第6話

馬が嫌い。-6

  

「相手に配慮したり、嘘は言わなくて良いんだ。浦良さんの話を聞かせて欲しい」


大人からそう言われて、僕は話をした。長くて短い20年の歴史を。  


3人の大人達はそれを聞きながら、細かくメモを取る。皆、真剣だった。僕の話を聞いて、理解してくれている。

初めての事に、僕の声は震えている。嬉しさと恥ずかしさと緊張の中。なんとか話終えると、僕に色々と質問していた男性が教えてくれた。


「君は、劣悪な環境で仕事をしていたんだよ。高校時代からあの製菓店でしか働いていなかったから、他と比べられなかったんだね。

言葉で騙し、力で支配して。今の時代にまだこんな所があったとは。辛かっただろう」


「辛いってどいういう事ですか?何が駄目だったんですか?」


「君は幼少期から続く環境で、感覚が麻痺しているんだ。過酷な労働に、それに見合っていない給料で働いていた。暴行に暴言も。

僕達はね、皆が適切な環境で仕事を出来るようにする場を作るのが仕事なんだよ。逮捕権限も持っている」


店長とS先輩が逮捕される!!どうしよう。僕は、なんて事をしたんだ!!


「あ、あのっ。僕、なんとも無いですから!だから、そういうのは、そのっ…」


「落ち着きなさい。先方には既に話してきている。高校時代から現在までの給料未払い分に、今まで払っていた架空の借金についても、清算される。今まで給料から天引きされていたから、殆ど手元に残らなかっただろ。これは、君の当然の権利だ。素直に受け取りなさい。


浦良さんに怪我をさせた相手だが、傷害罪が適用されると言ったら、泣いて反省を口にしていたよ。あれは、何と言うか…会話が非常に難しい相手だ。危ないから、今後直接関わらないように。


入院費用については、製菓店側から支払わせる。業務中の事故として扱った方が、確実に支払いされるからな。


そして、浦良君。仕事はこのまま辞めなさい」


辞める?仕事を?それって、僕は…。


「辞めさせられるんですか?僕は」


「違う。君が自分の意思で辞めるんだ。大丈夫、失業手当も出る。実務経験は足りているから試験は受けられるよ。必要書類も書かせる」


僕の知らない所で、話は勝手に進んでいた。足元にポッカリと黒い穴があいた。落ちていく僕は、どうしたら良いんだ。僕はどんな顔をしているんだろう。茫然と大人の話を聞いている。


後は梨瀬さんが話すからと男性2人は帰って行った。僕の気持ちと裏腹に、とても楽しそうにしている。


「浦良君。退院したら、試験に受かるよう勉強だけをしなさい。それでね、今度私が主体で新規でカフェをオープンするの。貴方さえよければ私の所で働いてみない?」


「僕みたいなのが、梨瀬さんの所で?」


「浦良君に働いて欲しいの。給料や待遇も、さっきの人達からのお墨付きよ。本当、きちんと仕事をしていったわ」


梨瀬さんがあの人達を思い出しつつ、嫌そうな顔になった。何か色々とあったんだろう。聞かないでおこう。一瞬で気持ちを切り替えるように、僕に質問してくる。


「ねえ、馬が嫌いって本当?」


「…はい」


「もし、嫌でなければ理由を聞かせてくれる?」


この人には僕の事を知ってもらえている。それなら、この流れで全部吐き出そう。

話しだすと梨瀬さんは僕の目を見ながら相槌を打ち、少し休憩をしようとお茶を買ってきてくれたり。気が付いたら夕日が窓から消えそうになっていた。


「ありがとう。話してくれて」


「お礼なんて、そんな。聞いてくれて、ありがとうございます」


「私は浦良君の力が欲しい。あの店のような事にならないよう、一緒に店作りをしていかない?

