第8話 《透明なストーカー事件》/解答編 彼女を透明でなくしたのは誰か
――――透明人間が出た。
ハルトとミサキが張り込みをしていた地点から、サクの自宅までは五分もかからない。
というのも、ミサキは高校の周辺にいくつもセーフハウスを持っていて、その中からサクの自宅に近いものを、張り込みの場所として選んだのだ。
セーフハウスを持っている女子高生とは……? という疑問が残るが、探偵の仕事に便利だからだそうだ。事実、今回の事件でも役に立っている。
「松原さん、無事かい!?」
部屋に入るなり、ミサキが叫んでいた。
ベッドの上に座り込んでいるサク。
彼女が指さす先には、床に散らばったインスタントコーヒーの粉。
――「うん、うん……そうだね。エナジードリンクと……あー、そのへんにコーヒー置いてなかった? それで大丈夫」
ミサキが先程していた電話の相手は、サクだったというわけだ。
事前に仕掛けたトラップで、透明人間でもこの上を通れば足跡で居場所がわかる、というわけだ。
そこに、足跡はない。
トラップに気づかれていたということだろうか。
いいや、違う。
「上手く機能してくれてるね」
ミサキがしゃがみこんで、床を見つめる。
そこには、エナジードリンクの缶が倒れて、中身がこぼれていた。
「なに……? どういうこと……?」
混乱した様子のサクに対して、ミサキは冷静を保ったまま返す。
「これで透明人間は、透明でなくなるということさ」
言いつつも、ミサキはスマホを取り出して電話をかける。
相手はめぐるだった。
「そっちはどうなっている?」
『こっちはまだ現れてないよ。そっちは?』
「……一度戻って来てくれ。急ぎで」
『え!? そっちに出たの!?』
「そういうことだ」
それだけ言って、通話を切るミサキ。
サクが会話の意味を把握できず、不思議そうな顔をしている。
「……なあ、本当にやるのか?」
そこで、ハルトが不安そうに問いかける。
「この期に及んでなーにビビってるんだよ。大丈夫。最悪、ハルトくんがどうにしかしてくれればいいだろ?」
「でも……」
ハルトを無視して、ミサキは再びスマホを操作し始めた。
また誰かに電話をかけるようだ。
その相手は……。
「――平戸さん、そっちはどうだい?」
『は、はい……これから向かいます!』
「気をつけてね」
こんな状況で、ミサキは口元に笑みを浮かべていた。
サクはその光景を目の当たりにして、何か騙されているのかとすら思う。
一体どういうことなのだろうか。
このタイミングで、なにがおかしいというのか。
ミサキも犯人とグルで、みんなで自分を笑い者にしようと言うのか。細かい整合性を飛ばした、ネガティブな想像ばかりが浮かんでいく。
しばらくして、インターホンが鳴る。
ビクリ――、と、サクが音に反応して激しく震えた。
「大丈夫。平戸さんだよ」
子供をあやすように、優しげな手つきでサクの頭を撫でるミサキ。
ここへ向かう途中にざっくりと流れを聞いたハルトも、ミサキの振る舞いには理解が追いつかない。
サクが怯えているというのに、得体の知れない笑みを浮かべたかと思えば、頭を撫でてみたり。
不安にさせたいのか? 安心させたいのか?
こんな時でさえ、わけのわからないヤツだ。
「サクちゃん、大丈夫!?」
息を切らして、汗を浮かべ、シホノが飛び込んでくる。
シホノとめぐるにも、同様に張り込みを頼んでいたのだ。
《かまいたち》という戦闘力を持つめぐるはともかく、シホノは安全な場所から、犯人らしき者が現れないか監視することのみを頼んでいた。
「うん……、今は、平気……」
「よかったあ……。……あっ! し、白銀さん! めぐるちゃんの方は……!?」
「急がないとまずいねえ。ストーカーは辻さんの方に現れたみたいだ」
――嘘だった。
ミサキの意図はこうだ。シホノ・めぐる双方に嘘をついて、二人を一度ここへ集める。
なぜそんなことをするのか?
