ハエトリグモの行軍

ガレージの屋根から転落して頭を打ち、意識を失っている間に亡くなった祖父に会ったらしいという泰規やすきだったものの、後日改めて母親が、


「とみたおじいちゃんに会ったの?」


と尋ねると、


「……? …しらない……」


という返事だった。泰規自身、覚えていないというのだ。これを果たしてオカルトと捉えていいのかどうかは、分からない。何しろ、一度か二度とはいえ、二歳にもなっていなかった頃とはいえ、実際に顔を合わせているのだから、強く頭を打ったショックで普段は思い出せない記憶がたまたま思い出せてしまったという可能性もあり、母親も『まさかね』と考えてそれ以上は詮索しなかった。


一方、泰規の方も、こぶは確かに酷かったが特に異常も見られなかったため、医者にかかることさえなくそのままにされた。掌も実はすりむいていたので、地面で頭を打つ前に手を着いたことでわずかとはいえ衝撃が緩和されたために大事には至らなかったのかもしれない。


これもただの憶測なので実際のところは分からないが。


いずれにせよ、十日も経てば瘤も治まり、学校には三日ほど、


「風邪で熱があるから休ませる」


と嘘を吐いて休ませて、それからは普通に過ごした、この時点ではまだ瘤が少し残っていて痛みもあったものの、泰規もそれを誰かに口にすることもなかったという。




ところで、<風邪>といえば、泰規は、弟が生まれて間もない頃に<おたふく風邪>を患い、四十度を超える熱を出して寝込んだことがある。


その時にはさすがに医者に診せて薬ももらったものの、基本的には薬を飲んで寝ている以外に対処法もなく、子供部屋としてあてがわれていた部屋に一人で寝かされていた。


枕元には水と新聞紙が敷かれた洗面器。水はもちろん喉が乾いたら自分で飲めということであり、新聞紙が敷かれた洗面器は、吐く時はそこに吐くようにということだった。


三歳だった泰規だが、その親の言いつけを守り、自分で水を飲んで吐く時には洗面器に吐いた。母親は薬の時間に顔を出して飲ませるだけで、泰規が洗面器に吐いていたらその吐瀉物を片付けてくれるだけで、それ以上、傍にいることもなかった。


別室にいる弟の面倒も見なければいけなかったので無理もないのだろうが、泰規は一人、高熱に浮かされて、ぐるぐると回る天井を呆然と見つめるしかできなかった。


でもその視界の隅でまた別の何かが動くのに気づき、泰規は眼球だけ動かしてそちらに視線を向ける。


それは、ハエトリグモだった。ハエトリグモが壁を這っていたのだ。けれど、普通は単独行動をするはずのそれが、なぜか何匹も何匹も列を作って壁を登っていく。


ただしそれが現実なのか熱に浮かされたがゆえの幻覚であったのかは、泰規には判別できなかったのだった。


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