クエスト受注

 この培養液から生まれなければならない……そう思った瞬間だった、なにかが起こったのは──ずっと前に、客席を立ち、赤と青の縞模様のカップに入ったチキンナゲットを、後ろむきに歩きながら食べ、不意にスクリーンからタワシをこする音がしてカップの──ポップコーンを客席にぶちまけた。

 

 ひとつのポップコーンが顔のように見えると、すぐにしゃべりはじめた。

「その後、なにか変わったことは?」

「べつに……」

「でしょうな──まだ、なにも起きない映画を観てなさる」


 この劇場に居るとダメなのだろうか?

 いくら彼ら──劇場でも、出来事を奪う、起こらなくさせる、そんなことまで果たして可能なのか?


「いいえ、あなたはご自身で選択なさった……その記憶はそのうち戻る」


 納得のいかない腹立たしさを覚えるが、スクリーンの外ならばなにかしら起きるだろう──食事かなにかに町に出ようとすると、


「それはできん」

 声がすぐさま返答する。


「そうしたクエストを受注していない。だから町は──外にはないか、キミには利用できない。そして、空腹になるということもないでしょうな」


 それはわかってきてはいた。

 化粧をしたいとかヘアスタイルをどうにかしたいなどの欲求も、いつのまにか……除去されているようだった。以前まではアバターなども持っていたはずだが、自身の姿の認識すらできなくなっていた。


「次回、ここでなにかが起こるのはいつなんでしょうか?」

「じきに感覚は戻る……しかしだ……何も起こらなかったことの素晴らしさを知るであろうぞ」

 ポップコーンの声はしだいに聞こえなくなり……そんな声がしていたのかどうかすら思い出せなくなった。


 タワシをこするようなポップコーンの音や感触も消え……白いノイズだけが残った。劇場の闇のなかではポップコーンをぶちまけたのかナゲットか、それが事実なのかも疑わしい。観客もなにも気にせず鮮烈な七色のスクリーンに観入っているではないか……ぶちまけたポップコーンが発見されるのは誰かに踏まれるか、映画がおわった時か……床が掃除される時だろう。


 すると胸ぐらを誰かにつかまれた。客席のひとりかと思われたが、助産師のようだった。ついに退屈な培養液──スクリーンの外に出られたというのか。

 女の体か男の体かと思われるが、どちらかは判然としない……ラインや筋肉の隆起に違いがあるはずだ……あのOと交際を続けることは可能なのか?


 心象に、新しい映画がはじまった。身体の無感覚がそれに伴い、外が夜になっていくようだ。しかし白いノイズは、スクリーンからか自らの感情によるものか判別がつかないほど激化して大雪かタワシのこすり傷のようになり、再びポップコーンになろうとしていたが……


 一九一四年三月十三日の金曜日──今日も通信がない。記憶にあるイメージや音声、それはOではなく、終わった映画……のぼんやり残った印象にすぎない。毎日それを解析しても、とてつもない時間が無駄にすぎるだけ──通信がなければなんの意味もない。


 この劇場のなかを移動する理由がなくなっているではないか。だが新たな刺激などは優先事項ではない……中枢神経がそう解析する。

 かつて太陽活動の不活性により、氷河期が訪れ、地上にヒトはほとんど生活しておらず、劇場でオイラという役割が与えられている。スクリーンの外は他者の領域として、彼らが決めている──そこにOはいる。


 しかしやはり、彼ら──劇場が「オイラ」を拒絶しているようだ。ポップコーンだかナゲットを客席にぶちまけたことが尾をひいている……他者の領域に不正侵入してOにこちらを認識させるのも虚しい。床に散乱したナゲットを誰かが踏み、ドッグフードのようにベチャベチャになっている。


 それはドッグフードではなく、タワシでこすられたOであったか、ポップコーンかもしれないが、もう記憶がない……とある州では、後ろむきに歩きながらポップコーンを食べることが法で禁じられている。


「こんにちは」

 朝食を同期させる。補給メーターをOとシンクロさせ、早すぎたり遅すぎないようにする。しかし、あちらが早く食べ終えてしまった。


「地上は、やはり雪ばかり」

 数百年前から雪原なので、それは禅問答のようでとくに意味はないのだが、食べ終わるまでの間をそうした天候の会話で埋めようとしている。

 まあ、その「独り言」は「オイラ」ではなく他への朝の挨拶なのだが、それでもオイラは劇場の一員として、好意的であるという反応を送らねばなるまい……


 ヒトは、この雪原と化した世界に適応するように、共同体として急速に進化してきた──Oの言葉がじぶんに向けられたものか、他に向けられたものか、この朝食──劇場では問われない。


「さようなら」

 Oはそう言い、通信を切った。


 落胆をヒトに伝えないよう、メッセージの明滅──金属的な冷たい色合いのCGを見ながら気を落ち着かせる。


「こんにちは」

「あ、今は大丈夫かな? パターンに少し動揺があるようだね。今年のクエストで稼いだポイントを分ける?」

「風邪かもしれない──医学のやつで調整するようなものでもない。まあ、そんな形容詞の選択まで正常じゃなくなっているかもしれないが」


 意識の翻訳が、ランダム文のように無意味に明滅する鮮烈な七色の光を──文章を決定せずにずっと見つめる。

 もう幼生ではない。一般人のような、ムダな形容詞があてはまる歳になってしまった。外は十時になろうとしていた。


「仕事おわってビールのんでまーす」

 クエストが終わり、部下──という役割を終えたばかりの仲間らが欲望大解放。

 しかし今回は北極圏からドッグハッタンへの帰還ゆえ、ちょっとした旅行だ。そして皆は疲れきっているのか、言葉を発さないまま簡易メッセージを送り合ってばかりいる。


「こんにちは」

「もしかして明日にしたほうがいいのかな?」

「いいえ」


 簡易メッセージではない発言をしてしまい、今は彼らは部下ではないので、少し心配になる。

「なんだ、へっへっへっ──欲望大解放をやめるってのか?」

「でも疲れているようだし」

「べつに話すことがないだけよ……」


 そう言ったのは、「キャット」と書かれてあるシャツを着た、見おぼえのないモデル女性(あるいは男性)だった。部下の時とは外見を変えているのだろう。


 だがそう言ったきり、彼女(彼)は黙り込んだ。どうやら本当に話すことはないらしい。ならそれでいいのだが、しかし、なんというか、この沈黙は気まずいものがある。

 だからオイラは話題を振ってみた。しかし誰からも返事が返ってこなかったのであった。もう書き進めるモチベーションも全くない。

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