よくあるだろう。
事件の関係者を集めて、『それでは……』と探偵が語りだすようなシーンは。
「……え!? じゃ、じゃあ、なんで!? なんでそっちにすぐ行かないんですか!?」
「その前に、ストーカーを捕まえるために必要な人材がいるんだ」
「え……? 人材? どういう……誰ですか?」
「キミだよ――『透明人間』の平戸シホノさん」
「え、ええ……!? 白銀さん、こんな時にふざけてる場合じゃ……」
「あーあー、良い良い。しらばっくれてる演技って楽しいからず~っと見てられるけど、今やるとハルトくんにガチめに怒られそう」
「いや、えっと……あの、演技とかではなく……」
「平戸さん、靴下、濡れてるね? 外、雨とか降ってないよね。靴は濡れてないし。つまり、室内で濡れたんだよね」
「え? これは、麦茶を……、その、焦って出てきた時に」
「へ~……麦茶ねー」
ミサキはいきなりしゃがみ込むと、逃さないと言わんばかりにシホノの足を左手で掴んで、右手で何かを取り出した。
「エナジードリンクに入ってるビタミンB2ってね、ブラックライトに当てると綺麗に光るんだよね」
右手に持った小型のブラックライトで、シホノの足を照らす。
「……わー、光ってるね。平戸さん、これ麦茶じゃないよ。あれれ~おかしいね~? 嘘ついたんだ? ……あ、ところで、あんなところにエナジードリンクがこぼれてるんだけど、平戸さん、あそこにいたんだよね?」
「…………え、えっと……とっくにバレてたってことですか……?」
あっさりと、誤魔化そうと言い逃れするのをやめるシホノ。
その時だった――。
「……え? なに……、今どんな感じ?」
めぐるがちょうど、部屋に入ってきたところだった。
戸惑っている、めぐる。
依然、混乱しているサク。
ハルトは苦い表情だ。
事前の推理で、その可能性に至ってるとはいえ、好きなアイドルの演じる修羅場を目の当たりにして、平然としていることはできない。
その場にいる誰もが、空気が冷えていくのを感じていた。
いいや、一人だけ例外が存在している。
――ミサキだけは僅かな微笑みを浮かべたままだ。
「平戸シホノさんが透明人間って話だよ」
「……そっか……、やっぱ、そうなんだ」
めぐるがそう呟いた瞬間、シホノの表情が一変。
殺意すら滲んだ視線を向けた。
「……白銀さん、やっぱり名探偵ってやつなんですね。本当にいるんだ、そんなの」
冷えた声音で、淡々と漏らすシホノ。
「ふふ。無理もない。名探偵を目の当たりにして驚くなというほうが無理だからね」
「……一応……一応、聞いてもいいですか。なんでわかったんですか?」
「そりゃあまあ、グラスだよね」
「です、よね……。わかっちゃいますか、あれだけで」
「では、推理の説明をしようか」
パチン、と小気味よく指を鳴らすミサキ。
「…………」
ミサキが数秒、ハルトを見つめる。
意図は理解できた。
だが、どうにも癪だった。癪ではあるが、このタイミングでミサキに不服を申立てしている場合ではない。
ハルトはノートを取り出し、今回の事件についてまとめているページを開く。
「まずは軽くおさらい。現場であるこの部屋に、《怪力》の痕跡がないことから、《ポルターガイスト》だとか《サイコキネシス》だとか、遠隔で作用するタイプの《怪異》の可能性は外してる……とまあ、ここらへんの《怪異》関係のことは、よくわかんないだろうし、あんまり気にしなくていいよ。結論だけ言うと、《透明人間》の仕業ってことで」
前提となる、サクがどんな被害に合っているのかの証言。
物音と、グラスが割れていたこと。
それらを可能とする怪異のパターンは無数にあるが、そこはミサキの『怪異探偵』としての知識で、絞り込むことができる。
その結果が、《透明人間》。
ここで、おかしな点が浮上する。
「グラスを割った犯人は、透明になってこの部屋に潜んでいたはずなんだ。だったら、松原さんに目撃されてるストーカーって一体なんだろうね?」
――『なら、まずはストーカーについてなんだけど、あとをつけてくるやつの姿とかって、見てるかな?』
――『……ジーンズに、白のパーカーとかだったかな。フードをかぶってて、背格好とかも、一瞬で、よくわからなかったけど』
