第3話(12/12誤字訂正しました)

馬が嫌い。-3


洗い場の側に停まった車から、男性と女性が降りて来た。男性は僕より少し上かな。Tシャツにジーンズの上から変わった作業ズボンも履いている。

隣の女性は男性より年上に見える。スカートを履いていて、普通の服だ。これで作業するのかな?あれ。この女性、どこかで見た事あるな。どこでだろう。


「アフロさん、遅れました。すみません」


「いやいや。彼に馬を触って貰っていたから、ゆっくりでも良かったよ。今回も宜しくお願いします」


手早く男性が車のトランクから色々と荷物を出す。女性が優しく笑いながら、琢磨に話し掛けた。


「琢磨。馬好きを増やしてんの?」


「そんなもんです。彼は俺の高校時代からの友人で浦良です。寄り合い場の近くにある製菓店で働いているんです。

ウララちゃん、装蹄師さんは信陽(のぶはる)さん。その姉の梨瀬(りぜ)さん。『カリソン』って料理店の副料理長だ。知ってるか?」


僕は琢磨の一言に驚き、つい大きな声を出して進み出た。


「『カリソン』って、あの『カリソン』ですか!?梨瀬スーシェフですかっ!?」


僕の声で大人しくしていたゴボが左後ろ足を床に叩き付け始めた。まずい。大きな声を出してはいけなかったんだった。

アフロさんが宥めるけど、ゴボは足の叩きつけをやめない。ああ、どうしよう。謝らないと。


「ゴボ、落ち着け。リゼは大丈夫だよ」


「ウララちゃん、落ち着いて。ゴボごめんな」


アフロさんがゴボの隣に回り込んで、頬をさすりながら優しく宥める。琢磨もゴボから僕を隠すように立ちまわる。信陽さんが器具を用意しながら僕を睨んできた。どうしよう。僕、どうしよう。


「す、すみません。すみません」


兎に角、頭を下げて謝るしかない。S先輩に謝罪する時のように土下座した方が良いのかな。


「琢磨、今日はもう良いかな。浦良君、また今度ゆっくり遊びに来てね。私の事、知って貰っていて嬉しいわ。じゃあね」


梨瀬さんが、琢磨と僕に帰るよう優しく促してくる。僕は何て馬鹿なんだろう。叱られて当然の事をしたのに。だれも僕を叱責しない。


「浦良君。また、絶対に来てね」


アフロさんがゴボを落ち着かせつつ、アフロを齧られながら僕に優しく手を振る。


「すみませんでした。僕は…」


「今からゴボは検診だ。また別の機会にな」


信陽さんは無表情だけど、怒った感じではない。誰も、僕を叱らない。


「また来ますね。ほら、ウララちゃん行こうぜ」


琢磨にさっさと行こうぜと肩を抱かれて、その場を離れる。今は離れる事を優先させた方が良いだろう。琢磨にされるがまま、素直に歩く。


ゲートをくぐるまで互いに無言だった。僕は何て謝るのが正しいのだろう。もう、2度とここに来ない事を僕は僕に誓う。僕は価値が無いのに、抗おうとした報いだ。琢磨ともこれでお別れだな。


ゲート側にあるベンチに琢磨が腰掛けると、彼は僕に笑顔を向けてきた。


「すっごく可愛かっただろ〜!」


「……え?」


「ゴボだよ。触ってみてどうだった?あったかかっただろ?ふわふわ、つるつる、香ばしくて可愛いかっただろ〜!?俺、興奮しっぱなしだった!」


「琢磨。僕を怒らないのか?」


僕のせいで追い出された。まだ解散する流れじゃ無かったのに。装蹄師って人の仕事も見れなかった。ゴボを怒らせた。琢磨にとっては残念だし僕に怒って当然だ。それなのに。


「ウララちゃんがリゼさんに攻撃するんじゃないかってゴボは思ったんだよ。『俺のリゼをいじめるな〜』ってさ。

仕方ないよ。リゼさんのことを先に話して無かったコッチも悪い。次から気を付ければ良いさ。どちらにしても、蹄鉄を履き替える時は馬を徒に刺激しないように退散するからさ」


