魔導士
「こんにちは」
視界にメッセージが表示される。フィルタされないメッセージなのでキングからだろう。
「ぼちぼち『水』の運び屋をしてる。欲望大解放もへっへっへっ」
そう思考を翻訳した文書を──推敲して返信するやいなや涙が出たが、文章欄は滲むことなく表示されている。思考を、希ガスのうねりが再構成しようとした。向こうのキングにはそのパターンを伝えまいとする。
本当のところ欲望大解放はおろか、「水」の運び屋ですらなく、食事はひたすら「おにぎり」を繰り返す日々だった。栄養はそのつど数値でごまかした。
「また失敗だ……」
芝生に白いカーブを描いて「おにぎりジョブズ」のおにぎりがバスケットに投げ入れられる──バスケットの中にはおにぎりが六個ほど丁寧に並んでおり、それは外国ではやや珍しいものの、昼食かなにかの支度中の風景に見える。しかしそれらは、おにぎりジョブズの失敗作らしかった。
おにぎりジョブズは広大な庭の芝生に立ちながら地平線を見ている。おにぎりジョブズの目は、今ここではないどこかを見ようと真剣だった。しかし、おにぎり発祥の地である異国や異世界を幻視しているわけでもないようだった。
おにぎりジョブズは、おにぎりを上手に作る作り手としてドッグハッタンで有名であり、彼のフィギュアが売られ──活躍するマンガが少年誌「カエル」で連載されているほどであった。しかし彼はどうもおにぎりに自信がない……というあらぬ噂もインターネット経由で知れ渡っており、それを読んだおにぎりジョブズは、本当に自信をなくしてしまった。もう書き進めるモチベーションもない。
「チクショウめ……オイラのおにぎりの何が駄目だというんだ?」
おにぎりジョーカーのおにぎりを客観的に評価してくれたのは、魔導士キングであった。キングはもちろん、おにぎりなど食べたことも、見たことすらない。
おにぎりジョーカーは、最初は──白飯を手で固め、それを大量に売るビジネスがメディアで紹介され、またたくまに人気の握り手になった。たかだか一日で作れるおにぎり個数には限度があるので、実際に食べた客は六十人程度だったが。
おにぎりジョーカーは再びにぎってみたが、また気にいらない様子で、六メートル先のバスケットに投げ入れ、おにぎりが増えていく。彼自身は気がつかないが、おにぎりを正確にバスケットに投げ入れ、しかもそれが奇麗に並びそろう技能はたいしたものだ。
スローモーションで芝生の上を白いおにぎりが弧を描いてバスケットに入る。もちろんスローモーションはおにぎりジョーカーの技能ではなく、ビデオでスローモーションで再生するとそのように見える。隠しカメラを六台設置し、本人には知らせず、おにぎりジョーカーの様子をキングは監視している。
ただキングは彼がスランプに陥っている事などまるで見抜けず、おにぎりジョーカーがおにぎりを作ってはバスケットに投げ入れる行動をスローモーションで観察しているだけだった。
おにぎりは、たんに三角に固めればよく──まさかスランプが存在するなどキングは思わない。インターネットでおにぎりジョーカーを誹謗中傷をしたい人間はいろいろ書くかもしれないが、有名人であるおにぎりジョーカーにはその辺のスルースキルくらいあり、なければこんな事で有名になるべきでない……とも考えていた。
おにぎりジョーカーは六個目のおにぎりを作り、それも気に入らず、空に向かって投げたおにぎりにパクつきながら叫ぶ。しかし残念ながら隠しカメラには音声を収録する機能はついておらず、その声はキングには決して届かないのだった。
ワニ肉コーラ製造業(ワニクォーラ)社長である──キングは、イノベーションにはチームワークなどよりも社内の厳格な上下関係や、ほとんど因習のようなマナーが必須である、と昼休みにイスでひとり考えていた。なぜならそれによって駆け引きが生まれ、ギスギスした上下関係からこそ誰にも思いつかなかった新しいアイデアが生まれる(キングの発想であり、筆者のものではない……)。