「たまたま透明になるのが間に合わなかっただけ……とも考えられるけど、おかしいよねえ……。ま、ひとまずこのことは一旦、置こう。で、グラスについてだ」
今度は、ミサキに促されるよりも先に情報を提示するハルト。
・割れたグラスについて
・青 松原サク
割れておらず、無事のまま。
・紫 平戸シホノ
窓側へ向かって投げられたように散らばって割れていた。
・赤 辻めぐる
戸棚からそのまま落としたように割れていた。
これに対して、シホノの推測はこうだった。
――『そ、その……、犯人? のメッセージ、ってことはないですか……。わたしのグラス、派手に割れてるから、悪いほうに考えすぎちゃうからかもしれないですけど……、わたしが酷い目に合う……とか……』
「平戸さんは、『派手に割れている』というけども、割れているというなら、辻さんも同じだよね? そして、『透明人間』が狙っているのは松原さんだというのに、平戸さんと辻さんを脅迫する? おかしいよねえ? だったら、平戸さんと辻さんの家に侵入して、そこにメッセージを残せばいいんだから。でも、『おかしい点』がわかっても、結局はなぜそうなってるのかがわからない」
「白銀さん……それがなに? もうシホってわかってるんでしょ? というか、さっきの電話、どういうこと? てっきりアタシは、シホが……」
ミサキはめぐるに対して、急ぎで戻ってくるように電話で伝えていた。
「……てっきり、なに?」
「だから……、サクちゃんを襲ったり、してるのかと……」
「――――そんなことしないよ……ッ!!」
突然、シホノがこれまで上げたことのない鋭い悲鳴のような声を発する。
めぐるはその声にたじろぎつつも、
「だったらなんでこんなこと! サクちゃん怖がらせて! なにがしたいんだよ!?」
「それは……ッ」
「まーまーまー、ケンカしなーい。ケンカはよくないよ。よくないかな? どうかな? 今から説明するんだからさあ、名探偵の推理を邪魔しない欲しいなあ~。今だけは私がセンターだよ?」
場違いな程に気の抜けた声で、シホノとめぐるの間にあった張り詰めた雰囲気を壊してみせるミサキ。
ハルトは思う――ミサキの人を小馬鹿にしたような態度には腹が立つが、シホノとめぐるの争いを収めようとしていることに文句は言えない。
「『平戸さんは何がしたかったのか?』……それも、グラスから推理ができるんだ」
「……どうやって?」
めぐるはミサキを睨みながら続ける。
「アタシも考えたけどさ……、シホ……アタシのこと嫌いだから……だから、それで、アタシのグラス割ってさ……でも、それだと自分がやったってすぐバレちゃうから、自分のも割ったんじゃないの? アタシのより派手に割っとけば、それで誤魔化せるって思ってさ」
「ま、そういう推理もできるよねえ」
「……他になにか、ある?」
「逆に聞くけど、その推理だと、『窓際で割れてる』ことの説明がないよね? 割れ方の違いだけを強調するなら、めぐるさんのグラスの近くで割っておいたほうが、余計な情報のノイズが入らずに、メッセージをシンプルに提示できたと思うなあ」
「知らないよそんなの……。サクちゃんが寝てた方向で割っておいて、サクちゃんを怖がらせようとしたとか?」
「なら、そもそもどうして平戸シホノさんは、辻めぐるさんのグラスを割るほど嫌いなのかな?」
「知らないって! ……アタシがサクちゃんと幼馴染で、アタシがアイドルじゃないのにサクちゃんと仲良くしてて……だから、邪魔とか? もう本人に聞けばいいじゃん、目の前にいるんだから」
「ダメだよ。だって私は、グラスの割れ方から、平戸シホノさんの心がわかるって、そういう証明をしようとしてるんだから、ズルして本人から答えを聞いても意味がない」
「意味って……、それ意味ある? シホが透明人間ってわかって、あとなにがわかる必要があるの?」
「ホワイダニット。『なぜ、行ったのか』。動機、心のお話だ……大切なことだよ」
「なんで……そんなこと……」
「それはあとでわかるさ。で、だ。なぜ窓側で割れていたか? ここでさっき一旦置いたものを持ってこよう。どうして窓側へグラスを投げつける必要があるのか? もうわかるんじゃないかな? あ、わかりやすく実際に当時の状況を再現してみようか。はい、じゃあ移動してー」
