第2話(3/27修正しました)

馬が嫌い。-2


外に出ると汗が額に滲んでくる。今日も暑くなるな。


琢磨がバイクの後ろに乗るように促す。赤色の車体は太陽を反射して、彼を表すかのように眩しく光っていた。


「俺は安全運転第一だから、リラックスして乗ってろよ」


乗った事がないから、どうしよう。でも、琢磨なら大丈夫だと思う。彼のバイクの後ろに恐る恐る乗り、言われた所に足を置いて彼の腰に手を添える。僕、かっこ悪いな。


琢磨は安全運転を心掛けているだけあり、乗っていて心地良かった。風が気持ち良い。バイクいいなぁ。僕は自転車しか持っていない。


スイスイと進むバイクは街の中心部を抜け、海風で錆がちになった橋を通る。僕は無意識に琢磨の服をギュッと掴んでいた。


「大丈夫さ」


琢磨の言葉に僕はハッとして手を緩める。そう、もう過去の事だ。橋を渡り、自然豊かな道を走る。見覚えのある競馬場に着くと、関係者用駐車場に停まった。こちらは遠目には見た事はあったが、入ったのは初めてだ。エンジンが切られ、降りるよう言われる。

僕は降りてヘルメットを脱ぐ。地に足が着いた時、僕は一瞬フラリとしたが、なんでもないように振る舞う。

バイクを止めてヘルメットを脱いだ琢磨は、俺に無邪気な笑顔を向けてきた。わざとらしくて、馬鹿馬鹿しくなる。


「楽しかっただろ?バイクは乗り物の中で、一番好きなんだ。風を切るのが心地よくってさ!」


「馬は?アレも乗り物だろ」


「違うんだなー、これが。まぁ、お前はまだ見ても無いだろ?馬っていう動物をさ」


僕の言葉に、琢磨がフッと苦笑いする。釈然としなかったが、今日は琢磨に付き合うって決めたんだから。ここで置き去りにされても困るし。


「この時間はご飯を食べた子達がゆっくりしているんだ。話はしてあるから行こうぜ」


並んで歩きながら、話を聞く。琢磨が乗馬をしていた時からの知り合いが、此処で働いているそうだ。


「んで、その人は厩務員(きゅうむいん)って馬のお世話をする仕事をしているんだ」


「なあ、もういいか?僕はそこのベンチで待ってる」


『関係者以外立ち入り禁止』のゲートの前に着いて、僕は顔面が痙攣してきている事を感じる。もう臭いでわかっているけど、ここから先は馬が沢山いる。


「なあ、サラブレッドってわかるか?」


「競馬の馬の事だろ」


「馬の種類の事なんだよ。此処には数千頭の中から選ばれた精鋭達がいるんだ。ウララちゃんに是非、会ってもらいたい。


んで、此処から先に進むにあたり、守って欲しい事がある。


一つ目。大きな声や甲高い声を出さない。


二つ目。スタッフの指示に従い、勝手に馬に近付かない。


馬は草食動物で、臆病で繊細な生き物なんだ。以上!ほら、行こうぜ」


琢磨が携帯を取り出して音の設定をサイレントに変更した。着信音で馬が驚く可能性があるからだそうだ。


そんな危険エリアだなんて、聞いてない。僕は入る事を拒否しようとした。そのとき、誰かに背中を強く『ドン!』と叩かれたような気がした。後ろに誰も居なかったけれど。何故だろう。僕は、立ち止まる事を許されなかった。


渋々僕も携帯の音の設定を変えて、並んで歩く。奴が楽しそうに話し掛けてくる内容は、耳を素通りしているようだ。正直、緊張と物珍しさで何にも頭にはいってこない。


「この厩舎だよ。あっ、いたいた。……アフロさん、おはようございます」


案内された建物の中を覗くと、馬が個別の檻に入っている。何頭か柵から首を出して、扇風機の風を浴びている。あれ、ウマ?デカくね?馬に扇風機向けるくらいなら、僕に欲しい。


琢磨が声を掛けたモジャモジャなアフロ頭の男性が、でかい鉄のフォークのような物を持ちながら歩いてくる。武器みたいだ。金属独特のカラカラという音も近づいてくる。何処から聞こえてくるものだろう。


「おはようございます、琢磨君。君が浦良君だね。初めまして。私の事はアフロって気楽に呼んで下さい」


「は、初めまして」


優しい笑顔のその人は一言で表すなら、でかい!この人、アフロも入れたら身長2メートルはあるんじゃないか?モサモサだ。その髪、何で出来てんだ?

日に焼けた黒い肌と相まって一見怖そうな印象だけど、声はとても優しい。この人は大丈夫だと、僕は本能で悟った。


「俺の尊敬する大先輩なんだよ。馬にすっごく好かれる人でさ」


「馬に安心してもらえる存在でないと、この仕事は務まらないからね。そういえば。琢磨君の事、有馬さんが褒めてたよ。お世話が上手だって。君は昔から、好かれないけれど観察するのは得意だったよね」


「本当ですか?うわ〜、そう言って貰えると嬉しいなぁ。やり甲斐があります」


僕は純粋に羨ましかった。


琢磨はこの人に気に入られてるんだ。有馬って人にも。

僕がどれだけ真面目に仕事をしていても、上司のお気に入りの先輩の方が評価は上。遅刻しても仕事をミスしても何のお咎めも無い。何が違うんだ。価値の無い僕は、存在する意味が無い。


「浦良君。ここは厩舎と言って馬達の寝室なんだよ。

そろそろ装蹄師さんが来るから、洗い場に馬を繋いであるんだ。見にいこうか。こっちだよ」


アフロさんがでかいフォークを仕舞い、厩舎の傍に案内してくれる。

洗い場と呼ばれているそこは、屋根がついた駐輪場か駐車場みたいで、足元はコンクリート。それぞれがバイクが2台並べて入るくらいの大きさ。そこに一頭づつ繋ぐらしい。黒っぽい茶色の毛をした馬が両方から縄を着けられて立っていた。


