボに近づく。電灯に照らされたゴボは太陽の光を浴びている時と違い、艶やかな光を纏っている。


「夜会の紳士って感じに見えるな」


「浦良君も馬の良さがわかってきた?」


アフロさんがゴボにアフロを齧られつつ笑う。一体どれだけの唾液が髪に浸透しているのだろうか。馬が魅了されるアフロ。


ゴボが洗い場に繋がれると、信陽さんが僕に声を掛けてきた。


「浦良君。ゴボは蹄鉄を打っている最中も大人しいが、彼の視界に入る所に居てくれ。そう、そこで良い」


僕は指示されて金床の側に立つ。アフロさんはゴボの宥め役として側に立った。


信陽さんが僕の側で地面に道具箱を置き、ガシャンと開ける。色々な道具が沢山だ。これをどうやって使っていくんだろう?


「作業に集中しないと危ないから、信陽君のかわりに私が説明するね。装蹄をしないと、馬の健康や走りに影響を与えるんだよ。足は第二の心臓と呼ばれていて、駄目になれば安楽死が一般的だ。

そうならない為にも、足のメンテナンスは定期的に行わなければいけない。


ゴボはこれからアルミニウム蹄鉄を履き替えるんだ。冷装装蹄と呼ばれている。

軽いが鉄製より強度が落ちるから、2〜4週間で交換するんだ。

もう一つは鉄製の蹄鉄を履かせる熱装装蹄。炉(フォージ)を使うんだ。乗馬クラブの馬達はこの方法さ。鉄製で頑丈だから1ヶ月〜1ヶ月半に一回位の頻度で交換する。今度機会が有れば見てね」


信陽さんがゴボに背を向けるように立ち、前足を持ち上げ自分の太ももの間で挟んだ。ミノみたいな道具を蹄と蹄鉄の間にハンマーで入れ込んで外す。除鉄(じょてつ)と呼ばれる作業らしい。簡単に外しているように見えるけど、熟練の技が無いとかたくて取り辛いそうだ。


カンカンカン、カンカンカン


カランと落ちた蹄鉄にはゴボの癖によって擦り減った箇所が表れているそうで、それを参考に新しい蹄鉄の形をある程度決めて、蹄を整えていくそうだ。


「蹄を削るのを削蹄(さくてい)という。専用の鎌は毎日研いで手入れして、円滑に作業が行えるようにしているんだ。

削蹄を始めると、クッキーが尻尾を振って強請るんだ。美味しいらしいよ」


僕も毎日包丁を研ぐから、一気に親近感が湧いた。真剣な目でゴボに向き合う信陽さん。職人の顔で、何てカッコいいんだ!


「冬の蹄は硬くてさ。どれだけ刃先を研いでも研ぎ足りない位なんだ」


シャッ、シャッ、シャッ、シャッ


そう言いながら、信陽さんは小さな鎌でゴボの足の裏の蹄を薄く削っていき、次にペンチのような道具で蹄の周囲を切っていく。人の爪切りみたいだ。


パチン、パチン、パチン


ゴボの蹄を横から見たりして削蹄具合の確認をし終えると、ヤスリで蹄の表面を磨いていく。


ゴリゴリゴリ ゴリゴリゴリ


人間の爪の手入れと同じだな。綺麗に整えられていく様子が面白い。

そして、何とも良い音だ。目を閉じて感じたくなる心地良い音。綺麗に磨かれていく音。


ゴボは信陽さんに足を委ねている。そして、口をモグモグとさせながら、鼻筋をアフロさんに擦り寄せた。アフロさんは幸せそうな顔をしながら説明してくれる。


「ゴボが口をモグモグしているのは『チューイング』と言って、リラックスしている状態なんだ。この子が大人しい性格なのもあるけど、信陽君を信用しているからなんだよ。


装蹄は足一本を10〜15分で仕上げる。装蹄中は馬が足3本で体を支えないといけないからね。体に負担が掛かる。

洗い場に繋がれたままだと馬も疲れてくるから、1時間以内を目安に終わらせるんだ」


素早く、でも丁寧に。脳裏にケーキのデコレーションをしている梨瀬シェフが過ぎる。

生クリームは触りすぎると分離する。温度が高いと溶けてしまう。早く、でも綺麗に。ケーキを受け取るお客さんはその一個が全てだから、最高の仕上がりの物を渡すよう心掛けて仕事をする。