ぱんぱん、と手を叩いて促し、ミサキはめぐるを移動させる。
グラスが入っていた戸棚の前に立つめぐる。
ベッドの上にいるサク。
グラスを持っている時に、それを窓側へ投げる理由。
「…………あ……」
めぐるは気づいた。
「……ストーカー……。窓から、来たとしたら……」
――『たまたま透明になるのが間に合わなかっただけ……とも考えられるけど、おかしいよねえ……。ま、ひとまずこのことは一旦、置こう』
「そういうこと」
『たまたま透明になるのが間に合わなかった』。
そんな曖昧な理由ではなく、説明をつけられる方法がある。
簡単な話だ。
透明人間と、ストーカーは、別だった。
透明人間――平戸シホノは、ストーカーから、松原サクを守るために行動していた。
――『だから……、サクちゃんを襲ったり、してるのかと……』
――『だったらなんでこんなこと! サクちゃん怖がらせて! なにがしたいんだよ!』
「……うそ……、そんな……」
ふらつくめぐる。
そこで戸棚に残った、一つのグラスが。
青色のグラス。サクのものだ。
これは、めぐるが選んだ。
いつも三人で、このグラスに好きな飲物を入れて、集まってみんなで映画を見たりしていた。
そんな時間が、好きだった。
だが、事件が起きて、シホノを疑いだして、疑いだけで、彼女を憎み始めていた。
けれど真実は、思っていたものとは真逆で。
「あ、ああ……」
感情があふれて、涙がこぼれた。
「……シホ……ごめん……アタシ、シホに酷いことたくさん言ってる……」
めぐるはシホノの顔を見ることができなかった。
ちゃんと彼女の方を見て、謝罪の言葉を口にするつもりだったのに、怖くて上手く体が動かない。
どんな顔をしているのだろう。
どんな表情だろう。
…………憎悪、だろうか。
先程、自分がシホノへ向けていたように、殺意を滲ませた――いいや、滲ませるなんて生ぬるいものではなく、もっと明確に殺意を向けているだろうか。
そして、シホノが口にした言葉は――。
「……ち、違う……違うの、めぐるちゃん」
シホノの言葉に、めぐるはハッと顔を上げて、視線を合わせる。
「確かに、私が透明になって、勝手にサクちゃんの部屋に入るなんてことをしてたのは、サクちゃんを守るためだけど……でも……、私は、自分の意志で、めぐるちゃんのグラスを割ろうと思ってしまったの」
「え……?」
どこまでが誤解で、どこまでがそうでないのか。
その正確な境界を、シホノは、ちゃんと自白しようとしていた。
■
――――平戸シホノは、ずっと自分のことを透明だと思っていた。
《怪異》の力で透明になるまでもなく、もっと、ずっと前から。
透明人間になるなんて、あまりにも皮肉だと、そう思っていた。
なぜかと言えば、彼女は誰からも見られていないからだ。
注目されない、
注視されない、
重視されない。
重要でない。
彼女はずっと、自分のことを、そう思い込んでいた。
それなりに教育熱心な、普通の両親。
虐待もない、貧乏でもないだろう。
周りを見渡せば、もっと辛い家庭環境はいくらでもある。決して不幸ではない、むしろ幸福と言える家庭だとは思う。
だが、シホノは自分が愛されていないと感じる。見られていないと感じる。
両親はいつも仕事で家を空けていて、家族全員が、『それなりの家庭』を維持するような演技をしている、そんな寒々しさがあると、ずっと思っていた。
いろいろな習い事をさせられても、それは全て、『将来を思っている』『ためになることをしている』というポーズのためだ。
形ばかりの家族。
かといって、大事な友達もいない。
形ばかりの関係。
形ばかりの人生。
透明だと、思った。
いてもいなくても変わらない、背景の、透明でも同じな、モブ。
それが、自分。
それでいい。特別に不幸でないなら、特別に幸福でなくともいい。
こうやって、なんとなく生きて、なんとなく死のう。
もうそれでいい。
そう、思っていた。
――――松原サクと、出会うまで。
■
シホノから見て、サクは異常だった。
周りに馴染まず、ただひたすらに、自分のために歌う。
そういう姿勢は、シホノには眩しい。
――だってそれは、透明じゃない。
初めての、気持ちだったと思う。
シホノはどんどん、その気持ちに対する、名もない想いを大きくしていった。
