第11話

馬が嫌い。-11


有馬オーナーは準備があるからと先に行った。僕は急いで朝食を食べて、アフロさんと共に室外運動場へ向かう。


いつも早朝に見るのは、馬に乗った人が運動場を目一杯使って駆ける様子。でも今、僕の目の前では8頭の馬がメリーゴーランドのように、グルグル周っている。

中心に立っているスタッフさんを軸に円を描くようにして、それぞれの馬に手綱を持ったスタッフさんがついているのが、散歩する犬みたいだ。


「丁度、初心者クラスをやっているね。ああやって一定の距離を保ちながら歩く練習をしている。姿勢良く乗り、馬のリズムにあわせた体の使い方を勉強しているんだよ」


「馬って、乗るだけじゃないんですか?」


「観光用の馬だと乗せられていられているだけで十分なんだけど、馬術をするなら話は違う。馬と呼吸を合わせて指示を伝えないと、上手くコミュニケーションがとれないんだよ。コッチがしたい事を伝えられるようにならないと、見た目も悪いし落馬する恐れも高くなる」


よく見れば、騎乗している人達は体を上下している。これが馬に合わせた体の動かし方かな?

グルグルと回るだけのこの練習に、僕はケーキ作りの練習を思い出す。クリームを塗るケーキ台に焼き型を置いて、台を回転させながらバタークリームを表面に塗っていくんだ。

バタークリームを使う理由は、生クリームは触りすぎると分離するから。塗ってはバタークリームを取りを何回も繰り返す。何回も何回も。


コツが掴めていくのは、とても楽しい。騎乗している人達も同じ気持ちなのかな。真剣だけど楽しそうな雰囲気だ。


「あ、有馬オーナーが来たよ。隣の馬場に移動しよう……あれ?信陽君、どうしたの?」


栗毛色のニルギリに乗った有馬オーナーが出てきた。アフロさんの話を聞きつつ移動していると、信陽さんが厩舎の方から歩いて来る。僕は立ち止まり、しっかりと挨拶をした。


「おはようございます信陽さん。あの、お菓子の試作は進んでいるので、もう少し待っていて下さい」


頷くのが見える。相変わらずの無表情だ。だけど嫌な気持ちにならない。この人の優しさを知っているから。


「楽しみにしているよ。ニルギリの蹄鉄を新しく履かせたから、具合を見たいんだ。それに、有馬オーナーの馬術は、見れるなら見たい」


「その気持ちはよくわかる。浦良君、有馬オーナーは大会優勝の実績があるんだよ。去年もそうだね。」


「えっ…そうなんですね」


優しい老人オーナーとしか思っていなかったけど、そんなに凄い人なんだな。


行き着いた馬場は、バレーコート2つ分程の広さ。周りは柵で囲ってあり、等間隔でアルファベットの立て札が並んでいる。ぐるっと一周AからH。砂地は馬の走った跡のない、まっさらな場所だ。


これから有馬オーナーによる馬場馬術を観れるらしいってことしかわからない。

馬場馬術も動画を見て名前を教えてもらったばかり、これからどんな事が起こるのかわからない。ドキドキしながら待つ。


入り口近くの柵に立つアフロさんの近くに寄ると、これから馬と有馬オーナーを入れるから、危ないよと声をかけられる。信陽さんを見ると手招きしている。あっちが正解らしい。


長方形の馬場の柵の外、長辺側の真ん中あたり、Bのアルファベットが立ててある。そこに陣取っていた。


僕を挟んでアフロさんと信陽さんが両隣に立つ。2人とも若干興奮気味なのが伝わる。そんなに面白い事が始まるのか。アフロさんが解説を初めてくれる。


「馬場馬術は、馬を美しく正確に運動させる競技なんだ。新体操とかフィギュアスケートのようなものさ。

それでね。オリンピックで馬術は唯一、男女関係無く動物と共に競う競技なんだよ」


「そう言われたら、そうですね。今まで考えた事が無かったです」


有馬オーナーが馬場の真ん中へ進んできた。停まってスッと手を下げて合図する。始まるようだ。ニルギリに乗った作業服姿の有馬オーナー。ニルギリの姿勢も一気に変わって、頭が上がる。ピンと空気が張り詰めた。何だろう、かっこ良く見える。


「……始まるよ。まず真ん中Xで挨拶をしてスタート。直進してCまで進むよ。左に曲がり4歩、角を曲がり4歩でHに進む。Fまでハーフパスという斜め移動をするから見てて」


アフロさんは、預言者なんじゃないかな。そう錯覚させる程に、言われたとおりにニルギリが足を動かす。歩数まで正確だ。凄い!それに、馬はこんなに器用に歩けるんだな。斜めやスキップ、ジャンプ。驚いている僕にアフロさんが立て続けに解説する。