S先輩と僕は同じと思われたのか。僕の心は沈む。


「顔に出やすいのは相変わらずだな。

競走馬は500キロ近くあるから、暴れて何かあれば重大な事故に繋がるかもしれない。馬にその何かが無いように配慮するのが、ホースマンの仕事だ。


ウララちゃんもゴボに好かれてるってアフロさん言ってただろ。次に繋げていこうぜ」


「ごめん、琢磨」


僕みたいな奴に、ここまで優しくしてくれる琢磨。なんでだろう。ホッとしたら、猛烈に喉が渇いてきた。ベンチ横の自動販売機に目が留まる。商売上手だな。迷惑料込みで、琢磨にも何か一本奢りたい。これくらいなら受け取ってくれるだろ。


「運転してくれて、ありがとう。何か奢らせてくれ」


「お、サンキュー。レモネードが良いな」


琢磨と僕の分を買い、並んで座りながら一息つく。レモンの爽やかな香りが馬の匂いを薄れさせ、あの場に居た事が過去になっていく。


「梨瀬さんもウララちゃんと同じで、馬嫌いだってさ」


「馬が嫌いなら、距離を置くのが普通じゃないか?」


「まあ、人それぞれ理由が違うんだよ。機会があれば話してみれば良いさ」


梨瀬さんは、料理人専門の雑誌に特集ページを持つ程の凄腕の料理人だ。女性でここまで有名な人はそういない。だからだろう。


『この顔つき絶対に性格悪いぜ。体だけで結婚できたんだろうが、紙袋被せてやってんのかな。どんな相手か…あ!性悪女を選んだ底辺だから、同じタイプか。それか、金と結婚したかだな』


『女は子供を産んだら味覚障害になるから、所詮スーシェフ止まりだ』


『男女平等とか世間が煩いから、仕方なく探し出したんだ。女が男より仕事が出来るはずが無い。このメニューも下っ端のアイディアを奪ったんだろうよ』


店長やS先輩は、雑誌を読む度彼女の悪口を言う。僕も同調するよう言われた。でも、同じレベルに落ちたくなくて同調しなかった。

最後は先輩に逆らったと首にナイフを当てられ、土下座させられたっけ。軽く皮膚を切られた僕は、自分の意思を言う事も許されていないと改めて思い知らされたんだ。


「………僕はもう、ここに来な…」


「梨瀬さんの旦那さんの車が無いなぁ。後で子供達とお迎えに来るんだろう。

すっごい愛妻家でさ、自分の知らない男が妻に近寄るのを嫌うんだ。挨拶しておいた方が身の為だと思ったんだが…ま、次回な」


僕の言葉を遮るように琢磨が含みのある話し方をする。僕は背筋がゾッとした。梨瀬さんは色々ある人なんだな。気をつけよう。


「帰ろうぜ」


空き缶をゴミ箱に入れながら、琢磨は僕に次を与えてくる。嬉しくなかった。


ーーー


帰り道。僕は琢磨のバイクに揺られつつ、明日の仕込みの順番を再度確認する。何度もシミュレーションしておくからこそ、何かあっても瞬時に対応できるんだって店長が教えてくれた。最悪を想定して行動しろと。


「ウララちゃんはこれから勉強か?」


「ああ。秋に試験だからな」


「お前は勉強家だから、絶対に受かるよ。だから、息抜きにまた行こうな」


馬は嫌いだ。だけど、あの感覚は僕の記憶の一つとなった。また経験してみたいというこの気持ちは、僕は僕を否定し裏切っている気分になる。


僕の住むアパートの前に到着すると、琢磨が次も誘ってくれる。高校時代に戻った気分だ。だからだろう。


「……琢磨。お前の携帯の番号を教えてくれないか?もう、今朝みたいなのはゴメンだ。追い出される」


「おう!勿論だ」


琢磨の笑顔は、馬のように光っていた。僕は上手く笑えているだろうか。

僕は、自分を裏切って前に進んでみたくなった。

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