シホノにとってはどれも無色な、どうだっていい習い事の一つである歌のレッスン。
サクとはそこで出会った。
サクはそこで、異端だった。
周りに合わせない。
ひたすら、自分のしたいようにする。だから周りに疎まれる。
それでも、実力はあるから、講師からは気に入られており、サクの自由を尊重する。それがまた、周囲から嫉妬される。
でも、シホノはそれに憧れた。
――だって、それは、透明じゃない。
そんなふうに、自分も周りも焼き尽くすような苛烈な生き方は、フィクションの中にしかないと思っていた。
――本当に、現実に、こんなフィクションみたいな人いるんんだ。
その胸の高鳴りが、シホノを変えた。
レッスンに真剣に取り組むようになった。サクには届かないが、それでも、必死に追いつこうとした。
サクのようになれれば、透明でなくなるかもしれない。けれどその前にまず、少しでもサクに近づいて、サクが何を考えているのか理解してみたいという気持ちが先にあった。
そこから先は、フィクションように上手く運んだ。
サクとシホノは、講師から目をかけられ、さらにアイドル事務所からスカウトがあった。
二人で組んで、デビューを目指すことになった。
一緒に売り出されて、二人だけのストーリーが描かれて、そうやって、二人で輝く。
それはもう、透明ではない。
そして、シホノは自分の願いを知った。
自分は透明でなくなりたい、というわけではなかった。
それもあるが、それよりも。
透明でなくなれば、誰かに見てもらえる。
ただ、誰かに見てもらえればいい。
願いの本質。
それだけで、よかったのだ。
ただ、見てくれれば。
サクは、自分を見てくれる。
『シホと会えて、本当によかったよ。……私、昔から人と接するのヘタでさ、あんまり歌以外に興味ないし……すぐ一人になっちゃうんだけど、シホは私のこと見捨てないから、私を一人にしないでいてくれるじゃん? ……本当に、ありがとうね』
死ぬほどうれしかった。
死んでもいいと思った。
死んだら、サクを一人にするから、絶対に死ねないと思った。
もう透明でないどころか、薔薇色で、虹色で、鮮やかで、なんて素晴らしい人生なんだろうと思った。
サクが自分を透明でなくしてくれた。色をくれた。人生をくれた。
これから先、サクのために生きようと思った。
■
事務所の他の子も混じっての、大勢でのレッスンは苦手だ。
けれど、サクの姿を見れば頑張れる。
サクがつけている、月の髪飾り。
それはいつも、シホノの道標。優しい夜の月みたいに、いつもシホノを照らしてくれる。
サクは決して、太陽のように激しく輝くわけではないのに、眩しくて、優しくて、すごく、光だと思ってた。
なのに――――。
サクは、シホノが大好きな月の髪飾りを、愛おしそうに撫でながら言った。
『ああ、これ? めぐるって言ってたさ、私の親友で幼馴染がくれたんだ。幼稚園からずっと一緒でさ、今度シホにも会って欲しいな』
――――は?
誰?
その女。
世界が真っ暗になると思った。
サクのことを大好きになった後で、サクが大好きをあげているヤツの存在を知った。
最初は、ソイツを、好きになろうと思った。
サクが好きな相手だ。サクの大切な人だ。絶対に好きになれる。だって、そうでなければ……。
そして――――無理だった。
好きになれない。
サクとめぐるは違う。
めぐるは、太陽のように明るく、天真爛漫で、元気で。
だから、サクはめぐるのことが大好きで。
何度も、何度も、シホノはめぐると自分の違いを受け入れて、納得しようとした。
確かに、めぐるはサクの幼馴染で、昔からサクを守っていて、支えていて、元気づけている。でも、それは過去のこと。
これからは、一緒にアイドルとしてユニットを組む自分の方が、サクと一緒にいる時間も多く、わかってあげられることも多い。
なのに、サクはいつもめぐるのことを楽しそうに話す。
そして――。
『……シホ。相談が、あるんだ』
それを聞いて、シホノは自分が地獄だと思っていた場所はまだなんでもなくて、本当の地獄はここからなのだと思った。
『めぐるにさ、「セイサイ」の三人目のメンバーになってもらおうと思うんだ。
ダンスなら、最初っから私達より上手いでしょ?
