第4話「水面下」

 6月。とうとう来てしまった…


 市民プール館。


 私が生まれて唯一にして最も苦手なスポーツである水泳。本当は来たくなんかなかったのに、毎年毎年リクの口車に乗せられ、連れて来られる。


 別にリクと二人なら何も気にしないけれど、いや、やっぱり沈むとこは恥ずかしい…しかも今日はよりによってカザマも来てる。


 どうせリクの水着目当てだろうけど、二人を応援すると言った手前、カザマを断る理由が見つからない。



 「楽しみだなプール!今年もいい沈みっぷり見せてくれよ!」


 「……うざいんですけど。」


 「おいおい、そう睨むなって!今年は俺様が泳ぎ方教えてやるよ。ハハハ」


 「カザマの教えはいらん!!」


 カザマは得意げでムカつくほどのまぶしい笑顔を見せてくる。普段の生活ではだらしないくせに、水泳だけは無駄に上手のが余計に腹立つ。なんでこいつの恋なんか応援しちゃったんだろ。


 「これ以上からかったら噛みつかれるぞ。よーしよしいい子!」



 私をプールに誘った元凶が後ろから抱っこして、頭をなでて来た。


 「狂犬じゃないんだから!!もういい、いくんならさっさと行くよ!」


 そういって私はリクを振りほどいて、女子更衣室へ向かった。


 「俺らもぼちぼち行きますかね。」


 「そうだね。いやーアオイちゃんは今日もかわいいなぁー」


 二人は私に続いて、それぞれの更衣室へ入っていった。



 水泳が苦手ってのも大前提だけど、プールが嫌いな理由はもう一つある。それはこの更衣室である。


 リク含めてこの市民プールに来る女の人ってなぜかみんな胸が大きい、私を除いて。


 私も小さくはないと自負しているが、リクなんかに比べると相対的に小さく見える。決して私が小さいわけではないのに、なんだか窮屈を感じてしまう。


 おまけに個室がないので、まわりの大きい人々に晒しながら着替えてるみたいで、余計にみじめな気持ちになる。そんなわけで、プールサイトに入るまでですでに私のやる気は、ゼロを通り越してマイナスになっている。



 「相変わらずアオイってちっこいよな。」


 「なっ!!開口一番に人の胸の小ささをいじるなんて最低!変態!ドすけべ!!」


 「いやいや、お前の身長の話だよ。成長期なんだからちゃんとメシ食えってこと。」


 「あ、………はい。」


 これだよ。人がやっとの思いでプールサイトにたどり着いたのに、こんな恥ずかしい罠にかけやがって、この男は!!



 「あら、二人とも早いね。よし、アオイちゃんおいで!」


 「おいおい、滑るから走るなよ。」


 リクは私の手を引いて、小走りで初心者レーンに連れて行ってくれた。どうやら泳ぎ方を教えてくれるのはウソじゃないみたい。


 「大丈夫かあいつら…リクは泳げるけど、教えるのは上手くできるのか…」


 私とリクが入水したのを確認したら、カザマは上級者レーンに行って泳ぎ始めた。



 かくしてリクは私に泳ぎ方を教え始めたのだが、水中に沈むのが上手すぎるせいで一向に上達する気配はない。


 「まいったね、ここまでくるとアオイちゃん逆に潜水の才能があるのでは?」


 「潜れるけど、上がって来れないんじゃ意味ないよ…」


 「そうだ、バタ足やってみたら案外できそうじゃないかな?私、手掴んであげるからさ!」


 「や、やってみる…」



 「ほら、こっちおいで。」


 リクはレーンの真ん中あたりに移動して私を待つ。


 「待って、今い…ハッ!!」


 遠くにいるリクに注目してたせいで、私は足を滑られてしまった。市民プールなんて基本足が付くぐらいの深さだが、顔面から水に突っ込んだ恐怖で私はパニックになってしまった。


 「アオイちゃん!!」


 こういうときに限って私はプールの底まで沈まず、水面と水底の間でもがき苦しむ。ちゃんと呼吸できてないせいで、立ち上がることに意識を向けられずにいた。そしてそのうちに頭の意識は死への恐怖に支配される。



 「おい!」


 誰かが背後からお腹に腕を回して、私の上半身を水中から持ち上げてくれた。呼吸を取り戻した私は命の恩人の顔を一目見ようと後ろに振り向いた。


 「……カザマ!」


 「大丈夫か?」


 「…う、うん…ありがと。」


 顔から耳まで燃えるように熱くなった。なんだかカザマの顔を直視できなくて、彼の目から逃げるように背けた。これはきっと、周りの視線で恥ずかしくなっただけ。そう自分に言い聞かせた。



 「ごめんなさい、アオイちゃん…私が不注意なせいで怖い思いさせちゃって…」


 「いいよ、大丈夫…ていうか、カザマいつまで私を抱えてるの?」


 「悪りぃわり。ほいっと。」


 カザマはそっと離してくれた。普段ガサツで私のジュース勝手に飲むくせに、こういう時は優しいなんてずるすぎる。


 「しょうがない!アオイいくぞ、俺が教えるよ。」


 「へ?」


 「カザマよろしくね!それじゃ私ちょっと泳いでくる。」



 「だ、だれもカザマに教わりたいなんて言ってないんだけど!?」


 「いいんだよ、俺が教えたいの。」


 私が転ばないようにカザマは手首を掴んで、プールサイト側近くまで連れていってくれた。


 「最初は息継ぎからいこう。ほら、手握ってるから頭だけ水の中に入って。息がキツくなったら上がって。」


 「私はいいよ…」


 「え?」



 「だから、私なんかに構わなくていいから、リクと一緒に泳いで来なよ……好きなんでしょ、リクのこと。」


 人は本心と真逆のことを言うときって、胸の奥がこんなにも締め付けられることを知った。


 「たしかにリクは好き。でもそうである前に、俺はお前の兄貴だから。アオイが困ってんならどんな時だろうとほっとけねーよ。だろ?」


 「………カッコつけんな、バ~カ…」


 「お前なぁ。ほらやろうぜ。」


 「うん。」



 カザマはどうしてリクが好きなのだろうか。どうして好きなのは私じゃないのに、こんなに優しくできるの?


 本当はなんかになんて甘えたくない、もっと進んだ関係がいい。カザマが優しいせいで、いつもという立場に甘えてしまう。


 例え、リクと結ばれても妹としてなら一緒に居られる。そんなずるくて醜い自分に嫌悪感を覚える。素直に祝福できない自分が嫌い。


 二人とも自分の体の一部のような親しい人なのに、醜い自分のせいで優しかった思い出が歪んでしまう。



 「できたんじゃねぇか!クロール!」


 苦しい思いから逃げるように、水面から顔を上げた。カザマが丁寧に教えてくれたおかげで、クロールで25m泳ぎ切った。


 「できた!!私!泳げる!!」


 「よくやったな!これからはもう沈まなくていい、クラスのみんなに見せつけてやれ!」


 「うん!!カザマありがとう。」


 「感謝するならまた、カレー作ってくれよ。」


 いつか、私も水泳のように自分の気持ちを上手く隠せるのだろうか。

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