神々

 軍では、一たす一は二ではないのを学ぶ──キングはそうクラスで聞いたことがある……

 それが誰が言ったかは──記憶はおぼろげで、確か、酔っぱらいの発言だったが、一たす一は二ではないと教育するのは問題ではないだろうか。むしろ現代はなんでもかんでも問題視しすぎだろう……しかし一たす一は二ではないという問題は無視できない。


 そんな事を考えながら、親友の──他人のジョーカーと酒場ロレーヌでコーラを飲みながら、窓の外に見える信号機の横顔のようなもの……を眺めていた。

 しかしながら信号機は、いつのまにか薄いタイプの最新技術のものに全てが取り替えられた……もちろんずっと前からそれは認識しているが、キングの世代には、薄いタイプの信号機を見るたびにそれを再認識してしまう──薄いタイプの信号機は、昔の奥行きのある信号機に比べて、どうも横顔のようなものが不自然だからだろうか……昔の人は「薄さ」を想定して信号機を発明しなかっただろうから、どうも「薄さ」と「信号機の発明」との──イノベーションの均衡が未だとれていないのでは、と。


 親友の──他人のジョーカーは、おにぎりをやたら時間かけながら食べている様子だった。親友といっても、もはや会話がはずむムードではなく……テレパシーかなにかによって黙って長時間いた。タワシのやすり掛けと今年のクエストを交互にやっている──電話中に描くような意味のない形を描いては、鮮烈な七色の光のなか新しい象形を描いている。


 キングは、窓の外のドッグハッタンの信号機が赤や青になるのを交互に繰り返す横顔のようなもの──を見ていると、ふと、薄い信号機の赤と青が、キングとジョーカーとの関係性に非常に似ているのではないかと思い始めた。

 それは禅問答のようでとくに意味はないのだが……そう思わざるえないような不思議な納得があった。薄い信号機の赤と青は、その薄さという──イノベーションとは無関係に、大昔に外国かどこかで信号として発明された時から惰性で続いている赤と青という記号である。


 そして一たす一は二ではないように、信号の赤と青を足しても、それは紫ではなく赤と青の信号にしかならないのだ……このテーマで書き進めるモチベーションも全くない……つまり一たす一は二ではなく依然として一である──


 キングとジョーカーの関係も、一たす一は二ではなく——信号の赤と青の関係に似ているのかもしれない。

「まったくそのとおりだ」

 と言ってくれる軍の教官(一たす一は二ではないのを教える)が第三者として判定でもしないかぎり、キングとおにぎりジョーカーの関係性が本当に一たす一は二ではなく一のままなのかは、わからない。そう結論するに至るほど、お互いのキャラは強力なものではないからだ──もっとマンガやドラマのような二人組であるなら、その答えはすぐさま出るのだろうが。


 そこに突然、酔っぱらいが酒場へ入ってきて隣の席に座った。

「こんにちは」

 酔っぱらいは──キングの知り合いであり、軍の教官をしているらしい……しかも生徒指導の会長のような重役でもある──初老の男だが体格の良く、カイゼル髭がトレードマークのためか、生徒らからは恐れられていた。彼にタバコの現場を見つかって退学になった生徒もいた……


「仕事おわってビールのんでまーす」

 そう会釈して、再び窓の外の信号機を見る。酔っぱらいはメニューを見ながら食べるものを選んでいるからだ……できれば選び終わらずメニューでも見ながら、こちらには介入してほしくない。


 キングとおにぎりジョーカーの「薄い」関係性に、酔っぱらい──は明らかに強烈で場違いなポテンシャルを決定的にもたらすだろう。酔っぱらいは、チョビ髭がトレードマークの海軍指揮官か船長を彷彿させ、金属的な冷たい色合いのCGのような、「キャット」と書かれてあるシャツを着た、一度会えば決して忘れることのできない風貌だった……キングが酔っぱらいと知り合いなのは、たったそれだけの理由なのかもしれない。