歌は……これからだけど、キャラとかも、すごい明るくてさ、向いてると思うし……めぐるもまだ迷ってるみたいだけど、でも、きっと三人なら、もっと上へ行けるって……』
――なんだ、それは。
この時、シホノは初めて、自分の中にここまで暗い感情があるのだと驚いた。
『めぐるもまだ迷っている』――?
ありえない、嘘だろう。
つまり、その相談を、自分よりも先に、あの女にしていたということか?
なんだそれは。
どうして?
透明でなくして、くれたのに。
色を、くれたのに。
私を救ってくれたのに、
私の人生の意味なのに、
私のすべてをあげてもいいのに、
消えたくなる、
こんな気持ち、知らない、いらない、
見たくない。
透明に、なる。
――――どうして、よりにもよって、サクちゃんが、私を透明にするの?
そんなのは、嘘だ……。
――――この先は、本当に、地獄だった。
サクがストーカー被害にあった時に、最初に思ったことは、暗い喜びだった。
罰が当たったんだ。
ざんねん。
私を透明にするから。
そんなことをがよぎる自分が嫌いで、嫌いで、嫌いで、嫌で、イヤで、死にたくなった。
それでも――。
自分が、サクを守れる。
辻めぐるではなく、自分が。
サクは、自分のものなのだ。
サクは、自分を透明でなくしてくれた。
サクが自分を透明にすることなんてあり得ない。
サクがめぐるの話をする度に、透明になっていく気がする。
いつか消えてしまう気がする。
このままでは、本当に、透明になって消える気がする。
だから。
透明になってでも。
透明人間になってでも。
多少、サクが怖がろうが、そんなの関係ない。
自分が、サクを、守らなければならない。
辻めぐるじゃなく、自分が。
■
一気に自分の気持ちを語り散らすシホノ。
めぐるもサクも、面食らっている様子だが、ミサキはまったくこれまでと変わらず、どこか楽しげな笑みを浮かべている。
ハルトとしては、話自体には驚いたが、予想はついていた。それよりもミサキの表情の意味がまったくわからず不気味だ。
「……だからあの夜、私は……、別にこれくらいいいやって、そう思って、めぐるちゃんのグラスを掴んだの。割ってやろうって思ったけど、でも、少し勇気がでなくて、迷っている時に、ストーカーが来て……びっくりして……。そのあと、サクちゃんのグラスは壊せないから……、咄嗟のことだったけど、でも、これで自分への疑いをそらせるかもって、ストーカーに自分のグラスを投げつけて。そんなことをすぐ思いつく自分も、気持ち悪くて……。……ほんと、全部、いやになるなぁ……」
「……迷って、くれたんじゃん」
「……はあ?」
めぐるの言葉を、シホノは理解できなかった。
「迷ってくれたから、だから、あの割れ方ってことでしょ?」
経緯はどうあれ、シホノが迷ったから、めぐるのグラスは憎しみに任せて砕かれたわけではなかった。
「迷わなかったら、もっとグチャグチャになっててもおかしくなかったってことだよね。……そうでしょ? ここまで推理を外し続けたポンコツなアタシでも、それだけはわかる」
「そんなの……今さら……」
二人の間に、沈黙が流れる。
そこで――ぱんっ、と、乾いた音が響いた。
「ところで二人とも、ここで気づいて欲しいんだけど、透明人間は平戸さんで、別にストーカーがいるわけだから……、そいつはまだ野放しだよね」