完成されたケーキを満足そうに眺める顔。良い仕事したなって、自分で自分を褒めないとねと笑う顔。カッコ良いんだ。


馬は足が故障すれば終わる。僕が前に勤めていた菓子屋は、信用がなくなり店が潰れた。何がキッカケになるかわからないから、全力で取り組んでいかなければならない。


梨瀬さんと信陽さんの姿が重なった。2人ともジャンルは違えど技術職。自分の腕でここに立っているんだな。


「削蹄が終わったから、仕上げに入るよ。金床で蹄鉄を叩いて最終調整していくんだ」


カンカンカン、カンカンカン、カンカン


履いていた蹄鉄と新しい蹄鉄を重ねて比べ、大きさを合わせる為にハンマーで蹄鉄を叩いていく。目の前で加工される蹄鉄。小気味良い音が、静まり返った場に響く。


「馬に蹄鉄を履かせるのは、人で言う靴を履いているようなもの。馬のオーダーメイド靴だね」


カンカンカン、カンカン、カンカン


何度か蹄に合わせて調整していき、いよいよ釘を打ちつける段階まできた。


「蹄釘(ていちょう)といってね。蹄専用の特殊な釘なんだ。磁石のついたアームバンドに釘を付けて作業していく。あれ、用途はないけど欲しいなって思った時があったよ。カッコよくてさ。私のこの気持ち、わかるかな?」


カン、カン、カン、コンコン、パキ 

カン、カン、カン、カン、パキ


蹄に蹄鉄を合わせ釘を穴に打ち、蹄から出た先端部分を折り取る。何箇所か打ち込み、人馬が怪我をしないように釘の処理をする。仕上げに蹄の表面を磨き、歩きをアフロさんと確認して、ゴボの装蹄は完了した。


「お疲れ様、ゴボ」


信陽さんがゴボの首の根本辺りをボンボン叩く。いつかアフロさんが言っていた。アレくらいの強さで叩かれても、馬にとっては肩たたきにもならないと。僕は怖くてできないや。


「浦良君、信陽君の仕事はどうだった?」


「まさに職人って感じでした。音も凄く良くて、何て言ったら良いか言葉が見つからないのですが。装蹄師って、馬のオーダーメイドの靴屋さんだなって思いました」


「そうか。知ってもらえて良かったよ。じゃあ、これで僕達は失礼するね。後は信陽君に任せたよ。またね」


装蹄を終えたゴボをアフロさんが馬房に連れて行った。信陽さんは片付けをしている。


どうしよう。仕事の邪魔をしたくないな。帰ろう。


「あ、あのっ」


「…差し入れ、ありがとう」


道具箱の蓋を閉めた信陽さんが僕に振り向く。


「あ、いえ、その。こちらこそ、見学させていただき、ありがとうございました」


「浦良君。君は君が思っている以上に周りに評価されている。だから、少しは自信を持ってみろ。それは自分の手にも影響してくる」


どういう事だろう。わからないけど、信陽さんの目は僕をしっかりと見ていた。


「お言葉、ありがとうございます。では、僕も帰ります。ありがとうございました」


「ああ。またな」


帰り道でも、信陽さんの言葉を頭の中で繰り返す。僕は自分に自信を持てない。琢磨のように自発的に行動するのが怖いんだ。失敗した時を想像すると、怖い。


「自信を持つ、か…」


暫く悩みそうだ。

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