第14話
馬が嫌い。-14
カリソン紅茶乗馬クラブ店は、有馬オーナーが寄り合い場の経営権を買い取った時に共同オープンしないかカリソンのオーナーに持ち掛けたそうだ。
カリソンとしても自由度が高い店を出店してみたいと思っていたそうで、とんとん拍子に話は進み1年で店がオープンした。
僕はそこに入社して1ヶ月が経とうとしている。少しはこの店に馴染んできているなって思う。
厨房に入る前に入り口の鏡の前に立ち、全身にコロコロをかけながら全身の確認をする。
髪の毛は匂いの無い整髪料で整えてある。眉毛は清潔に見えるように整え、髭は元々少ないから綺麗に剃り上げてある。爪は短く切ってささくれも手入れしてある。よし!今日も頑張ろう!
「おはようございます!」
調理場はダクト音が響いているので、大きな声で挨拶をする。スタッフさん達が挨拶を返してくれた。
「おはようございます、浦良さん」
「おはようございます、シェフ」
梨瀬シェフはこの店を任されている。この店を絶対に人気店にしようっていうのが伝わってくる。他の人達もそうだ。僕も、そう。でも、厨房の雰囲気は緊張感があるけど、攻撃的な感じじゃない。居心地が良い。
「寄り合い場に出すパンを作るから、手伝って頂戴。数はそこのボードに書いてあるから、加賀さんから指示してもらって」
「わかりました。宜しくお願いします」
「宜しくお願いします。生地を計っていくから、成形宜しくね」
ニッと笑う加賀さんの指示に従い両手を使い、素早くパン生地を成形していく。
前の店と同じ作業なのに、全てが違うのが指から伝わってくる。鉄板に丸めたパンを置きながら、僕は忙しいけど楽しさの方が優っていた。
「ウラ君は器用だよ。入社して1ヶ月で通常メニュー全品作れるようになるなんて。シェフが引き抜きしただけある」
「加賀さんや狭山さんが、僕に色々丁寧に教えてくれるからです。本当にありがとうございます」
鉄板をカートに乗せていると、鼻水を啜る音がした。手を止めて振り向くと、顔も両手も濡らした狭山さんが立っていた。
「ウラ君〜朝から泣かせんなや〜。両手が蜜まみれだから、鼻がかめない……本当に良い子だなぁ。ううっ」
「狭山さん、あっちで顔洗って。全く……ウラ君、手が止まってるよ」
「す、すみません!」
加賀さんから指摘されて、慌てて作業に戻る。パン生地は工場から配送されてくるから、ここでは成形して焼くだけ。カリソンの全店舗で一定の品質の物を作る為と、効率化。だから従業員に十分な休みを割り振られるそうだ。
「浦良さん、積み込みして下さい。加賀さん、狭山さん。後はお願いします」
「はい!行ってらっしゃい」
「行ってきます。後はお願いします」
具材も乗せて焼くだけの生地を車に積み込み、梨瀬シェフの運転で道路を挟んで向かえにある寄り合い場に向かう。そこにあるミニキッチンで焼き上げるんだ。良い匂いが店内に漂い、購買意欲を掻き立てるらしい。
朝7時からのオープンに合わせてお客様がひっきりなしに買い求めて行ってくれて、昼前には完売してしまう。
パンを買い損ねたお客様は、向かえにあるカリソンでサンドイッチやポットパイなど付加価値をつけた料理を食べるかテイクアウトして下さいって流れだ。
「おはようございます!」
「おお。おはようさん」
寄り合い場に野菜を卸しに来ている農家さん達に挨拶をする。
「リゼさん。昨日の風が強くて林檎落ちちゃってさ、午後に拾いに来てよ。悪くなる前に馬ちゃん達のオヤツにしてあげて」
「ありがとうございます!浦良さん、ランチタイム終わったら西尾さんの畑に行くわよ」
「はい。西尾さん、ありがとうございます!」
地面に落ちてしまった果物や廃棄する野菜の外葉を、動物達にと譲って貰っている。
「『西尾さんの林檎パイ』連日即完売なんです。来年の契約数増やさせていただきたいのですが、いかがでしょう?」
「そうなの?嬉しいわぁ〜。それなら、寄り合い場に出す分を回そうかしら」
カリソン紅茶クラブは小規模生産者と直接やり取りをして、地産地消を目指している。
大口取り引きをしてくれるからと、こうして動物達のご飯も提供してもらえるから乗馬クラブとしても餌代が浮く。馬のボロは肥料として提供する。地域密着循環型だ。
「リゼちゃん。ゴボウパン美味しかったわぁ〜。ゴボウが菓子パンになるなんて、考えもしなかった。また買わせて貰うわね。
来週人参の収穫するから、作業所に馬ちゃん達のオヤツ取りに来てね」
「ありがとうございます。村上さんの人参、馬達の食い付きが違うんですよ。違いがわかるみたいです。『村上さんの人参食パン』予約数が増えてまして、好評ですよ」
梨瀬シェフは生産者さん全員の名前を直ぐに覚えて、こうして話をする。生産者さん達も自分の作った物をこうして目に見えて評価される事が嬉しいそうだ。僕も、お客さん達から美味しいって言ってもらえるとその日は一日嬉しい。
「先に『お疲れ様パンコーナー』から置いていきましょう」
「はい!」