「正式名称は『蹄洗場(ていせんば)』といって、馬を洗ったり騎乗する支度をしたり。色々用途があるんだ。

この厩舎は誘導馬専用になっていてね。全員良い子達ばかりだから、触っても大丈夫だよ」


アフロさんが馬の首元に立ちながら説明してくれる。琢磨が聞くや、目をキラキラと輝かせた。アルバイトで馬の世話をしているのに、馬に触るのがそんなに嬉しいんだな。馬は馬だろ。


「誘導馬は知ってるかな?」


「いいえ」


知りたくも無い。だが、僕の気持ちと裏腹にアフロさんは笑顔で説明し始めた。


「誘導馬っていうのは、競走馬を引率するお仕事をする馬を指すんだ。お客さんのお出迎えをするのも仕事のウチだね。

引退馬の中でも穏やかで人好きな子が抜擢されるんだよ。この子は『マチルダゴボ』」


「ゴボこんにちは。触らせて貰うね。……うん、お仕事上手だね。本当……今日も、ナッツみたいな甘い匂いがするね。可愛いなぁ」


馬に声を掛けながら首元に立った琢磨。馬の首の付け根辺りを撫でて馬の様子を伺いつつ、首元に顔を寄せている。その様子を見ながら、僕は後退りした。


「ウララちゃん、手入れされている馬って良い匂いがするんだ」   


嬉しそうに僕を見てくる。僕は顔が引き攣っているのを感じながら、そうか、良かったなと返す。アフロさんは、わかると頷いている。馬は動じずに突っ立ったままだ。動物の匂いを嗅ぐって、変な奴。


「誘導馬はお客様に触られる事も仕事なんだ。だから大人しくできるんだよ。浦良君は馬に触った事がある?」


「無いです。僕は、いいです」


「そうか。近くで感じるのも強烈で良いけれど、全体を見るのも大切だね。触りたくなったらまた来てね」


僕達どちらも否定せず、優しく笑って見守ってくれているアフロさん。僕はその表情に、ふと一瞬懐かしさを感じる。そして、自分を恥じた。琢磨に申し訳なく思った。


「……僕、触った事が無いんです。だから、馬が嫌がると思います」


「敵意が無ければ大丈夫だよ。ゴボも、そういうのはわかってくれるさ」


アフロさんが優しく笑う。僕は、あの時から立ち止まったままだ。逃げたままで、それで良いのかもしれない。でも、今、この機会を逃したら、切っ掛けはもうやって来ないだろう。


「……でも、琢磨、あれだけしても、馬大人しいですね。僕も触ってみていいですか?」


僕ははっきり言えただろうか。


「勿論だよ。琢磨君、そろそろいいかな?浦良君と交代だ」


「ありがとうゴボ。また触らせてくれよな。…さあ、ウララちゃんの番だ」


スキップしそうな勢いで、ご機嫌の琢磨が馬から離れる。僕はゴクリと唾を飲み込み、アフロさんを盾にしながら、馬の顔を見ないように首元辺りに立った。


「馬はね、とても臆病な生き物なんだ。コッチが緊張でガチガチだとそれも伝わるよ。だから多めに声をかけるんだ。ゴボ、今から君の首元を浦良君が触るからな。……さあ、触って良いよ」


「馬と話せるんですか?」


「勿論。馬は言葉を理解できる。ここら辺を撫でて」


この毛は、見た目では硬いのか柔らかいのかわからない。どんな触り心地なんだろう。

触って大丈夫だと言われたから、攻撃される事は無い。恐る恐る、アフロさんが触った所に右手で触れる。その瞬間


『ブルッ!!!』


馬が震えた。そうしたら、それが合図かのように一瞬で僕の視界が広がり、馬がピカピカと光った。手で感じる温かさ、柔らかい毛。何だろう。僕は何に触れているのだろう。


「馬が、光っている」


馬の首だけを見ていたけど、気になって馬の顔の方を見る。まん丸な黒い目が、僕を見ていた。


フサフサの睫毛に彩られた大きな目。僕を興味津々と覗き込むその目は、僕がイメージする馬とは全く違った。ゴボの心が、僕に入ってくるようだ。


「ゴボ。君は、綺麗だな」


僕は素直に自分の心を口にした。それが、ゴボに対する敬意だと知ったから。そして、そう言った自分を酷く憎む。何を言うんだ、僕は。

ゴボはまるで『当たり前だろ』と言うように首を傾ける。本当に人の言葉がわかっているようだ。


「あの、ありがとうございました」


僕は正気を取り戻し、バッと手を離す。僕は何を思った?信じられない。僕の心と違い、手に不快感が無いんだ。


ゴボから手を離して、少し離れている琢磨の所に駆け足で向かう。アフロさんも同じように来ようとしたら


「ゴボは浦良君の事、気に入ったって。ほら、此処を撫でると喜ぶんだよ。……アハアハ、ダメだよゴボ。服が裂けるじゃないか」


ゴボがアフロさんの襟元を咥えて引っ張っている。抵抗するアフロさんと綱引きしているみたいだ。


「あ〜、ダメっ。あんまり悪戯が過ぎると、今日のオヤツ少なくするからな。……よし、良い子だ」


アフロさんの一言で、ゴボは口を離す。本当に人の言う事をわかっているんだな。


「あ、ほら。装蹄師さんが来たよ」


アフロさんの向く方向を見たら、車が一台走ってきた。装蹄師って何だろう。今から何が始まるんだろう。

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