第15話

馬が嫌い。-15


それは、唐突だった。


「俺さ、明日から暫くアルバイト休むんだ。大学も」


「え……?」


琢磨と2人でボロ置き場の掃除をしている時だ。彼の口からの衝撃の発言に、僕はスコップを動かす手を止めた。


「な、何かあったのか?誰か病気とか?僕も何か手伝うよ」


「違う違う。俺さ、自分探しの旅に出るんだよ」


「琢磨はここにいるだろ?」


「まあ、聞いてくれよ。

ウララちゃんを見てたら、自分の考えの浅さに気が付いたんだ。久しぶりに会った時に、昔と変わって無いって言ったの覚えているか?昔からウララちゃんは自分を持っていた。どんな仕打ちにも前を向いて耐え忍んだ。逆境を乗り越えて、運を掴んだ。

カッコいいお前に対して、俺は将来どうしたいかって悩んでも答えが出なかった。だから、探しに出るんだ。バイト代も貯まったし」


僕はどんな顔をしているのか、わからない。

何で今なんだとか、何で相談してくれなかったのかとか。いや、違う。琢磨はずっと計画していたんだろう。きっかけが今回だっただけ。ここは、綺麗に見送らないと。


「僕はそんな出来たヤツじゃないよ。あのさ、どれくらい、行くんだ?」


「自分が見つかるまでさ」


それは、きっと長いんだろうな。鼻がツンと痛くなる。僕の脳裏を琢磨との思い出が駆け巡る。

2年ぶりに出会った時の夏の暑さ、アスファルトのにおい。彼のバイクに乗って見えた山の景色。太陽に照らされた、輝く馬の温かさ。病院の天井、消毒のにおい。紅葉した木々の中に建つログハウス、秋のかおり。

僕が僕を知るきっかけをくれ、此処にいるのは、琢磨がいたからだ。感謝してもしきれない。


少しでも恩を返したいって、休みの日はこうして手伝っている。これが一番琢磨に近い場所だから。

そうだったけど、今は違う。僕はここに来るのが日常になったんだ。


「お、おい。泣くなって」


「琢磨、ありがとう。本当に、あ、ありがとう」


これ以上、言葉はいらない。僕の彼に対する気持ちを表す言葉は無い。


「ルフナに暫く会えないのは寂しいけどさ。でも、彼女は俺の中にいる。

ウララちゃんは仕事頑張れよ。ボランティアは暫く休め。働きすぎだ。


何が一番大事か見極めろ。俺もそれを探しに行くからよ」


「僕さ、琢磨が教えてくれたから、ここにいるんだ」


僕は涙を流したまま琢磨の手を取る。しっかりと握り、僕の感謝を伝え込める。


「気を付けて行ってきてくれ。帰りを待っているからな。何かあれば、かけつけるから言ってくれ」


「大袈裟だな〜。でも、ありがとう」


少し潤んだ目をして、ニカっと笑う琢磨。眩しい笑顔だ。僕は上手く笑えているだろうか。


そして、琢磨が僕の前から居なくなり2週間。毎日が忙しくて、でも家に帰ってからや休みの日は、元気に旅をしているかなって思い出す。


時間が余っているから、考えてしまうんだ。料理辞典を開いて、加賀さんから教わったブールブランソースのレシピを記録ノートに書き込む。書いている途中、ふと手を止めた。


「琢磨には、僕がどう見えていたんだろうね」


棚の人形に話し掛けても、答えはない。


ーーー


カリソン紅茶乗馬クラブ店の営業時間は8時〜16時だ。ラストオーダーが15時。


「オーダー無し。加賀さん、クローズお願いします」


「はい。狭山さん、ウラ君。いってらっしゃい」


「行ってきます!」


注文が無いので、片付けを加賀さんとアルバイトの人達にまかせる。着替えて狭山さんの運転で大和さんの畑に向かう。廃棄するレタスの外葉などを貰う為だ。


「ウラ君、入社してそろそろ2ヶ月になるね。リゼシェフにレシピを出してみたらどう?」


「僕がレシピを?」


右折車線でウインカーを出しながら、曲がる先を何度も確認している狭山さん。いつも僕の良い所を見つけて褒めてくれる。

加賀さんは、厳しく指導してくれる。でも、それ以外に優しい。

理瀬シェフは、カリスマって言うのかな。この人ならついて行きたいって思う仕事をするんだ。

全員がカリソンという看板を背負って働いている。


僕もその看板に見合うだけのレシピを考えられるだろうか?