 ひやかしに両者のなれそめなどを聞けば、厳格な海軍指揮官のごとき酔っぱらいが、どんな拒絶反応や癇癪を起すかわかったものではない……彼はタバコや「水」の運び屋をやっていた学生を退学させた事すらあり、その血痕のついたタバコやタワシとか生首がまだ校庭に転がっているそうだ。


 外の信号の鮮烈な七色の光を眺めながら、ジョーは

「お二人は、へっへっ……いつ知り合ったんですか?」

 とぶしつけに質問してしまった──まだ酔っぱらいはメニューをずっと見ており、その質問が彼に向けられたものとは思っていないようだった。


 キングは、今日も庭でドッグフードを手で高い位置へ上げることにより、あたかもイヌに二足歩行をさせているようだった。この世界の名称である

「ドッグハッタン」

 とは何が這っているのだろうか? それをマトモに考えた住民は──いないこともなく、調べればわかるはずだが、住民の九割は無意識下でそういうことを調べるのも下らないと思っていたので、誰ひとりドッグハッタンの意味を知る者はいなかった。ここから書き進めるモチベーションもない。


 イヌは、ドッグフード欲しさに二足歩行のような状態で立ち上がり、すぐに四足歩行に戻る──これが「ドッグハッタン」だ……しかし本当にそうだろうか? 「二足歩行」で検索すれば、二足歩行をするイヌの写真はゼロ──皆無だ。つまり二足歩行をするイヌというのは実在せず……いたとしても二足歩行ロボット学会によって「それは二足歩行ではない」といった判定をされる。あなたも、イヌのロボットがイヌの範囲内で二足歩行をしたあとすぐに四足歩行にベタっと戻れば、そういうのは二足歩行ロボットではないと判定するはずだ。


 ではいったい──「ドッグハッタン」は何が四足歩行をしているのか? 「ドッグハッタン」という地名になった時代には、まだ二足歩行ロボットは世の中に一体も存在しない……その時代の二足歩行ロボットは金属的な冷たい色合いのCGのようなブリキとかベニヤ板で作られた、今でいう顔出しパネルをロボットと呼んでいたであろう──顔出しパネルは中世からあったが、それはまだ騎士団やゴブリンにはロボットとは呼ばれなかった。


 ドッグハッタンは神々によってその名称がつけられた……おそらく映画やラジオの影響で「ドッグハッタン」というネーミングが陽気なダウンタウンやカフェなどをイメージさせるということで、そういう名がついたのだ。しかし、今となっては「ドッグハッタン」つまりこの世界の何が陽気なダウンタウンやカフェなのか、はたまたそれが面白いのかどうかすら、もう感覚的にはわからなくなっている……書き進めるモチベーションも全くなくなってきた。


 キングは、イヌがドッグフードをもらおうと二足歩行からすぐ四足歩行にもどる様子をカメラに撮り、インターネットのブログに掲載することによって「ドッグハッタン」の画像検索結果にそのイヌの画像がズラッと並ぶのを期待した。しかし何ヶ月続けてもイヌの画像は「ドッグハッタン」にはひっかからない……


 半ば諦めていたところ──最近、庭にニワトリが出入りするようになったのだ。

 キングはいままでにニワトリを見た事がなく、それが何なのかわからなかったが、二足歩行する生き物であり、ドッグハッタンのイヌと比較すると、その生物のほうが遥かに二足歩行を極めており、二足歩行をするために生まれたかのような動きを見せているではないか。


 二足歩行ロボット学会が、ニワトリを「二足歩行である」と公認しているのをインターネットで知ったキングは、さっそくニワトリの写真をブログに「これが二足歩行をする生物である」というキャプションで載せる……それまでイヌのブログであったのがウソだったようにニワトリ一色のブログになり果てたので、ブログ読者の九割は読まなくなってしまったが、これで「ドッグハッタン」の検索ワードにひっかかるようになれば、イヌ目当ての読者をどれだけ失おうが検索から何万人も訪問してくるようになる。

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