第7話

馬が嫌い。-7


新しいアパートの部屋で、布団に寝転びながらスマートフォンに表示された問題を解いている。


「ええっと、『原動機付自転車に同乗する人も、つとめてヘルメットをかぶらなければならない。』…原付って二人乗りできたっけ?バツにしておこう…よし。合ってた」


つい、独り言が出る。一人暮らしだから構わないだろう。今後を考えてスマートフォンを持つ事にした。今まで使っていた携帯と全く違う。知らない機能に驚きつつ、自分の為にお金を使えている嬉しさを噛み締める。

でも、今の僕は無職だから無駄遣いしないように節制しないと。


2ヶ月程前の僕には想像も出来ない世界が広がっていた。

S達は、治療費を請求せず事件を大事にしないかわりに遠くに引っ越して貰った。

だから僕は、前に住んでいたアパートからあまり離れていなく、交番が近くにある物件にした。琢磨がゴリ押ししてきたのだ。

過去の仕打ちには納得できないし、信用もしていないけれど。天涯孤独の僕には人の目が必要だから、と言う理由らしい。


ほんの少しだけ家賃は上がったけど、風呂がついた部屋に住めている。隣に気を使い声を顰め、台所で冷たい水で髪を洗わなくて良い。とても贅沢で幸せだ。怖いくらい。


琢磨には1ヶ月程住まわせて貰ったお礼を無理矢理置いて来た。そうしたら引っ越しを手伝ってくれた。僕は元々、荷物は少ないからあっという間に済んだ。色々と世話になってばかりだ。


乗馬クラブの手伝いはと言うと、梨瀬さんが話を進めておいてくれた。それで、身分証明書にもなるから原付の免許を取ってみたらと言われた。乗馬クラブの手伝いが始まる前に取っておこうと、明日の試験に向けて勉強中だ。


「全問正解。よし、明日に備えて寝よう。……おやすみ」


引越しを機に買った棚。好きなアニメのキャラクター人形を飾り、毎日声を掛ける。変な奴だと自分でも思うけど、僕の支えになってくれているんだ。

これからは、良い報告が出来たら良いな。


ーーー


「おめでとう!ウララちゃんなら取れると思ってたぜ!」


翌日。無事に免許が取れて、迎えに来てくれた琢磨に伝えると一緒に喜んでくれた。


「ありがとう。それでさ。大学の授業もあるのに迎えに来てくれた訳を、そろそろ教えてくれないか?」


「ん?まあ、取り敢えず行こうぜ。後ろ乗れよ」


琢磨からヘルメットを渡され、僕は不審がりつつも後ろに乗る。

バイクは僕のよく知る道を走り、競馬場の関係者専用の駐車場に到着した。もう、橋の上で気持ち悪くなったりしない。トラウマから解放されつつあると、感じた。


「何で此処?」


「まぁまぁ。連絡してあるからさ、行こうぜ」


バイクから降りて琢磨の隣を歩きつつ、周りを見渡す。馬をひいて歩く人や、道具を抱えて歩く人達がいたり。静かでとても賑やかだ。知らなかった光景。こんなに沢山の人が働いているんだな。


アフロさんの所に行くのかと思っていたけど、違う建物に向かう。

ここは作業所のようだ。カンカンと何かを打ちつける音が外まで響く。何をしているのかと建物の入り口から中を覗き見ると、変わった台の上で蹄鉄を叩いている人達がいた。

沢山置かれた蹄鉄に炎の音。チャップスみたいな作業ズボンを履いて金槌を振り下ろす人達の姿は、ファンタジー世界の鍛冶屋みたいだ。カッコイイ。


「ここは『装蹄所(そうていじょ)』。ほら、前に会った信陽さん覚えているか?その人に会いに来たんだ。

あ、ほら。あそこで蹄鉄を叩いている」


琢磨が手を振ると、信陽さんが此方に気付いて手を止めて来てくれる。無表情だ。これがこの人の普通の表情なんだろうか?


