第9話

馬が嫌い。-9


乗馬クラブで手伝いを始めて1週間。

なんとか掃除できるようになってきた。水を使う時に跳ねてうっかり長靴や軍手につくと、急いで流すけど。まだ汚い気がする。背筋がゾワゾワする。慣れないや。


手伝いが終わり、同じ敷地内にいる他の動物に挨拶をしてまわる。


「モェー、ブェー」


「わかっているよ。ほら」


丸太に繋がれている黒い羊のスコーンの飲み水を新しく変える。早く渡さないと噛もうとしてくる恐ろしい羊だ。


「ケーキ、おはよう。少し触らせて……可愛いね」


専用の柵の中でまったりしているフレミッシュジャイアントウサギのケーキ。ぷっくりしている肉垂部分を撫でるのが僕の日課になってしまう程、柔らかくて温かくて優しい。水を変えてケーキで癒されてから、最後にヤギの所へ行く。


「おはよう、サンドイッチ……だから、やめろって馬鹿山羊!」


「グエエエエエ!」


サンドイッチは僕を見ると、可愛くない鳴き声を上げて突進してくる。

雌だからツノが小さくて怪我が少なくて済んでいるけど、一回太もも辺りに頭突きされ青あざができた。僕の天敵だ。目が横なのもあってか、哺乳類なのに異生物って感じがして愛着は湧かない。

素早く水を交換して、奴の攻撃範囲から逃げる。繋がれた丸太を引っこ抜かんばかりの気性の荒さ。サンドイッチもスコーンも馬には優しいのに、僕が何したって言うんだ。


「おーヨシヨシ。サンドイッチ、元気だなぁ!」


ボロ運びを終えた琢磨が一輪車を押してやって来て、サンドイッチの頭を撫でる。やっぱり僕にだけ攻撃的なんだ。


「僕が一方的に攻撃される理由ってわかるか?」


「自分より強いと思う相手に勝ちたいからじゃないか?それだけウララちゃんが逞しく見えるのさ」


「僕は一定のほどよい距離を保った関係になりたいよ」


「いいじゃんか。ケーキには好かれてるんだからよ。俺がケーキに触ろうとしたら、後ろ足を叩いて威嚇してくるんだぜ。

あのモフモフの肉垂に頬を擦り寄せたいだけなのにさぁ」


「それは、嫌われて当然だろ」


琢磨が動物好きな事は高校時代から知っていた。それで、奴の灰色っぽい白色の髪の毛の色もそれが理由だとも教えて貰った。


この乗馬クラブに来てから、僕の馬に対する嫌悪感はあまり出てこないでいる。僕に悪意を向けてこないからだ。


ーーー


手伝いを始めて3日目の時だ。


「ウララちゃん、俺の好きな子を紹介するよ」


手伝いを終えて、ケーキを撫でている時だった。琢磨が真剣な笑顔で俺に言う。

恋人がいるのに、俺は琢磨の家に1ヶ月も居候していたのか!琢磨の両親も是非にと誘ってくれたから甘えたけど、僕に気を使って何も言わなかったんだな。申し訳ない事をした。


「ごめん。恋人がいるのに、居候して。相手の人にも謝らさせてくれないか?」


「いや、俺の一方的な恋さ。この髪の毛の色も彼女に合わせて染めたんだ」


まだ正式に付き合っていないのか。琢磨の想い人は年上なようだ。


「ルフナは23歳でさ。年上の魅力っての?本当に素敵なんだ」


付いてきてくれと厩舎の中に入る。僕が入って大丈夫なんだろうか。このスタッフさんの中の誰なんだろう。そう思って詮索していると、一番手前の馬房前で止まる。


「この子さ。ルフナ、そろそろ運動に出ようか」


真っ白な体毛のルフナ。芦毛という色だそうで、年を重ねると灰色から白毛に変化していくそうだ。馬は年×4が人間に例えた年といわれていて、そうなるとこの馬は90歳程か。かなり熟女だな。


琢磨が手慣れた様子で馬房に入り、用意してあった『無口(むくち)』を装着させる。皮で作られた犬の首輪みたいなものだ。これを着けると馬は仕事モードになるそう。


ルフナが無口に手綱を付けられ、琢磨に手綱を引かれて馬房から外に出る。僕は少し離れた所でその様子を見る。琢磨の指示に従い一定の間隔を保ちながら歩くその仕草はとても優美で、白馬のお姫様だ。


「ルフナは競走馬だったんだ。子宮の病気でその後が危ぶまれたんだけど、有馬さんが引き取ってここに来た。

彼女がいると、二本足で立ち上がる程興奮した馬も大人しくなる。ルフナの気持ちが伝わるんだろう。だから、彼女はどの馬が放牧されていても大丈夫なのさ。相性が悪いと喧嘩するからな」