実は、貴方の作ったパンやお菓子を何度か食べたの。一定の品質を保っていて、美味しかったわ。貴方の実力はこれからもっと向上する。どうかしら?」


「何で僕の作った物を知っているんですか?」


僕の質問に梨瀬さんは優しく笑った。内緒にしてくれと言われているけど、と前置きを入れつつ教えてくれる。


「琢磨が教えてくれたの。助けてやって欲しいと頭を下げられてね。引き抜きをするのはこの業界では当たり前の事だけど、浦良君の実力がわからなかったから。彼から色々聞かれたんじゃない?」


そういえば。琢磨から色々仕事の事を聞かれたっけ。何でそんなに知りたがるのか不思議だったけど、僕の作った物を美味しかったと言ってくれるのは、本当に嬉しかった。


ああ、どうしよう。高校時代から、琢磨は僕をずっと心配してくれていたんだ。卒業式に出ないとすら言わずに一方的に距離を置いた僕を、ずっと記憶の中に留めておいてくれたんだ。


「頑張ったわね。泣いて良いのよ」


梨瀬さんが僕の手を優しく撫でてくれる。


いいのかな。父が死んでも泣かなかった薄情な僕なのに。


「ありがとう、ございます。ぼく、僕、試験頑張ります……受かって、梨瀬さんの所で、働きたい、です」


「ええ。待っているわ」


ここに居ない琢磨に感謝して、店長達の想像ではない本物の梨瀬さんの優しさに触れ、僕は子供のように泣いた。


ーーー


入院した翌日、琢磨が見舞いに来てくれた。僕を見るや大泣きして、僕もつられて泣いたから看護師さんが飛んできた。嬉しくて、傷が痛んだ。


琢磨に感謝して、これからの事を話していた時だ。よく店に遊びに来ていたS先輩の婚約者が怒鳴り込んで来た。琢磨が取り押さえてくれなかったら、僕はその人のバックの中にある包丁で刺されていただろう。

S先輩が浮気してたり、僕にしてきた事も全部知っているのに、僕のせいで全員が不幸になったと言われた。


病院が通報して警察が来てくれるまで、琢磨や看護師さんによって廊下に出されたその人の悲痛な叫びは、僕の耳に痛いほど届いた。


そして、退院して2週間。僕の住むアパートに居ては危ないと、引っ越し先が決まるまで琢磨のアパートに居候させてもらっている。


「あの製菓店は今回の事件が無かったとしても、どの道潰れていたわ。私としたら、商売し易くなって万々歳よ」


梨瀬さんが弁護士とアパートまで来てくれて、僕が働いていた製菓店が店を畳む事が決まったと教えてもらう。今回の事件が寄り合い場を運営している県に何故か伝わり、寄り合い場だけでなく取引先全てから今後の取引を断られたそうだ。


僕は店長とS先輩から騙されていたらしい。父親の借金は相続放棄をしていたから、無かった。

父から僕を守る為に渡したというお金を、僕は店長が救ってくれたと感謝し盲信し払い続けた。身寄りの無い僕に、俺達は家族だろと言ってくれるS先輩をただ慕い全て従った。でも、これで終わり。


僕への支払いは店からされるそうだ。弁護士費用を差し引いても、驚く金額だ。

これは僕一人では絶対に成し遂げられなかった。だから、琢磨と梨瀬さんにも感謝として渡したかったのに、2人の返答は驚くものだった。


「俺のバイトしている乗馬クラブに手伝いに来いよ!」


「是非そうして頂戴。あそこの場を感じて欲しいわ」


馬は嫌いだ。だけど、2人の笑顔に僕は先に進む事を選んだ。競馬場で威嚇された時もすごく怖かった。正直、嫌だ。でも恩返しはしたい。


僕にとってこれまでは馬は不幸の象徴だった。不幸しか運んでこなかった。でも、今回は。縁の切れた琢磨を運んできてくれた。梨瀬さんとの出会いも。


「頑張ってみる」


こうして僕は試験勉強しつつ、『紅茶乗馬クラブ』で馬のお世話をする事になった。

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