ありがぼくをたべにきた
なお、
『ありがぼくをたべにきた……』
と、朦朧とする意識の中で考えていたものの、もちろん、実際にはそんなことはなかった。高熱で神経が昂り、服と皮膚がわずかにこすれる感触を『蟻が這っている』と錯覚したのだと思われる。
なのに、この時の泰規は、
『自分が蟻に食べられてしまうかもしれない』
などと考えながらもそれを恐れることはなかった。それどころか、むしろ、
『ありにたべられたらどうなるのかな……?』
なんてことをぼんやりと考えていたのを覚えているそうだ。わずか三歳で、自分の死をそんな風に捉えられるというのは、どういうことなのだろう?
もしかすると逆に、三歳だからこそ<死というものについての実感>が乏しく、ピンと来ていなかっただけなのかもしれないが。
加えて、この時点で泰規はすでに、身の回りにいる様々な虫をもてあそび殺す遊びを覚えていて、毎日、それで暇を潰していたのだった。
そう、虫を潰すことで暇を潰していたのだ。
本人も意図することなく。
ゴキブリや蜘蛛はこの頃にはすでに『怖い』と感じていたので触らなかったものの、蟻やダンゴムシや蝉は、惨殺の対象だった。
この頃、家の庭にあった小さな池には鯉が飼われていて、そこに蟻やダンゴムシを捕えては投げ入れ、食べさせることを延々と続けていたのを母親が目撃している。
鯉はさほど大きくなかったこともあってか、蝉についてはニイニイ蝉さえ食べてくれなかったのでそれを不満に感じていたのをうっすらと覚えているとのこと。
人間は五歳くらいを境にそれ以前のことが思い出せなくなる事例が多いと言われているが、泰規は、特に印象的なことについてはわずかに覚えていたりもした。池の鯉に虫を食べさせていて、でもニイニイ蝉を食べてくれなかったことが相当不満だったらしく、それが強く印象に残ったらしい。
ただ、時系列については本人の記憶も曖昧なものの、ニイニイ蝉をそのまま与えても食べてくれないことに業を煮やしたか、蝉をバラバラに解体して細かくして与えたら食べてくれたのが嬉しかったというのも覚えているのだとか。
水面に落ちた虫を魚が食べるのは普通のことだろうからそれも別に咎められることではないのかもしれないにしても、自身の行為に何の疑問も抱かなかったことについては、泰規自身が後に、
「気持ち悪い子供だったと思う」
と語っている。
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