第4話

馬が嫌い。-4


夢を見た。


ピカピカに輝く毛。黒くてまん丸な目のゴボが、僕に『俺、カッコいいだろ?』って話しかけてくる。素直に『カッコいい』と言いたかったけど、『そうでもない』って言う。捻くれている僕にゴボは言うんだ。


『ウララは素直じゃないな』


「……わかってるよ」


目が覚めて、独り言を呟く。嫌な気分だ。ゴボに会ってから3週間。こんな夢ばかり見る。


時計を見たら、目覚ましが鳴る少し前。丁度良い。伸びをして布団を片付ける。そうしないと二度寝してしまうから。


身支度をして、家を出る。誰もいない真っ暗な道をいつものように歌を歌いながら歩く。僕は今から魔法の世界の住人から、この世界でお菓子を作る仕事人になるんだ。


昨日はS先輩が店に残ると言うので、鍵もお願いしてある。店の電気は付いていて扉も開いている。厨房に人は居ないから、更衣室だろう。


「おはようご…」


ノックをして開けたら、S先輩と最近アルバイトで入った女の子が床で寝ていた。僕のコック服を下に敷いて。


僕の、自前の服。僕が給料で買った服。それが、下敷きにされ、汚されている。


室内に外気が入ってきて、起きたのだろう。2人が僕に暴言を吐く。


「きゃ〜!!」


「…うおっ!?愚図!!てめぇ!!見てんじゃねえよ!!」


側にあったチェリーの入った瓶を投げつけられる。僕は避けたら駄目だと立ちすくんだままだったので、左目の辺りに当たった。痛くて情け無くて、目を押さえて厨房に逃げる。


その時に、僕の目の前にあの出来事がフラッシュバックした。


「すみません。すみません」


頭の中がグルグルする。ひたすら謝るしかない。


ーーー


僕の母は12歳の時に亡くなった。突然死と言われていたけど、今ならわかる。過労死だ。


僕が物心ついた時から父は競馬に全てを注ぎ込んでいた。母は毎日仕事で、競馬がある日は家で1人留守番か、父に連れられて行った競馬場で放置される。

保育園は、父が迎えに来ない事が何度もあり退園させられていた。僕のご飯代は父のギャンブル資金に消え、僕は母が帰ってくるまで空腹と愛情に飢えていた。


大人達は僕を認識しない。僕はこれが日常なんだと思い込んでいた。


小学生になると少しは環境がマシになった。母に友人ができて、休みの日はその人の経営する喫茶店で昼ご飯を食べられた。

父の懐には僕のご飯代が入らず、僕は父から疎まれた。腹は満たされても心は満たされない。どちらも欠けてはいけない物なんだと知るのは、母が亡くなった後だった。


葬儀は無く、父は母の保険金を全て自分のものにした。母の遺骨は、父が電車に忘れた。


「おばちゃんね、うらよし君のお母さんから2つの通帳を預かってるの。

一つは高校の資金、もう一つは大学の資金よ。お父さんには内緒にしていてね。高校に行く時は、おばちゃんがお父さんに上手い事言うから。


ご飯は、これから毎日食べに来なさい。大丈夫。うらよし君のお母さんから前払いしてもらっているから」


僕の名前は浦良(うらら)。父がつけた。母はうらよしと呼ぶ。叔母さんもそう呼んでいた。何でだろう。わからない。


これからどうしたら良いかわからなかったけど、叔母さんから言われて勉強を頑張り、僕は中学時代を生き抜いた。


「うらよし君、ごめんね。おばちゃん、もう、ご飯作ってあげられないわ」


叔母さんが父や学校に上手く言ってくれたおかげで、僕が高校に入学できた春。叔母さんは帰らぬ人となった。

入院しているベッドの備え付けの金庫から通帳を2冊取り出して、僕に渡してくる。これからは、僕自身で死守していかなければならない。


僕は叔母さんに何て言えば良いか。言葉を考えたら、コレしかなかった。


「叔母さんから沢山の料理を教わったから、大丈夫だよ」


死なないでとか、今までありがとうとか。そんな言葉は僕と叔母さんの間にはいらなかった。


「そう。良かったわ」


優しく笑う叔母さんに、僕は初めて満たされた気がした。僕はこの人から愛されていたんだ。


叔母さんが亡くなった後は、上手く貯金をやりくりして、高校に雑費などの振り込みをしていた。製菓店の給料は手渡しだったから、学校のロッカーに通帳と共に置いていた。


父は僕に無関心だったから、高校の費用について何も言われない事を疑問に思っていなかった。自由に使える金が減らなければそれで良い人。

たまに金を貸してくれと言われた時は、千円渡せば済む。


上手くやれている。高校を卒業したら父から遠く離れた大学に、授業料免除の特待生で入学して、母の残してくれた貯金と共に食い繋いでいける。そう夢見て必死に勉強をしていた高校3年の冬。

合格通知と共にやってきたのは、父からの金の無心と暴行。母の通帳のことを担任が父に話した。それだけ。


「助けて!!たすけてぇっ!!」


壁の薄いアパートに響く僕の悲鳴とガラスの割れる音。警察が駆けつけた時に、僕は助かりたくて全てを話した。だけど、現実は甘く無い。


「このお金は、母さんが残してくれたんです。これがないと生きていけない!お願いです!このお金を守って下さい!助けて!」


僕の通帳は2冊とも警官の目の前で父の手に渡り、僕の一方的に受けた暴行は反抗期の息子へのしつけで終わった。

何度も何度も警察の目の前で父に謝罪して、警察が帰った後も玄関で土下座をして一晩冷たく過ごした。


痛かったのは、体だけじゃない。心が、痛い。寒い。


「お願いします。何でもしますから。お願いします。大学に行きたいんです!」


合格通知に記載されている要項を見た父は、何を勘違いしたのか大学に電話した。免除される金を寄越せと言う。

大学側は何度も説明していたが、金の為なら連日電話をする父。危険人物と見做された僕は、大学へ進学する事は叶わなかった。


「…ああ、そうですか」


その日。僕は進学の件で迷惑をかけたからと、卒業式に出席する事を許されなかった。卒業証書は後日、生徒指導の先生が家に持ってきた。担任からの謝罪は無かった。生徒指導の先生からは、今日から社会人だと伝えられた。学校に来たら通報すると。まだ3月なんだけどな。僕も馬鹿じゃ無い。知ってるんだ。でも、逆らう気力は無かった。いつも通り、製菓店で働いていた。


S先輩から、仕事のミスを押し付けられて殴られた時だ。僕に警察から連絡が来た。父が競馬場に自転車で行く途中、橋から落ちて亡くなったと。飲酒運転をしていたらしい。


遺体確認や葬儀も何もかも、僕は殴られた頬の痛みと共に過ごし、全てを役所の人にお願いした。遺骨は墓が無いから共同墓地に埋葬してもらった。そこら辺は、よく覚えていない。


憎い相手が死んだのに、何も感じない。父の借金は、僕が支払う事になっていた。


春の匂いと共に、絶望だけが僕に残された。

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