室外運動場にルフナを離すと、直ぐに馬が寄ってきた。挨拶をしているかな?何頭も寄ってきてルフナに構って貰おうと争いになりそうだが、皆で仲良くしている。ルフナがいるから。


「誰よりも馬の扱いに長けているのか。亀の甲より年の功だな」


「そうだな。それに、ここまで穏やかな性格の馬は、そういないよ。2年前まで子供専用に乗用馬として活躍もしていたんだ。どれだけ子供が泣き喚いたり目の周りを触ったり耳を引っ張っても大人しくしていたんだって。今は、セラピー馬として活躍中だ」


ルフナが一番構って欲しそうに首を振る馬の首元あたりを頬で撫でる。すると、その馬は嬉しそうに鳴いた。馬が喜んでいる。馬はこんなに感情豊かなんだな。新しい発見だ。

琢磨は他の馬の世話に行ったので、僕は馬達の戯れる姿を柵越しに見る。


馬達は追いかけっこをしたり、構って欲しくてわざとお尻を噛んでみたり。怒って鳴いたり。小さな子供のような姿に、僕は面白さと共に悲しさも蘇る。


小さい時に出来なかった友達と遊ぶ行為。ふざけて落ちないように側溝近くを歩く同級生達の姿。昨日みたアニメの話をして、主題歌を歌う彼等。僕が出来ない事を当たり前の日常として取り入れている光景。

僕はこの柵越しのように、その光景を見ているだけ。そこには行けない。


「あの頃みたいだ」


一つ違うのは、今の僕は自分で選択した道を歩んでいるという事。誰かに押し付けられてではなく、自分の足でここにいる。これ程に贅沢な事は無い。


「あ。ルフナだ」


地面に転がって砂浴びをしていたルフナが、僕の側に来る。僕は馬に直接関わるようになってまだ3日目だ。でも、彼女の気持ちが何となく伝わってくる。僕を嫌っていない。


僕は自然に手を伸ばし、ルフナの鼻の上辺りを撫でていた。白くて綺麗な彼女は、目を細めて僕を見てくるように感じる。不快感は無い。あるのは、くすぐったい不思議な感覚。

僕の子供時代を、良い色に染め直す事ができたような気分になる。僕は柵を越えたんだ。


存在すら嫌で仕方ないのに、何で僕は触れられるのだろう。自分がわからない。


「混ぜてくれて、ありがとう」


自然と言葉が口から出ていた。ルフナはまた遊ぼうねと言うかのように首を降って、仲間達の所へ歩いて行く。それにしても、馬は不思議な生物だな。


ーーー


あの出来事から4日経つ。僕はここに来る事に緊張と不快感が無くなっている事に気がついたんだ。ここのスタッフさん達が優しいのもあるけど、何より馬の優しさに触れたから。

でも、それを嫌悪する自分が心の中心に存在する。

走る事しか脳が無い、金儲けの為にだけ存在する馬なんだぞと、僕の耳元で囁いている。その通りだと思う自分も嫌になる。


僕の目の前で何とかしてケーキの気を引こうと人参を貢ぐ琢磨。でも、気配に敏感なケーキは距離を置く。大きいけど俊敏なケーキ。彼等のやり取りを見るのは面白い。


「そろそろ行くよ。またな」


「おう。全部出し切ってこいよ」


琢磨と別れて事務所に行き、帰る挨拶をする。クッキーが机にむかう有馬オーナーの足元で寝ていた。


「浦良君、お疲れ様。今日が試験日だよね。少し息抜きしていって」


「ありがとうございます。いただきます」


優しく僕に向き合ってくれる有馬オーナー。手伝い初日に最初に会った人だ。有馬オーナーが隣の机に置いてくれたコーヒーに口をつける。


「どうかな?」


「美味しいです。酸味が強くて、深煎りだからデザートと合わせたらとても合いそうです」


「そうかそうか。それなら、良かった」


有馬オーナーが机の引き出しから袋に入ったクッキーを取り出して、勧めてくれる。馬の蹄鉄の形をしたクッキーだ。遠慮なく取り出して食べると、歯応えのあるそれは全粒粉が使われていて、コーヒーとの相性が抜群だった。凄く美味しいな。誰が作ったんだろう。


「美味しかったです。ありがとうございました。行ってきます」


「ああ。良い報告を待っているよ」


今日はこのまま製菓衛生師試験の会場に行こうと、駐車場に原付を置いてある。

信陽さんと琢磨に運転の仕方を教わったけど、まだ不慣れではある。乗らないと上手くならないし、試験会場までは広い田舎道路だから人を巻き込む恐れはそうない。


ヘルメットを被り、シートに跨りキーを回す。軽く回るエンジン音が耳に小気味良く響く。


僕の相棒、今日も宜しくね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る