普通の子供

何度母親に助けを求めても、振り向いてさえくれない。だから泰規やすきは、やはりこの人は自分を愛していないのだろうと察した。生まれたから仕方なく死なせないようにしているだけで、そこに愛などないのだと。


怪物のような昆虫に襲われて殺されでもすれば、その時は、押しかけたマスコミの前で涙の一つも見せて、


<我が子を理不尽に喪った可哀想な母親>


を演じるのだろう。彼が普段から薄々感じていたものが具体化したのだろうと実感した。


だからもう、諦めた。自分は生まれてきたことが間違いだったのだと思い知らされた。煙草の吸殻を食べても生き延びて、ガレージの屋根から転落して頭を打っても死ななかったが、そのどちらの場合も、泰規が死んでいれば両親も責任を問われるであろうものの、


『途方もない怪物に食い殺された』


となれば、そんなことの責任をただの人間でしかない両親に問うことはできないだろう。


泰規は、小学一年生にしてそれだけのことを察してしまったのだ。無駄に聡いことで、それだけのことを考えられてしまったのである。


「……もう…いいや……」


こうして諦めてしまったその瞬間、


「……あ……え……?」


泰規は目を覚ました。その視界の先にあったのは、両親の寝室になっている和室の天井。泰規が逃げ込んだ和室の天井だ。


思わず隣の居間の方に視線を向けるが、そこにはあの<怪物のような虫>の姿はなかった。


「……夢……?」


そう。夢だった。すべてはただの夢だったのだ。夏休みだったこともあって、夜の九時からアニメ映画がテレビで放映されていて、居間でそれを見ていたものの最後まで見届けることができずにいつの間にか眠ってしまっていたらしい。


「……」


何とも腑に落ちない気分と同時に、あれがただの悪夢だったことでホッとした泰規は、自分が寝ていた布団を片付け始めた。そういう部分は<お行儀のいい子供>だったのだ。また、夏布団なので薄くて軽く、小学一年生の泰規にでも持ち上げられるものだったからというのもある。


そうして掛け布団を畳んで部屋の隅に置く。さすがに押し入れにまでは手が届かないので後は母親がやってくれるはずだったが、とにかく畳むところまではする。


が、続いて敷布団を持ち上げた瞬間、


「……っ!?」


泰規は息を吞んで固まってしまった。その視線の先には、小さな黒い何か。


蟋蟀こおろぎだった。いつの間にか蟋蟀が敷布団の下で潰れて死んでいたのだ。おそらく、母親が眠ってしまった泰規を寝かせるために布団を敷いたもののそこに蟋蟀がいたことに気付かずにそのまま敷いてしまったのだろう。


そして泰規を寝かせたことで蟋蟀は潰され、死んだ。


泰規は死んだ蟋蟀の上で寝ていたのだ。


「……」


これまで、どれほど虫を虐げ殺してきても何とも思わなかった泰規だが、この時ばかりは背筋に冷たいものが奔り抜けてしまったのだった。




そしてこの日を境に、泰規の虫を虐げる遊びはずいぶんとマシになったようだった。それからも普通に虫を捕えたりもしたものの、それは普通の子供が普通にする程度のものとなっていた。


ただ、ある日、母親が買い物から帰ってくると、泰規が隣の畑の畦のところで伏せているのに気付き、


「何してんの? 泰規」


と声を掛けると、彼は顔を上げて、


「蟻を食べてた。美味しくなかった」


やはり無表情なままで平然とそう応えたのであった。








~完~



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