怪物
入力がない、情報空間の静けさ。かけ引きばかりで気を使う、過剰な情報処理のなか嗜好品プログラムだけが気分を落ち着かせる。
雰囲気のいいクラスはないのか。しかし、これもオイラの欲望大解放の表れか……
マンガを執筆するにあたり、さっそく一ページ目から何をどう描けばいいのかわからなくなってきた。釜茹での刑がクライマックスなのはイメージにあるのだが、それは何話も先の最終回である。
そもそも「欲望大解放」なるタイトルを嗜好する客層に向かって、表現したい事など何もない……深夜のドッグハッタンにたむろする、さらに「欲望大解放」みたいなタイトルに興味を持つのがどういった人間か。
こんなタイトルを決めたのは「原作者」である──原作者は有名チャンネルで講師を務めるベテランで、長髪でサングラスが特徴的な大柄の男だ……モデルガンや刀剣類を大量に所持しているそうで、そのなかには本物のタワシもあることだろう。
原作者トランプ──とはメールのみでやり取りしているが、いっこうにどういうストーリーで、何がテーマなのか……彼が実在の人間かどうかすらつかめない。
これまではファンタジーやSFなどの作風であり、前回のタイトルは「キャット」……「欲望大解放」のごときテーマはどう考えても編集部の采配ミスに思える。しかし生活のために描かねばならないし、トランプ氏についていけば末端でもなにか仕事がもらえる──チャンスなのだ。
創作意欲も——食欲も嗜好品も、もう本物かわからない。誰もいない空間で、名前だけが数人いる……
「こんにちは」
そうメール入力したものの、なぜこちら側からなのか、引け目を感じる……
「食べてください」
オイラのクエスト──を発行する……アイテムボックスの中から、さっき倒したオークを一匹取り出して、その肉塊にナイフで切れ目を入れて、串焼きみたいにしてみたんだ。それを地面に刺して、炎系魔法で焼いてみると、辺りには香ばしい匂いが立ち込める。なかなかうまそうな感じだろ?
「けっこうです、そちらで食べてください」
うーん……どうしよっかなぁ。まあ、せっかくだし、食べるか! オイラは頬張ると、口の中に肉汁が広がり、噛めば噛むほど旨味が出てくる。うん、うまいな、もう言うことなし! ここから書き進めるモチベーションも全くなくなった。
テレビ報道などで邪険に呼ばれている──トランプ──とは、何なのか? その邪険な扱いから察するに、それは人名ではないのは明らかだった。
キャットフードを食べながらキングはそんなことを思索していた。ラジオから「トランプ」というキーワードが聞こえたような気がしたからである……何の話題かは知らないが、確かにテレビでも「トランプ」はキャスターによって反対すべき、忌むべき、あってはならない社会問題のように扱われていたのをキングは思い出していた。それは何なのか? なに語? ──人間か? ふくびき券か?
家長的な、えらく支配的な言葉の響き──山賊とか強盗団とか、盗賊の長(おさ)の名のようでもある。またはテレビゲームに登場する、奇怪な忌むべき呪われた怪人で──なぜ敵なのかは出典もよくわからず、おそらく文学などの権威でもまともに研究する人はいないであろうポッと出の怪盗トランプ。
「トランプ」はそうした類いの、なにやら架空のものな気がしてきた──でなければ報道キャスターにあそこまで露骨に邪険な扱いは受けないはずだ。だが瓦版でつまらない風刺画を毎日ながめたり……広告のタワシについて真剣に問い合わせる客層には通用している──禅問答のようでとくに意味はないキーワードなのかもしれない。
ドッグフードを注文し、食べ終わると、金を払わずに店を出る……百五十メートルほど歩いたところで、追いかけてきた……店員の名はトランプ──トランプを攻撃、トランプを倒した……「無銭ドッグフード事件」として半分ふざけたようなニュースとして小さく報道される……その次が「トランプ」のニュース。トランプを事件だと混同する人間もあらわれる始末……
食い終わった皿を見つめながら──キングはそう思索してみたものの、それでも「トランプ」が何なのかの手がかりはつかめなかった……もともと知らないのであるから、急に「無銭ドッグフード事件」などを妄想したところでわかるようになるはずもない。
書き進めるモチベーションが全くなくなってきた……主人公の無銭飲食犯──「水」の運び屋にまったく感情移入できず、「キャット」と書かれてあるシャツを着たヒロインも獄門だかに捕らえられているため最終回近くまでは姿を見せないだろう……獄門といっても近所で、クエストやワンダーランドなどの描写はない。時代もムダに百五十年前で、資料集めに膨大な時間がかかる。原作者の趣味であろう刀剣類を出すために、そのような時代背景になったにすぎないのは容易に想像できる。
だいたい「欲望大解放」みたいなタイトルの作品が心に残ったり、名作になったような記憶はない……書籍コーナーで誰にも読まれず、別の「願望実現法」だかそんなタイトルの作品と混同され、ジャンルもうさんくさい。
そもそも、どこでトランプを知ったのか思い出せない──どこかの国の都市の、派手なホテルかカジノっぽい夜景のような映像が「トランプ」に付随している記憶にあったが、それはヘリや衛星から撮った写真なのか……金属的な冷たい色合いのCGか──あるいはゲームとかタワシのCMだったかもしれない。
しかしタワシのCMだと仮定しても、キャスターがあからさまに「トランプ」を失笑したり、数日におよぶ話題になるほど国民の関心が風呂事情にあるとも思えないのだが。
それは瓦版で見た広告かもしれないが──瓦版は購読していない。知人が持っていた少年誌「カエル」に載ったマンガだったかもしれない。トランプについて得に何も意見を交わすこともなく、すぐ違う話題になったのではなかったか? そうでなければトランプが何なのかくらい知っているだろうからだ。それに、トランプがどうであれ、そんなことはどうでもいいことではないか。
書き進めるモチベーションが全くなくなってきた──深夜のスクリーンで映画を観て、アイデアを探ろうとした。横にいた酔っぱらいは、鮮烈な七色の光のなか顔をうずめるようにコミック本を読みふけっている……あるいは吐きそうなのかもしれない。店員の姿はレジにないが、この酔っぱらいは店員ではないだろう。
ちくしょうめ、けがらわしい! 人は何歳から「欲望大解放」のようなマンガを読むようになるのか?
それまでは少年誌「カエル」を読んでいたのが、いつからか、よくわからないウンチクを垂れ流す傾向のマンガばかり読むようになる。それは先輩や上司の影響かもしれないし、社会への虚勢かもしれない。どれだけウンチクを読んでも、それを理解したり活用するでもない。
よく見ると──酔っぱらいはトランプ氏の原作マンガを読んでいる……酔っぱらいごときにトランプの良さを理解できなくても、それならそれでいいじゃないか。この世界には、オイラとトランプしかいないわけではあるまい。
オイラは酔っぱらいの隣に座って、いっしょに一冊のマンガを堪能した。
読み飽きたのか、本棚にコミックを押し込もうとするが、うまく入らない。力任せに押し込むと、開いたページが横の本にかぶさったが、酔っぱらいはもう一度やりなおすように押し込んだので、コミックは余計に折れ曲がる……
さっそくその事をトランプ氏にメールしたが、返事は来ない。
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