昼休みが終わると、キングはさっそく会議室に数名の重役を呼び集めた。
彼ら重役同士は全く面識がなく、人づてにそれぞれがイヤな奴であり、会社にとってマイナスであるらしいというような噂だけは聞かされていた。
キングは
「我が社はイノベーションを必要としている、なんでもいい、新しいアイデアを諸君から募集する……」
とは言わず、会議室のイスに重役らを座らせ、無言のまま数分経過していた。
昼休みを終えたばかりの重役らは、なぜ呼ばれたのかさっぱり検討がつかず、会社が倒産とか、そんな話かもしれないと社長の発言を待っていた。壁にかかった時計の秒針の音だけが聞こえる……といった音もなく、壁には時計がないので何分経過したのか、それぞれチラチラと腕時計を見ていた。
いきなり重役のひとりが「おもしろダックスフンド」という、イヌではないが玩具であるらしい何かのアイデアを述べた……彼はこの「おもしろダックスフンド」について何十年か考えていたが、それが具体的にどういったモノなのか漠然としたまま、ここで初めて会議室の発言として社長らに聞かれる事となった。
「おもしろダックスフンド」のあと、ほかの重役が負けじと
「おはなしアヒル」というアイデアを出してきた。さきほどのアイデアをすぐさまマネたもののように思われたが──その場の者には全く新たなアイデアのように思われており、「おもしろダックスフンド」と「おはなしアヒル」がイノベーションの候補として社のビジョンに補充される事になった。
小動物──つまりコンパクトでありながら、ワンタッチで愉快な体験ができる商品、そんな感じが最近のイノベーションなのだろう。もちろんその場の誰一人としてイノベーションだのは一切考えていなかったが。
「へっへっへっ、おもしろダックスフンドと、おはなしアヒルが出たわけだが、他にないかね?」
しばらくそれぞれが思案する沈黙が続いたが、アイデアは出ない。書き進めるモチベーションもない。
「おはなしアヒルがいいと思います」
と「おはなしアヒル」発案者が唐突に言った。
「おもしろダックスフンド」発案者も、何十年も考えたにせよ具体的になにもなかったので、この「おはなしアヒル」になにか具体案があるのではないかと期待していた──むしろ「おはなしアヒル」がそのまま企画として通ってしまうような勢いに身を任せている。
「おはなしアヒルとはいったいどういう企画なのかね?」
「アヒルのぬいぐるみの中に、水が入っておりまして、それを電力で沸騰させることでブクブクブク、ブクブクブク、ブクブクブクという発話が聞こえる玩具であります……」
と簡潔に答えた。
なるほど、これは「おもしろダックスフンド」などよりもアヒルが話す具体的な動作がシンプルに実現できるではないか。これこそイノベーションである。
しかしキングにとってイノベーションとは前述の通り、ギスギスした社内の競争から生まれるという信念を持っていたので──「おもしろダックスフンド」発案者にその「おはなしアヒル」と全く同じメカニズムの玩具を作るよう命令し……「おはなしアヒル」はボツ案になってしまった。
水を電池で沸騰させ、なおかつダックスフンドとして「ブクブクブク……」など発話させるのでは、イノベーションでも何でもなくなってしまうのだが。
水を沸騰させるには電池が十六本ほど必要だろうが──
自由の女神に酷似した金属的な冷たい色合いのCGのような人形を、海外みやげにもらう。六十センチほどの大きさで、こんなものを海外から持ち帰ったことが疑わしいほどの重さの、陶器の人形……
自由の女神にしてはポーズをとっておらず、鮮烈な七色のズボンのようなものを履き、「キャット」と書かれてあるシャツ、ところどころに革ジャンの鋲のような突起がある──
「これ、なんの人形?」
と聞くタイミングもなく、「水」の運び屋はまた海外に行ってしまった。
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