「Kの所で7歩で左周りにまわるよ。これをピルーエットという。

伸長駈歩からの速歩の動きは肩の力が抜けていて、足も伸びていて綺麗だ。あ、歩いてる状態からかけ足になる事ね。

有馬さんのお尻が浮いていないのが見える?正反動という乗り方でね。とても技術がいるんだ」


アフロさんの解説を耳に入れつつ、僕は視線を外す事ができなかった。

有馬オーナーは魔法使い。そう言われたら信じてしまう程に輝いている。光や空気を彼等が纏ってダンスしているみたいだ。


「ワンクッションおいて、ピアッフェ。その場で移動する事なく足踏みをする。20歩でフィニッシュだ……美しかったね」


ハッとして、僕は現実世界に戻って来た。僕は魔法にかかっていたようだ。


有馬オーナーがニルギリに乗ったまま、僕達の所に来た。有馬オーナーがニルギリに声を掛けて降りる。

ニルギリが汗を流しながら有馬オーナーに擦り寄り甘え始めた。頭を撫でられ嬉しそうにしている姿は、大きさと反比例して、お遊戯を頑張った幼児に見える。


「うーん。全体的には良かったけど、パッサージュはまだまだ練習あるのみだね。浦良君、どうだったかな?」


「えっと、その。ダンスしているみたいでした。とても、綺麗でした」


こんな素人の僕は余計な事を言わないのが一番良い。だけど、どうにか素晴らしかった事を伝えたくて精一杯考えた言葉はこれだ。


どう受け取られたかな。失礼じゃないかな。僕の言葉に有馬オーナーは嬉しそうに何度も頷く。ニルギリが僕に鼻筋を近付けてブシューッと鼻を鳴らした。ドヤ顔だ。


「そうかそうか。お褒めの言葉、ありがとうございます」


「有馬オーナー、流石でした。見学させていただきましてありがとうございます」


信陽さんが有馬オーナーに話しかける。目が輝いているのがわかる。馬は、この人にこんなに良い顔をさせる程の魅力があるんだな。


「ありがとう、信陽君。ニルギリもいつもどおり歩きやすいって喜んでいるよ。では、浦良君。お手伝いありがとうございました。また宜しくお願いします」


有馬オーナーと信陽さんが話しながら厩舎に戻って行った。去り行くニルギリの逞しい太ももを見ていたら、アフロさんに肩をポンと叩かれる。衝撃で変な顔をしていたらしい。呆けていたと思う。恥ずかしい。


「蹄鉄師はあまり知られていない仕事だけど、とても大切な仕事なんだよ。

装蹄によって馬の健康や走りに影響を与えるんだ」


「僕は信陽さんの仕事を何も知りません。いつか、見てみたいです」


「君が馬一頭一頭をもっと知った頃に見学させてもらうと良い。じゃあ、私は仕事に戻るね。また明日お願いします」


「はい。ありがとうございました」


僕は魔法の余韻が残ったまま、隣の馬場を見る。練習は終わっていて、順番に洗い場で馬の手入れをしていた。

鞍を外して、裏掘りといって馬の足の裏に詰まった泥をブラシで掻き出している。騎乗していた人達は馬にお礼を言っていた。今日もありがとうと。


『ありがとうございました』


僕がここに来てから、全ての人がお互いに言い合っている。この言葉は、魔法の言葉だ。嬉しくなるし、自分も自然と口にする。


「……いいな」


今日帰ったら、人形に良い報告ができそうだ。そう思った時だった。


「ぐるえええええ!!」


「あっ!馬鹿山羊!また首輪抜けたのかっ!?」


サンドイッチが小屋の向こうから僕に走って突進してきた。マズイ。ヤバい。受け身をとってツノを掴んで元の所まで連れて行かなければ。僕に出来るか?いや、しなければいけない。

先程の有馬オーナー達を見ていたら、僕もただの一般人からステップアップできるんじゃないかなって思えたんだ。僕は逃げないぞっ!


「喧嘩売った事を後悔させてやる!来い!サンドイッチ!」


「ぶろああああっ!!」


こうして僕はサンドイッチと格闘し、何とか捕獲する事に成功した。


これで僕も少しはレベルアップできただろう。でも、現実は甘くない。


「ぶはははっ!ウララちゃんのその腕の痣!クマみたいなマークになってる!可愛いな!紋章みたいだ!」


数日後、琢磨に指摘されて二の腕に変な治りかけのアザができている事に気が付いた。他のスタッフさん達も可愛いからとか、大丈夫だからとか。笑いを堪えつつ僕を宥めてくるから余計に恥ずかしい。


「……最悪だ」


僕のこの気持ちと裏腹に、日向ぼっこしながらモシャモシャと草を咀嚼するサンドイッチ。コイツは更に僕の天敵となった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る