第13話

馬が嫌い。-13


製菓衛生師免許の申請も無事に終わり、その足で買い物に行く。信陽さんとの約束のお菓子作りをする為だ。

僕はこの所、とても良い生活を送れている。幸せってこんな感じなのかな。


「よし、ラッピング用品も買った。帰ろう」


好きなアニメの歌を歌いながら原付を運転して、家路に着く。家に着いて台所に立ち、準備して早速取り掛かる。

完成した配合表を確認しながら材料を計り、オーブンの余熱を開始。ボウルに順序良く材料を混ぜ合わせていく僕は、錬金術師だ。


「ぷっくぷくでぷわぷわ。ぷわぷわでぷりぷり〜」


完成した生地を焼き上げている間に、引き続き歌いながら洗い物をする。ああ、楽しいな。


「あ、焼きあがった……よし!上手くいった」


タイマーが鳴り、焼き上がりの様子を見て納得する。後はラッピングして渡すだけだ。

携帯を取り出して、信陽さんにメッセージを送る。暫くして返事があり、明日の昼に届ける事になった。


「喜んでくれると思う?きっと、大丈夫さ」


人形におやすみと声を掛けて、明日に思いを馳せて眠った。


ーーー


夢を見た。内容は覚えていないけど、そのせいで今朝はあまり気分が優れない。


琢磨や他のスタッフさん達のお手伝いをして、ケーキを撫でて家に帰る。

普段通りにしているのに、相変わらずやる気が起きずボーッとしていたら、そろそろ出る時間だ。リュックの中身を再度確認して、原付に跨り出発する。


「そういえば、一人で競馬場に行くのは初めてだ」


信号を渡り、どんどん街から離れていく。刈り取りの終わった田んぼが寂しいなと横目に進み、アノ橋を渡る時に潮の匂いを感じた。


ドクンと、僕の心は冷えていく。まるで、悪夢の続きを見ている気分になる。


安全運転を心掛けて道を進み、駐車時に到着。ヘルメットを脱ぐ。地に足をつけたが、重い。


「はあっ…はあっ…」


冷や汗が首を伝う。息が苦しい。目の前が霞む。何か頬が冷たいと思ったら、涙が出ていた。


「何だよ、これ、な、何で……」


自分の身に何が起きたのか、理解できない。


すると、ガツンガンツと頭にまで音が響いてきた。何だとゲートの向こうを遠目に見れば、騎手が馬に乗って歩いている。そうか、もう、そんな時期なのか。


遠くから聞こえる。僕の存在を否定する、金を出す音。金の匂い。僕に染み付いて離れないあの、金をやりとりする光景。


『おい金食い虫。あそこに行って後ろ足で蹴られてこい。そしたら褒美にコレやる』


競馬場が生活空間だったあの頃。チョコレートパンを片手に父が僕に言う。指差された方を見上げると、入場口に沢山の観客に囲まれた誘導馬に乗る人がいた。

僕は空腹で、父に褒めて欲しかった。目の前にぶら下がる褒美。きっと唾を垂らしていただろう。僕は馬の後ろに向かって走る。


どうやったら蹴られるかなんて考えていない。蹴られたらどうなるかなんて考えつかなかった。僕は、目的の為に走った。


「……くん……浦良君大丈夫か?浦良君」


「えっ…?」


目の前に信陽さんがいる。僕は、僕なようだ。


「疲れているのか?立ったまま、ボーッとしていたぞ」


「えっと、その、すみません」


信陽さんはいつもの作業服。外回りに行っていて、これから昼食だそうだ。

ゲート横のベンチに座るよう言われる。僕の顔色が悪いそうだ。


「休憩室で横になるか?」


ガコンと音がして、僕の手に温かい物が触れる。信陽さんが買ってくれたんだ。飲み物の入った缶は中でポコリと音を立てて、僕の記憶を深く沈めてくれた。


「い、いえ。僕、その、邪魔になるので。あ、ありがとうございます。そ、そうだ!約束のお菓子です。口に合えば良いんですけど」


目的を忘れていた。リュックからお菓子の入った袋を取り出して渡す。信陽さんは中から一つ取り出した。


「へぇ……フルーツバーか」


「は、はい。甘味はドライフルーツ。ふすま粉で香ばしさを出して、蜂蜜で粘着性をつけました。

ナッツも入っていて硬さがあるので、これ一個で満足できると思います」


「馬に影響を受けたのか?……うん、見た目も味も良い。リゼも喜ぶよ」


袋から取り出して一口齧り、信陽さんが口の端を上げた。笑ってくれている。僕の冷えが、少し治った。


「馬の影響とは、どういう事ですか?」


「この材料、馬の好きな物ばかりだ。君はあのクラブでよく見ていたって事だよ」


ふと、言われた事を考える。そうか。飼い葉の準備をしている時に見せてもらっていた。僕は自分でも知らない内に心の中に馬を飼っていたようだ。


「……浦良君、見てみなよ」


ポイとお菓子の残りを口に入れた信陽さんが、指を指す。その方向を見たら、洗い場で馬から鞍を外す騎手の姿があった。優しそうな顔で、馬に何か話しかけている。それは、僕の知る競馬の光景ではなかった。


「レース前の追い切りをしているんだ。これから足に異常がないか装蹄に行く。大事が無いように」


信陽さんが前垂れのポケットから何かを取り出した。鉄を曲げた数字の6のような形の物。何か壊れたのかな?