「君が入社する時に作ったフルーツバー。俺も食べたんだけど、美味しかったよ。あと少し手を加えたら店に置ける。考えてみないか?」


「食べてくれていたんですか?ありがとうございます」


信陽さんの為にと考えたフルーツバー。これが商品化できたら、良い報告になるな。


「あの、何を変えれば良いでしょうか?」


「そうだなぁ。小さなヒントと大きなヒント。どちらが良い?」


「…小さなヒントでお願いします」


車が右折して道を直進する。狭山さんが嬉しそうに話してくる。


「言うと思った。…うちの店に来る客層、メニュー。それを考えてみれば、答えはわかるよ」


緩いカーブを曲がる車に身を任せ、少し考えてみる。客層は年配の方が多くて、アフタヌーンティーセットが良く出る。美味しいものを知っている人達には、僕の作る物はチープすぎるんじゃないかな。

そうなると、ベースのドライフルーツとナッツは変えずに他を変えてみよう。


暫く道なりに進み、大和さんの畑に着く頃。狭山さんが唸る僕に質問してくる。


「あのさ。俺、次の休みに家族で乗馬クラブのお試しレッスンに行くんだ。せっかく側にあるのに、馬に乗らないのって勿体無い気がしてさ。

でさ。馬って、どんな生き物か教えてくれない?」


「どんな生き物か、ですか…」


最近の馬との出来事を思い出す。

馬房掃除をしていた時だ。一輪車に積んだボロを捨てに行こうとしたら、チャリンと音がしてズボンのポケットが軽くなった。

何だと振り返ると、ニンマリしたような顔をしたアールグレイが馬房から首を出し、僕の原付きの鍵を唇で咥えていた。どうやって盗ったのかわからないけど、返してもらおうとしたらカギを投げられて、それが隣のアッサムの馬房内に落ちる。

アッサムの馬房に入って鍵を取ろうとしたら、『入ってきたら噛んでやる。蹴ってやる』って歯を剥き出しにして、後ろ足を壁に叩きつけて威嚇してきたんだ。怖いしどうしようかと思ったら、アッサムが鍵を咥えて斜め向かえのニルギリの馬房に投げる。

ニルギリはどうするのかなと様子を見ると、優しい顔をして鍵を咥え、馬房から顔を出してくる。僕に返してくれるのかと感動して手を差し出したら『誰が返すかよ』って顔して首を引っ込められた。キラキラした目が、悪戯を成功させた子供のように楽しそうだった。


慣れたスタッフさんが来るまで僕の鍵は遊びに使われ、お気に入りのキャラクターキーホルダーはボロボロになったんだ。それからだ、キーホルダーは木製に限る。


「…悪ガキ達の集まりですかね」


「えっ!?どう言う事?」


「着きましたね。運転ありがとうございます。大和さんへの手土産、僕が持てば良いですか?」


「お、おう。……何だ?馬って、どんな生き物なんだ?俺、さっぱりわからねぇよ」


首を傾げる狭山さんと作業所に向かう。野菜を段ボールに詰めている大和さんに声をかけると、籠を指してきた。明日店で使う野菜2箱と、モリモリに入った野菜の葉などが5箱積まれている。大根や蕪の外葉だけで一箱ある。他の農家さん達からのお裾分けだそうだ。


「村上さんが人参置いて行ったから、一緒に持って行ってくれ」


「ありがとうございます!これ、お菓子です。皆さんで食べて下さい」


大和さんは近所の農家さん達と提携して『今日収穫した野菜便』という、通信販売専門の野菜屋もしている。

素早く梱包している人達に目を向けつつ、机に手土産を置く。朝6時から収穫をしているとは聞いているけど、何時まで仕事をするのかな。忙しそうだ。


「大和さんに教えて貰った温泉、本当に泉質が良かったです。妻も喜んでました」


「それは良かった。傷に良く効きますから、何回も通うと効果がよくわかってきますよ」


狭山さんと大和さんが会話する横で、僕は野菜の確認をしていく。

馬にあげてはいけない野菜の仕分けをしておくと、帰ってから作業が楽だからだ。


レタスは良いけどキャベツは駄目。セロリは良いけど、ほうれん草は駄目。

少しなら大丈夫だそうだけど、それは厩務員さんやオーナーが馬の体調を見て決める。美味しいけど摂りすぎると体に毒って、人でいうお酒とかに近いものなのかな?


「温泉の後のアイスクリームは甘酒アイスが……あ!ごめんウラ君!夢中になってたよ」


「いえ。運転していただいてますから、これくらいはさせて下さい」


「すまないね。俺も手伝うよ」


僕一人でも大丈夫だけど、こうして一声くれて手伝ってくれる。本当に嬉しい。僕も下ができた時には、同じようにしたい。僕のような目にあう人は今後居ない環境を作りたい。


野菜を車に積み終え、挨拶して店に戻る。

乗馬クラブの事務所に野菜を届けてログハウスに戻ると、ホールの人が店の電気を消していた。皆で掃除をするから帰る準備が早くなる。


梨瀬シェフが休みでも連携が崩れない。それは、互いの思い遣りがあるからなんだろう。身に染みてわかるんだ。


「おかえりなさい。お疲れ様でした」


厨房の扉を開けると、出迎えてくれる加賀さんの笑顔が嬉しい。僕も自然と笑っていた。


「戻りました!掃除ありがとうございます」


「戻りました。加賀さん、明日の準備はどうかな?」


「明日は予約だけで席が埋るから、テイクアウトの品を多めに準備しようと思うの。ウラ君にはね…」


こうして、僕も一員として話をしてくれる。明日も、仕事を頑張ろうって気分になるんだ。


ああ、働くのって楽しいな。

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