『お疲れ様パンコーナー』とは、寄り合い場のバックヤードに設置された生産者さん限定で購入できる無人販売場だ。
梨瀬シェフ考案で、全てのパンを100円で販売している。原価ギリギリだけど、生産者さん達からもらえるオマケに対する感謝の気持ちだそう。
このパンコーナーをオープンして3週間。
初めは惣菜パンとか食パンを置いていたけど、生産者さん達の声を聞いて今は菓子パン専門コーナーになっている。肉体労働をしていたら甘い物が一番に食べたいそうだ。
『大和さんのゴボウをキャラメリゼパイに』は年配の男性人気が高い。風味がコーヒーに合う。
大和さんは若くして祖父の畑を継いでいて、助成金とか色々やりくりして勉強熱心。たまに立ち話をする仲になった。良い人なんだ。だから、その人の作った物を扱えるのが嬉しい。
「浦良さん、ココナッツフレークが足りなさそうだから2袋取ってきてくれる?」
「わかりました!」
梨瀬シェフに言われて店に品物を取りに行こうと歩いていた時だ。背後から声を掛けられた。
「おい愚図!無視してんじゃねえよ!」
「……!?」
道に停められた車から降りてきたのは、S先輩だ。隣にいるのは、この人と一緒に僕のコック服を汚した女性。2人ともニヤついた顔で僕を見ている。
「お前が此処で働いてるって聞いて、来てやったんだ。
俺はコイツと結婚したんだぜ。やっぱり若い女の方が良いもんな。あの暴力ババアを警察に突き出してくれたお前には感謝してんだぜ」
婚約者さんはS先輩に捨てられ地元に帰ったそうだ。病院に押しかけてきた事件が地元でも広まっていて、家から出れず引きこもっているらしい。
僕にしてきた事は許していない。けど、誰のためにそんな行動をしたのかわかっているのかな。
「愚図君、私妊娠してるの。わざわざ来てあげたんだから、お祝い弾んでね」
僕は笑う2人を見てしまい、反射的に動けなくなった。仕事だからと逃げたり、近寄るなって声を上げたりはできない。怖くて、できない。
「俺は隣町で新規オープンの店の店長任されてんだ。もう、全てが順風満帆だよ。
お前に色々技術を教えてやったのに、恩を仇で返しやがって。ま、それもお祝い次第で許してやるよ。わかるよな?愚図」
声を出さないと。声を出して、警察に電話するって。言わないと。言わないと…。
「ねえS。このバカ、耳が聞こえないみたいよ。脳味噌入ってますかぁ?」
「足りない脳みそに入れておけ。俺の周りの奴等も、ババアから若い子にして正解だって言ってる。
俺は仕事ができる男だから、店を任されて部下もできたんだぜ。お前より俺の方が世間では認められてんだ。わかるか?愚図」
首筋に汗が流れる。僕は、逃げたい。誰か、助けて。お願いだ。
「お〜い浦良君。どうしたね?」
僕達が寄り合い場から見えていたのか、男性が出てきて声を掛けてきた。見れば、大和さんだ。助けてほしい。お願いだ。
「ん?知り合いか?おはようございます」
「っち、きったねぇ…かよ……おはようございます。彼とは長い付き合いでして、妻の妊娠の報告と今度オープンする店の宣伝に来たんです。これ、店の名刺です。良かったらお食事にいらしてください。じゃあ、またな『ウラ君』」
「ウラ君、またね〜」
愛想良く大和さんに名刺を渡すと、2人は足早に去って行った。人がいるとこの態度の変わりよう。
僕はその場でへたり込んでしまう。やっと気が抜けた。
「大丈夫かいね?梨瀬さん呼ぼうか?」
長靴をキュッと鳴らして、農作業により綺麗に逞しくなった手を差し伸べてくれる。僕は涙を堪えるのに必死だった。
「大和さん、ありがとう、ございます」
「何か知らんが、次に何かあったら警察呼べや。アイツは俺の目から見ても好かん。ありゃ、皮を被っとるわ」
手を借りて立ち上がり、服を払って綺麗にする。ポツリと大和さんに思いを溢した。
「世間は、あの人の味方だそうです」
「はっ!世間って、何処の世間だよ。人の心の無い奴等の店なんか流行るもんか」
S先輩の呟きは聞こえていたようだ。グシャリと名刺を握る大和さんを見て、僕も腹が立ってきた。大和さんを、農家さんを馬鹿にした発言は許さない。
「大和さんが作る物は、何でも美味しいです。どれだけの手間をかけて野菜を作っているかも、聞いて初めて知る事ばかりで。尊敬しています。
僕はあの人達の友人じゃありません。ですが、すみませんでした。失礼過ぎますよね」
「お前のせいじゃねぇ。気にすんな。
あ、頼まれてたベビーリーフ出すからよ。美味い惣菜作ってくれ。じゃあな」
そう言って、まだ作業があるからと大和さんが軽トラックに乗って帰っていった。強いな。僕は、そこに辿り着けないでいる。
いけない。頼まれ物を取りに行かないと。早足で店に戻ると、ログハウス前の囲いに馬達が放牧されていた。のんびり草を喰むその姿に、胸が締め付けられる。
「期待に応えないと」
荷物を取りに来たと声を上げて、僕は店の厨房の扉を開けた。
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