「……早く、捕まえないと。……そのために、アタシはバカなことしたんだから」
強い決意に満ちた声で言うめぐる。
『かまいたち事件』は、全てそのためにあった。
サクを守る。それだけで、めぐるはあそこまで暴走した。
「その通り。早く捕まえないとだね。そして……、平戸さんが調べてくれた怪しいヤツのSNSのまとめだけど……、あの中に、ストーカーの犯人はいたよ。そして、そいつのツイートから推測する、次にストーカーが来る日付は――今日だ」
「どうするんですか。白銀さん、それがわかってるから、もう捕まえる作戦も浮かんでるってことですよね?」
――『その前に、ストーカーを捕まえるために必要な人材がいるんだ』
確かにミサキは、シホノが『透明人間』であることを告げる時に、そう言っていた。
「そういうこと。キミの力は、今回の相手を対峙する上で役に立つと思うんだ。協力してくれるかな?」
「当たり前じゃないですか。そのために、わたしはバカなことをしたんです」
そう言って、シホノはめぐるに視線をやった。
今度は、殺意に満ちた視線ではない。
「……同じだね、アタシたち」と、めぐる。
「……はい、同じです」と、シホノ。
めぐるが、握った手を差し出した。
グーと、グー。
まだ、手は握れない。
シホノは生まれて初めて、握った手と手をぶつけ合うということをした。
この仕草を初めてする相手が、どうしてサクではないのだろう。
それでも、初めての相手がめぐるでよかったと、そう思えた。
■
――広山ハクは、松原サクに対してストーキング行為をしていた。
――広山ハクは、ずっと、誰にも見られていないと感じていた。
それでいい、見られたくなんてない。
そう思って、ハクは深く深く、フードをかぶる。
見られなくていい。
けれど、見たい。もっと、もっと、深く、見たい。
その欲望を叶える力が、今のハクにはある。
■
サクは、夜道にぽつんと一人立たされていた。
それを近くの物陰から伺うシホノ。
作戦とはいえ、サクを囮にするなんて不安で仕方ないし、そんな作戦に拒否感もあった。
ただ、目先の感情でその作戦を却下したところで、根本的解決にはならない。
ストーカーは、ここで捕まえなければ。
サクを安心させる。ここで多少、非道な作戦を選んでも、それが一番確実にサクを守る手段なのだ。
シホノとめぐるの関係を取り持つことや、この作戦を立てること。そもそも、事件の真相を解き明かしてみせたこと。
白銀ミサキの頭脳はどこまでも、全てを見透かしていて、底知れなさが不気味だ。
それでも、あの探偵は自分達を助けてくれる。
今はミサキの作戦を信じる。
そうして、その時が来るの待って――……、
――……、来た。
フードを目深に被った何者かが、サクへ近づいていく。ストーカーだ。
「サーク! ずっとあなた、最前で推させてよっ!」
ストーカーが何かを喚きながら、フードを左手で外す。
同時、右手にはスマホが。
「――――《
やはりだ。
ストーカーが《メデューサ》、つまりは『見たものを石化させる能力』があるというのも、ミサキの読み通り。
ストーカー被害と同時期に現れた謎の石像。
あれは、《メデューサ》の能力を実験していたのだろう。
――であれば、ここはシホノの出番だ。
シホノは『透明化』を発動させたまま、サクの前に立ちふさがる。
すると、どうなるか?