「こんにちは信陽さん。ウララを連れてきました」


「こ、こんにちは。あの、この前はすみませんでした。お仕事の邪魔をして」


「ああ。……合格おめでとう。やるよ」


信陽さんがズボンのポケットから何かを取り出して、僕に渡してくる。鍵だ。


「あそこのシルバーの原付だ。必要な登録書類はヘルメットと一緒に収納スペースに入れた。廃車手続きは済んでいるから、役所に行って登録とナンバープレート貰ってこい。付けてやる。任意保険も入れよ。

そこの道路は私有地で、今の時期は使われていないから運転の練習しろ。じゃあな」

 

原付に指を差し、向こうの道路を指差し、必要な事は言ったという感じで去ろうとする。慌てて声をかけた。


「ちょ、ちょっと待って下さいっ!」


「タイヤの空気圧もオイルも確認してある」


「あ、いや、あの、僕に原付を譲って下さるんですか?」


今更なんだという雰囲気になったけど、こちらとしたら驚きだ。こんな高い物を僕に譲ってくれるのか!?


「遠慮するな。新しいバイクを買う予定だったから、乗ってくれ」


「あの、ありがとうございます。お礼を渡させて下さい」


信陽さんが『面倒臭い』って顔に変わった。こんな表情も出来るんだな。いや、そんな事を思っている場合じゃない。僕が面倒臭い奴であろうが、お礼はしっかりしたい。


「お願いします」


僕の必死の訴えに信陽さんが2秒程目を瞑った。考え事をしたらしい。

パッと目を開けたら、作業所を指さす。


「装蹄師は3人いる。馬に乗る者は体重を一定に維持しているから、甘くてカロリーの低い菓子を作ってくれ。数が作れそうなら、リゼの分も」


「そ、それだけで良いんですか?」


「甘くてカロリーの低くて美味い菓子だぞ。『それだけ』の事か?」


信陽さんの目が、僕を職人として見ている。僕は背筋が自然とシャキッとなった。そうだ。僕はこれから自分の作った物を自信を持って出せる、プロになりたいんだ。


「はい。必ず、美味しいって思っていただけるお菓子を作って持って来ます」


フッと信陽さんが笑った。期待してくれているのかもしれない。その気持ちに応えたい。仕事中だからと去って行く背中を見送り、そういえば琢磨が居なくなったと辺りを見渡す。遠くの方で洗い場に繋がれた馬の側にいるのが見えた。作業服を着た人達5人で話している。


「琢磨、待たせたな」


小走りで側に行くと、全員で笑顔を向けてくる。え?何か、違う意味で雰囲気が怖い。


「いや〜。ウララちゃん。待ってないよ。もう、楽しくて楽しくて」


「フッフッフ。馬の話をしていたから時間は感じなかったよ」


馬の首の所を手でバシバシと叩くこの男性。馬は動じていないけど、痛いんじゃないか?


「ん?ウララちゃん、この人は馬のマッサージ師さんなんだ。ほら、みろよこの蕩けた表情。気持ち良いって言ってるぜ」


マッサージ師という男性が馬の首筋辺りを手で擦る。馬が目を半開きにし唇を捲り、首を傾げた。この顔が気持ち良いって表情なんだな。随分と個性的だ。


「テーピングとか、鍼治療とか。馬に関わる仕事って沢山あるんだぜ。本当アスリートだよな。マジでカッコいい」


「へぇ。そんな職業もあるんだな」


「最後まで故障なく走り切って欲しいんだ。そして、無事に次に行けるように手入れする。一頭でも多く次に繋がって欲しいんだ」


男性の発言に、その場にいた全員がウンウンと頷いている。仕事としてだけではなく、馬が好きなんだろう。


駄目な馬は直ぐに馬肉にされる。父が言っていた。僕も、その駄目馬と同じで価値が無いとも。

僕はその駄目馬の所から這い上がりたい。自分の価値を変えたい。僕を待ってくれている人達がいるから。


蕩けているという変顔の馬を見つつ、僕は決意を新たにした。

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