第10話

馬が嫌い。-10


凄くドキドキする。でも、それ以上にワクワクした。フワフワしてる。


この試験会場に座っている受験生は、プロのパティシェを目指す仲間達だ。この張り詰めた空気感が、大学受験をしていたあの頃の自分と重なる。自分の番号の席は思いの外、すんなり見つかった。着座してお茶を飲もう。カバンから取り出そうとしたら手が震えて力が入らない。緊張しているんだ。やっと気が付いた。背筋がゾクゾクする。


開始と同時にペンを取り、問題を一瞥してホッと息を吐く。これもわかる、次もわかる。震えが治まった手を動かして、マークシートに僕の2年間を全て出しきる。終了時間前には3回確認ができた。


試験が終わり、家に帰って過去問題を見ながら正答を確認。大丈夫そうだ。

後は1ヶ月後に発表される結果を待つだけ。その間に、信陽さんとの約束のお菓子の試作をする。何を作るかは、もう決まっている。乳脂肪や糖類を控えめにしつつも優しい甘味を感じるお菓子。美味しい物を作るんだ。

何回も紙に分量を書き出し、何回も味を確認する。この狭い台所は、僕専用のステージだ。


「大丈夫。きっと、うまくいく」


店長とS先輩の言葉を思い返しながら、優しく生地を捏ねて纏めていく。


『お菓子作りはな、女を扱う時みたいに繊細にな。良い具合に仕上がる』


『加熱中はこまめに見ろ。少しでもよそ見すると、女みたいに直ぐにへそ曲げるからな。焦がしたら金払えよ』


僕は女性と付き合った事は無い。けれど、真剣に丁寧に向き合えば確かに良い物に仕上がっていく。物作りはなんて楽しいのだろう。


ーーー


乗馬クラブの手伝いを始めて3週間。ボロ運びも板についたと思う。毎日の肉体労働は筋肉痛ももたらしたけれど、それも次第に薄れていった。筋肉が少しなりとも、付いた気がする。

心身共に健康な生活を送れて、悪くない気分だ。単純労働は楽しい。


僕の後ろを馬を引く人たちが通る。これから乗るのかな。乗馬クラブに通うのは好きになったけれど、アレには乗りたいとは思えない。少し後ろめたい気持ちで落ちているボロを眺めた。まだ、コチラの方がいい。


相変わらずサンドイッチとスコーンとは良い関係を保てていない。でも、攻撃をかわすのは上手くなってきた。

クッキーは僕を見ると尻尾を振ってくれるようになったのは良いけど、僕の足の甲に大きなお尻を置くのはいただけない。もっさり毛のお尻が重い。何を考えての行動かわからない。

そういう訳で、ケーキが僕の癒しの場になっている。いつもフワフワで優しい。


「この後時間あるかな?馬達が慣れてきたから、馬房掃除を見てみない?」


朝、いつものように洗い場の掃除をした後、アフロさんに呼び止められて提案される。厩舎の中に。何だろう、ドキドキする。不思議と嫌な気持ちではない。言葉から察するに、馬達が出払ったあとにやる作業のようだし。


「わかりました」


アフロさんが僕にニコリと微笑み、厩舎の中に案内される。草や馬の臭いが僕を刺激する。馬のいない部屋を掃除するらしいけど、馬がいる部屋もあるのか。視線を向けると、前脚に鼻を擦り付けていた馬が僕の方を向いた。が、一瞥しただけでまた鼻を擦りだしてくしゃみをする。幸いにも僕には興味、無いようだ。


「馬達も落ち着いているね。浦良君も、慣れたからだよ」


アフロさんがフォーク片手に馬が出ている馬房に入り、床に敷かれたおが屑の一角をかく。手慣れた様子で僕に説明しながら素早く綺麗にしていく。


「人は千差万別だろ?馬もそうでね。一説に、馬のリーダーは群れを守る為に臭いで敵を寄せ付けないよう一箇所にトイレをするらしいけど、ここの馬は皆自由。オシッコやボロをする場所がそれぞれ違ったりする。ボロの上で毎日寝る子もいる。


でも、ご飯を食べる所は綺麗に使う子が殆どかな」


フォークをおが屑の塊に差し入れ、掬い上げる。オシッコの水分で固まっているそうだ。ボロの数や形状を見て馬の健康状態を確認しているらしい。

まさか、毎回ボロが何個か数を数えなきゃいけないのかな?嫌だな。僕の不安をよそに、ザクッザクッと良い音を立てて掃除を続けるアフロさん。


「ボロが少ないのが一番危険なんだ。疝痛や腸捻転。お腹の病気の恐れがある。馬は痛いって口にできないからね。早期発見できるように、細かく丁寧にみていくんだ」


汚れたおが屑を、馬房の外に置いた一輪車の荷台置きに積んでいく。まだ使えるおが屑はトイレする辺りに寄せて、もう一台の一輪車に積んである新しいおが屑をご飯や水が置いてある部分に敷く。使い回していくそうだ。