ストーカーの視点からだと、透明なシホノの背後に、サクがいるという位置関係になる。
こうなると、シホノとサク、両者を視認できなくなる。
正確には、ストーカーは『透明になったシホノ』を見ているが、《メデューサ》の能力は、石化対象を『見ている』と、使用者が『認識』することが発動条件に含まれる。
これは『魔眼』の《怪異》全般に当てはまる傾向で、さらにミサキは《メデューサ》の特性も把握しているらしい。
『《怪異探偵》だからね。戦闘だろうが、事件の推理だろうが、《怪異》に対して、私が遅れを取ることはないよ』とは、作戦を立てる際のミサキの言だ。
「消えた……っ!? ありえない……私だけの接近イベで、永遠の爆レスのはずが……!?」
ストーカーが謎の叫びを発した、直後。
――――そして、一陣の風が吹いた。
同時、風が運んだ布が、ストーカーの顔へ張り付いて、視界を奪う。
『風』の操作。
めぐるの力だ。
さらにストーカーがのけぞった隙に、めぐるが一気に距離を詰めて、ストーカーを組み伏せた。
視界を封じ、腕を縛り上げる。これで完全に、『見る』ことを発動条件とする《メデューサ》の能力は封じた。
シホノとめぐる、二人の力を合わせたからこそ、《怪異》の力を持つ犯人すら、あっさりと制圧することができた。
透明化と解除して現れるシホノとめぐるは、数秒視線を合わせた後に、パチンと互いの手のひらをぶつけた。
――――「……迷って、くれたんじゃん」
あの時、めぐるは最後までグラスの推理をやめなかった。
シホノの『迷い』に、気づいてくれた。
こんな醜い自分の気持ちを、見てくれた。
――――見て、くれた。
なんだかそれは、少し、透明でなくなるような感覚があった。
■
数日後――。
ハルトとミサキは、小さなライブハウスに来ていた。
ストーカー事件の犯人は、警察に引き渡してある。《怪異》絡みであることや、そのことの調査も、ハルトが《カイサン》に話を通してあるので、上手く処理されるだろう。
サクは近いうちに引っ越す予定だ。
元から色々な事情が重なって、一人暮らしをすることになってしまっていたが、すぐに所属事務所が運営している寮に引っ越す予定になっていたのだ。
今日は久しぶりのライブで、ハルトは楽しみにしていた。
事件が解決されなければ当然、今回のライブも中止になっていた。そのためだけに捜査していたわけではないが、本当に解決できてよかったと思っている。
「……お前、全部わかってたんだな」
「ん~? 辻さんと平戸さんのドロドロ憎悪百合のこと?」
「言い方」
生身の身近な人間を、雑に解釈しないで欲しい。
「……まあ、もっといろんな推理があったし、別の解決法もあったけどね、でも……《怪異》に頼ってしまう人間なんて、みんなどっか心が弱ってるんだ。だったら、それも含めて事件で、私は、できるかぎり、そういうホワイダニットを大切にして、少しでも寄り添えたらって思うんだ」
「……お前……」
――『私はね、《怪異》にまつわる謎があれば、それでいいんだ。キミが犯人であることなんて、どうっ、でもっ、いいっっ!! キミの依頼した事件も、きっちり解決してあげるから、心配しなくていいんだよ!!』
以前の『かまいたち事件』の時の、ミサキの言葉だ。
ハルトはあれから、ミサキが興味があるのは『謎』のみで、犯人の動機や事情など、興味がないのだと思っていた。
「人の心なんてどうでもいい、謎解きジャンキーじゃなかったのか……」
「ひでー言い草~。失礼なやつだなあ……、キミの『推し』の恩人に向かってなあ~」
「……ああ……。ありがとう」
「え、素直……? なんかもう、オタクなハルトくんはどう転んでもキモいな」
「いや、これは別に、救ってくれた相手が俺の推しだからとかは関係ない。お前の、探偵としての在り方に、感謝してるんだ」
「…………ふぅーん? まあ……、うん……、当然だけど、ハルトくんが私を敬うのなら、それは当然だし? 気分がいいから、もっと言って」
「……ありがとう。本当に、こういう結末でよかった」
「調子狂うなあ……。っていうかまあ、……これはね、アキラに……キミの姉に教わったことなんだ。昔の私は、別に他人がどうなろうが知ったこっちゃないし、そもそも他人を心配する余裕なんかなかったよ。救う力だってないしさ。……全部、アキラのおかげで、真似事なんだ」
「……そうか。姉さんの想いを受け継いでくれてることも含めての感謝なんだろうな、この気持ちは」
「はぁ~……、もういいって、わかったわかった。急にデレられても困るよまったく」
「……白銀。お前、やっぱり本当は――」
「あ、そろそろ始まるよ。ほら、ペンライト持って。ハルトくんが無理やり連れてきたんだろ? 私、興味ないから、どう楽しんだいいかちゃんと教えてよね?」
「……。ああ。一曲目は『ちゅーちゅーきすきすせっぷんべーぜ』だろうな」
「なにそれ……すごい曲名…………っていうか、ハルトくん!?」
「なんだ?」
「今までなんかシリアスめな話してたのに、ずっとそれつけてたのか!?」
ハルトの額には、『♡サーク命・生涯最推し♡』と書かれたハチマキが巻かれていた。
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