宝箱
部屋には他にも誰かがいるようだが、姿のイメージをオフにしているため、誰かと二人きりだ。
「あなたは女性ですか? ……オイラに好意がおありですか?」
「いいえ、スピーカーの設置をしたいだけなのですが」
そう言うと、彼女(あるいは彼)は無言になって、姿も消滅する……「愛そのものであれ」という掟を乱さぬように──
おはなしアヒルが紆余曲折を経て商品化、大量生産される運びとなった──当初の企画書では、アヒル人形のなかの水を電池で沸騰させてブクブクブクブクいうだけの玩具であったが、水は、十六本もの電池を使用しなければ沸騰せず──開発は難航した。一時期はコーラなど炭酸水を入れるだけのコップに成り果てたこともある。
小型の録音テープを再生させる案もあった。オペレーターが盗聴マイクで会話を聞きながら遠隔操作でアヒルに仕組んだテープを再生させる……購入者をつけて部屋にマイクをとりつける。
しかしもっと容易に電気信号増幅装置とAIでコミュニケーションを成立させることに成功したのであった。
二十四時間体制のオペレーターがAIがひろったマイクの会話をもとに、遠隔操作で電気信号増幅装置によるアヒルの声──水をブクブク泡立てて鳴らす。購入者をつけてマイクやらスピーカーを各部屋に設置してやる必要があり、有線ラジオ放送局などもアヒルの数だけ設立せねばなるまい。
そんな一大事業のプレゼンテーションで、部屋にカニ歩きで入ってくる会長……つづいて部下もカニ歩きで入場。表情や個性などをいっさい消すよう変態的サングラスをかけて、「キャット」と書かれてあるシャツを着ている。
ニワトリのダンスがはじまった。鮮烈な七色の光から三角形があらわれ、やがてニワトリになる……卵よりもニワトリが先であるという主張。踊り狂ったような二羽が桶樽のスープに飛び込んで食材としてのニワトリをアピール。ダンスは十五分にも及んだが、走り転げるニワトリ──のおもちゃを誰かが蹴り上げると、部屋の防犯カメラにぶつかった……カメラには、ニワトリあるいはアヒルかなにかの鳥が猛スピードで飛んでくるのが録画されたあと、モニターに映るのは壁と天井のあいだの直線のみ。
水と同化した我輩は、部屋には来られない。朝、目が覚めると、部屋の容器には水が入れられていた。記憶には我輩の昨夜の行動が映されている……夢ではないようだ。
与えられた時間の十五分をとうに過ぎ、この水の世界にも慣れてしまうと惰性で仕事をこなすようになる……おしゃべりアヒル人形のなかの水だとかワニ肉コーラ製造業(ワニクォーラ)の仕事だ。他者からの高い評価は変わらないが、何も経験しないに等しい……話を書き進めるモチベーションも全くない……そんな気がしてくるのであった。
オイラは我輩に喜びのベクトルを加えようと、評価を与えておいた。形として会うことは最近できないが、時間──水の節約になるだろう。
我輩はそうした評価とは無関係に、不満を抑えていた。オイラの領域──部屋には我輩がいるらしいのに、こちらではオイラを認識できない……なにも経験しないまま、記憶だけが他人とも誰とでも同じように融合されていく──記憶は並列化するものとしてただある。評価によってだけ次の時間──水についてが決まる。我輩は評価の数値をただ見ている。
手とか目からビームを放つマッドサイエンティストの巨大CGが映し出されたあと、ようやく「おはなしアヒル」のCMがはじまる……はしゃぐ会長と部下がこちらに向かって手招きのようなポーズをしながら大きな宝箱を開けると、そこには「おはなしアヒル」がすでに大量生産されて並んである。
軍人のような七三分けにした人々(おそらく発売元であるワニ肉コーラ製造業の社員)がアヒルを持ち、それぞれのアクロバティックな行動力──例えばアヒル片手にロッククライミングなど──を観客に見せつけた。
あるいは計算機でなにかしている勤勉そうな人々が整列するオフィスの光景。大量のアヒルが口から水をはきだして計算機をショートさせて爆発、黒焦げになった人々がアヒルを責めたてるジェスチャーをするが、
「失敗は成功のもとじゃよ、へっへっへっ」
とマッドサイエンティストの巨大CGがあらわれてドッグハッタンの夜景を覆い尽くす……
「そこでです、水を沸騰させることなく、もっと安全に──アヒルと顧客のコミュニケーションを成立させる、画期的な電気信号増幅装置を開発しました!」
そう会長のような男(または女)が叫ぶと、人差し指をあげて目を大きく見開き、無言のまま数分が経過した。
しかしよく耳をすますとブクブクブク、ブクブクブク、ブクブクブク……というアヒルのような音声がかすかにあり、さきほどから数分間、その小さなアワのような音を気づかせて聴かせたいCMの意向があるようだった。のちにCMなんとかアワードを受賞した。
しかし、実際の製品には電気信号増幅装置などは見当たらず……分解しても中には水が入ってあるだけで、インターネット上でちょっとした問題に。いかがわしい受注生産者か、ずさんな工程でそうなってしまったのかはわからないが……ワニ肉コーラ製造業(ワニクォーラ)は、そのような製品──おはなしアヒルなどを販売した事実はないとして居直ってしまい、アングラで流通することとなった。
購入者をつける販売員と、さらにそれを追う製品安全基準委員会……
いきなりペリカンが居たので驚いた。手に持ったアヒルの人形をにぎりつぶして床に落とす。帰宅すると、誰もいない様子でまっ暗だったが、台所にペリカンが居たのだ。この金属的な冷たい色合いのCGのようなペリカンもプレゼンテーションの一環で、ひとりひとりに派遣されたものであった。
「こんにちは」
小型の録音テープがクチバシに仕込まれてあって、タワシをこする音に似た早口でしゃべるが、何を言ってるのかは聞き取れない……書き進めるモチベーションもない。
購入者の体験がデータベースとして集められ、危険性が高まれば製品は停止される。それでも使いたければ「過去」の配信中の環境へ行かねばならない(SFや難しい話ではなくPCやアプリでもみな当然のようにやっている事である)。
ヒトは利便性を優先したのでそのような個人データ収集も気にされない。
会話などはオペレーターにすべて筒抜け、なかには部屋の間取りや家具の詳細な位置をAIがデータベースに送っている製品もある──ちくしょうめ、けがらわしい! 最初はそれを問題視する向きのニュースもあったが、その後とくに何かが改善されたようなアナウンスもなく、そんな技術を誇るCMすら大々的に流れた。
製品のほとんどはネット通販で配送されるため、町からは実店舗が消え、目には見えないネットワークだけが宇宙にまで広がり続ける。
そんなネットワークをかいくぐり、アングラで流通した「おはなしアヒル」は「水」の運び屋として地下で暗躍した──記憶媒体としての水はあらゆるコミュニケーションや情報化社会などよりも依然として上位にあり、機密性が高い暗号技術に使われている。
そして、そのネットワークに潜り込んだのが、水になった我輩だ。
我輩は水である、そこは真っ暗な世界だったが、目の前にひろがるワンダーランドには様々な映像や音声や文字のようなものが浮かび上がる。
我輩はそこで見聞きしたものをネットに書き留めた。すると、ネットに書いた内容がそのままネットワークに残っていたのだ。
それ以来、見たものや聞いたことを忘れないようにネットに記録するようになった。
それが我輩が小説を書き始めたきっかけでもある。
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