「これは競走馬が履き終わったアルミ蹄鉄で作った、裏掘り用の道具。厩務員さんに頼まれて作ったんだ。プラスチック製より長持ちするし、使い易い」


「僕は掃除しかしていないので、裏掘りとかブラッシングはした事がないんです」


裏掘りは、馬の足の裏に詰まった泥などを掻き出して掃除する事。僕は馬に攻撃されるかもと怖くて、手入れを遠慮させてもらっている。


「そうか。それも良いさ。足は馬の第二の心臓だからな。病気にならないようにメンテナンスするのは必須だ。まあ、アフロ君からその辺りは聞いているだろうけどな」


アフロさんが言ってた。競走馬は軽いアルミ製の蹄鉄を履いてるって。鉄より擦り減り易いからメンテナンスの回数が鉄製より多いって。


クルクルと特製の裏掘り器具を指で回しながら話す信陽さんは、やっぱり職人でカッコいい。


「装蹄師になって、初めて作ったのがこの道具でね。厩務員さん達に名刺代わりに渡して回ったんだ。

次に来る時に、追加で作ってくれって言って言われた時は嬉しかった。俺の技術をかってくれてるって事だからな」


信陽さんの話す横顔。僕の知らない装蹄という技術。この人は、沢山馬と関わって生きてきたんだろうな。


「馬は、好きですか?」


「そうだな……嫌いじゃないと言っておこう。何だ?アフロ君みたいに好きだって言うと思っていたか?」


僕は顔に出やすい。でも、信陽さんの顔に、続きを聞いても大丈夫だと悟る。


「それでも、装蹄師をしているんですね」


「そうさ。この世界を知って、それでも装蹄師を生業にしている。一度離れたが、戻ってきてしまう魅力があったんだ」


「そう、なんですか。あの、失礼でなければ理由を聞いても良いですか?」


彼は、僕の質問に答えてくれた。


「誕生から関わった馬がいてさ。性格は良かったが、値段がつかなくてな。肥育牧場送られたんだ。経済動物だから、よくある事さ。

だが、1年間も俺にあの愛くるしい目を向けてくれたアイツの目を忘れられなくてな。夢に出てきたから辞めたんだ。そして、夢で会えたから戻ってきた」


肥育牧場で働く人達がいるから、食肉やペットフードが安価で手に入る。全てを知り感謝しているからこその、この言葉は重みが違う。


「話してくれて、ありがとうございます」


「君と話せて良かったよ。……3日後が本番だから、アフロ君も忙しくしている。これリゼにも渡しておく。ご馳走様でした。また来いよ」


「あ、あの。お忙しい所、ありがとうございました」


信陽さんが後ろ手に手を振りながら、厩舎に向かって歩いて行った。


「あ……」


そういえば、彼の昼休憩を全て僕に使わせてしまった。


「ありがとうございました」


僕は立ち上がり、彼の背中に一礼する。


貰ったお茶を飲もう。ベンチに座り直しパキリとフタを開けて口に含むと、温かく優しいほうじ茶の香りが冷えた体に染み渡った。記憶がまた、僕の中から湧き上がる。


馬に駆け寄った時だ。優しくて力強い腕に抱き締められたんだ。


『元気だね。そんなに馬が好き?ほら、ここを撫でてごらん』


制服を着たその人は、スタッフの人だろう。抱き抱えられたまま馬の首元に連れられて、触るように言われたんだ。馬に乗った人も、触ってあげてと優しく僕に言ってくる。

僕は黒くて大きく、綺麗に輝く馬が怖くて触れなかった。けど、大人達は優しかった。


『大丈夫だよ。また今度、触ってあげてね』


「……そうだ。優しかったんだ」


僕の記憶は、何を思って馬を拒絶していたんだろう。理由はもう、わかっている。


『馬が憎いだろ。クソな存在じゃないか』


僕を諭してくる自分。僕を包み守ってくれている。だけど、その殻は酷く歪んでいた。


記憶にある黒く大きな馬の目は、僕を優しく見つめている。母や叔母さんのように、優しく。


『馬は……』


「馬は、綺麗だったんだよ」


僕は僕の言葉を遮る。そして僕の言葉に、僕は驚く。頬に伝う涙は、温かかった。


『………』


「大丈夫だから、少し見守っていてくれないか」


僕からの返答は無い。それは、僕は僕だからだ。


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