「これでお終い。この作業の繰り返しさ。何か質問はあるかな?」


「そのフォークみたいな物の名前って何ですか?」


「これ?フォークだよ。馬に当たると怪我をさせるから、取り扱いには注意してね」


カラカラと鳴るでかいフォークみたいな物は、そのままフォークだったのか。やっと名前を聞けた。


「浦良君。いつも来てくれて、本当にありがとう。他のスタッフ達も褒めていたよ。仕事が丁寧だって」


「そうですか」


僕はそう言った後、少し考える。初めてアフロさんと会った時、僕は褒められている琢磨に嫉妬したんだ。それは、努力が結果に繋がらない現状への苛立ちだけじゃない。好意を素直に受け止めている純粋な受身の心だ。綺麗でまっさらな。


僕はどうなりたい?それは、わかっている。こんな言葉では駄目だ。信陽さんのときと同じ失敗だ。わかっていても卑屈になるのは抑えきれなくて。つい、アフロさんに甘えてしまった。


「あの、こんな僕でもお役に立てて嬉しいです」


「謙遜する必要は無いよ。それに……君が穏やかになってきたから、動物達も心の赴くまま、接しているんだ。もうここの一員だよ。


気付いてなかったの?」


「……全く」


自分の知ろうとしなかった部分を指摘され、急に恥ずかしくなる僕に、それは良いと笑うアフロさん。こういうの、高校時代に戻った気分だ。


「浦良君は競馬場以外で馬が人を乗せている所を見た事無いでしょ?時間があるなら今から初級者が練習するから、見学していかないか?僕が解説もしてあげよう。今日は余裕があるんだ」


「そうですね。お邪魔で無ければ少し見てみたいです」


「そう言ってくれて、嬉しいよ。事務所に朝食を用意してあるから一緒に食べよう」


アフロさんに誘われて、事務所に向かう。椅子に座り、出されたクロワッサンとコーヒーをお礼を言って口にする。このパン、どこかで食べた事のある味だ。コーヒーは有馬オーナーによく出してもらっている味。香ばしさがクセになる。そうだよな、香りって美味しいよな。

双方相まって美味しい。幸せだ。


アフロさんがスマホを取り出して、動画を流しながら馬術について説明してくれる。


どの程度知ってる?と言う問いに対して僕は、

柵を飛ぶ競技がある事ぐらいですかね、と答えた。名前もわからないと言ったら、障害という競技だと教えてくれた。人間で言う、障害物走のような感じらしい。

他にも馬場馬術といって馬を駆け足とかゆっくり歩かせる競技があるそうで、馬と人の一体感を見られるそうだ。


「馬が何か変です。かわった歩き方をしていますね。ねじ巻き玩具になったみたいだ」


「可愛いよね。競走馬としての才能が無くても、こういう所で活躍する馬も沢山いるんだよ」


「それって、こういう競技が無くなったら処分される馬が沢山いるって事ですか?」


唐突な質問だとは思う。でも、気になるんだ。父の言葉が染み付いているから。肉になるだけの存在。わかっている。牛や豚と何か違いはあるのかと聞かれたら、答えられない。


「そう言う存在がいるって、良く知っているね。馬場馬術の歴史はとても古い。そうそう廃れる文化では無いよ。公式競技が減るとか無くなるとかはあるかも知れないけれどね。競技が無くなったからと言って、乗用馬が全部処分とかは無いんじゃ無いかな」


そう言った後、アフロさんはコーヒーを一口飲み少し厳しい声になった。


「逆に、競走馬としての才能しかなく、処分される馬もいる。とても厳しい世界なんだ」


「じゃあ、競走馬は全部肉になっているんですか?」


「最近では引退馬の引き取り先が増えてきたけど、少し前はそうなる馬が殆どだった。

競馬場としての才能と乗用馬としての才能。乗用馬としての才能がある子だったら、そう言う運命から救いたいよね。


ここにも元競馬馬の子達がいるんだよ。最期のその時までここにいるよ」


僕はホッと息を吐く。それと同時に現実を知り、ヒヤリとした。僕も自分を処分したいと思った事があったからだ。拾ってもらわなかったら、ここには居ない。

今、手に持っているクロワッサンの味にも出会えていなかった。


「おや?浦良君。帰ってなかったのか」


「お疲れ様です。浦良君と馬術の話をしていたんです」


クッキーと共に有馬オーナーが事務所に入ってきた。クッキーは何かを食べてきたのか、口の周りをペロペロと舐めている。


「クッキー、蹄をもらえたのか?良かったな」


尻尾を振ってご機嫌のクッキーを撫でるアフロさんに聞いてみる。


「蹄って、まさか馬の蹄ですか?」


「そうだよ。信陽君が来ているんだ。今日は4頭お願いしていてね、削蹄した蹄はクッキーのオヤツになっているんだ」


何故か僕の頭の中に、爪の垢を煎じて飲むってことわざが出てきた。これは爪を齧るだけど。


「今からニルギリに乗ろうと思っていたんだけど、良かったら見てみる?アフロ君、解説宜しくね」


「わかりました。浦良君、良かったね」


作業服の有馬オーナーが棚に置いてあるヘルメットを被る。その顔は、穏やかな表情から真剣なものに変わった。僕はこれから何を見せて貰えるのだろう。










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