三十一

悩める友を助けてあげたい新之介も、今回ばかりは妙案が浮かばなくなった。


まず冬野のことを菫に嫌われてもらうという、最も無難な策もけんもほろろに終わっている。

お得意の勘だが、菫は冬野のことを好いているようにも思えた。


だが菫の好意があるにしろないにしろ、高村家と中原家の当主同士が納得して決めた縁組ならば、そもそも縁談を壊そうとすること自体、不可能に近い。

武士として生きてきた新之介は、現実が見えていた。

それは冬野にしても同じで、あらがいたい、抗わせたい願いが、どうにかしたいという気持ちを抑えきれないでいる。


かといって詰みの一歩手前になったこの頃、出仕を終えて帰ってきた左馬之介に、新之介は部屋に呼び出されたのだった。


「あれこれ思案しているようだが、やめなさい」


普段の左馬之介の大らかさはなく、厳しい声音であった。

冬野が縁談を渋っていることも、新之介が友を助けようとしていることも、ついでにいえば千夜の事情も知っていて、すべてお見通しなのである。


だからこそ左馬之介は味方をしてくれるとはならなかった。

感情だけで動くほど、分別のない若い男ではないのだから。


しかし新之介は、はいと従うことを躊躇ためらった。


「お前のしていることは高村家のためにならないと心得よ」


はっ……という短い返事は、左馬之介の威圧にひるんでとても小さいものだった。

面を伏せて感じる空気もどんよりとしているようである。


「友を思う、その気待ちはわかっておる」


降ってきた左馬之介の優しい声に、新之介はやっと安心して肩の力を抜いた。

世の中どうにもならないことがあるのだと父にさとされて、あらためてやるせなさが襲う。


「もう止めることはできないと……」


「……あ奴も考えたものよ。主計殿は真面目で勤勉、清廉潔白な仁だ。

およそ盤石な身内がほしいといったところか」


仁兵衛を思い出して、左馬之介は苦々し気に告げた。


「御書院番には派閥でもあるのですか?」


「派閥というほどのものはない。儂のように出世には無頓着な者と、出世を望む者には隔たりがあるといえよう。

主計殿はどちらというわけでもないが、仕事ぶりからは出世の兆しがある。あ奴はもしものときのために、手元に高村家がほしいのだろう」


「であれば、その、もっと格上の家と縁組を結べばよろしいものを」


「中原家の次男は大身旗本の婿になっておる。菫殿は地盤固めにするつもりだ」


新之介は武士の世界が恐ろしくも冷たいものであると、初めて肌で感じた。

中原仁兵衛が我が子を駒のように扱うむごい男だとも見えるが、これが武士の世なら至極普通なこととして映るのだった。


いつかは新之介も妻を迎えることになる。

左馬之介は出世のために縁組を決めたりはしないだろうが、伊東家のためになる相手をと選ぶことは必定である。

そこにあるのは、子どもへの愛情だけではない。


「なぜ父上は、中原様と折り合いがよろしくないので?」


この際だからと、新之介は気になっているところを訊いた。

出世を競う仲でもなし、折り合いの悪い理由に見当がつかなかった。


「はて、心当たりがありすぎてな……

少年の時分、剣術大会であ奴に勝ったことや、あ奴が所帯を持って早々に色街でばったり出くわしてしまったことや……」


左馬之介が並び立てるどれもが他愛なくて、新之介は苦笑した。






冬野は満月屋から帰ると、夕餉ゆうげまでの時間を自室で無為に過ごしていた。

ぼんやりとしていたところへ、母の蓮が朝顔の鉢を持って訪れた。


「菫さまがくださいましたの。貴方がお留守でがっかりされてましたよ」


そしていつから花好きになったのかと尋ねられて、冬野は曖昧あいまいな返事しかできなかった。


「近頃帰りが遅いようですけど、どこで遊んでいらっしゃるのかしら」


「別に、どこも……」


「母に言えないやましいところなのですか?」


「滅相もありません。釣りを楽しんでいるだけです」


蓮はそれ以上を問い詰めないで部屋を出ようとしたので、冬野はほっと胸をで下ろしたのだが、


「どうして縁談がお嫌なのです……」


と触れてほしくないことを聞かれた。


「それは……父上に申し上げた通りです」



はかばかしくない息子の返事に、蓮も主計も頭を抱える思いだった。

夫婦がそろった居間では、主計のため息が聞こえる。


「冬野はまだ駄々をこねているのか」


幼子じゃあるまいしと言って、再び主計が息を漏らした。


「何か理由があるのでは……」


「己を未熟者と言っておったな」


「そうではなくて……あの子、嘘が苦手ですから。旦那様もご存じでしょう」


「他に何の理由があるというのだ」


主計が憮然ぶぜんと答えたのを最後に、話題はそれきりになった。

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