四幕五場 ―Nothing comes of notinhg―だから私は何も得られない。
一週間後。正午。駅前の喫茶店『ジュリアンテ』。そう指定して以来、陽彩はこの話題を一切出さなかった。
その一週間はここ三日で形成されたいつも通りを過ごした。
陽彩とゲームをしたり、遊びに言ったり。岩崎くんとは何度か電話してチャットをした。
あとクラスメイトから遊びに誘われた。陽彩を通して連絡先を聞いたらしく、スイーツ食べ放題のお店に行った。
どこからどう見ても、普通の女子高生の夏休み。
十分に満足だった、満たされていた。満たされている、のに。
容器に穴がある。一日の中で降り積もったものは、朝起きると少し減っていた。
私も他人ですら気づかない小さな穴が、いつの間にか空いていた。
場所が分からない以上、修復のしようがない。
果たして今日、その穴は塞がるのか、それとも。
壁にかかった時計を見上げる。長針はとっくに十二どころか五を過ぎている。もう少し時間を守れるやつだと思っていたのだが。
暇つぶしにストローを回す。からんからん。ベルにも似た音が、コップの中から聞こえてくる。
店内は閑古鳥が鳴いていた。私以外の人間は店主のお婆ちゃん。カウンターの奥で置物と化している。喫茶店って、老人率高いよなぁ。
「はぁ……」
陽彩に電話しようかな。鞄からスマホを取り出そうとした時だった。
からん。本物のベルが鳴る。ポケットに手を突っ込み、頭を屈め入店する男には見覚えがあった。
「……あ? 何でテメェがいるんだよ」
「それは……こちらのセリフです」
体に染みついているタバコの匂い。不衛生な無精髭。頭を掻きむしるその癖は、やはり元役者とは思えない。
「星来はどこだ」
「こちらのセリフです」
星来に呼ばれたと勘違いしていたのは、お互い様らしい。
陽彩は何がしたいのだろう。妹を使い、騙してまでこの男と私を会わせたかった理由が分からない。
ケッと悪態をついた先生は、私をゴミでも見るような目で見降ろした。
「俺は志望校のことで相談があるって星来に呼ばれたんだよ。腑抜けた元役者の戯言を聞きにきたんじゃねぇ」
「相変わらず口が悪いですね」
「帰る、テメェに用はねぇ」
「先生は、どうして役者を止めたんですか?」
私に背を向けた先生はドアに手をかけていた。本当に帰るつもりらしい。
「あ?」
「元生徒からの質問です、答えて下さい」
強気な言葉を投げても、先生はこちらを向くことはなかった。
「元、だろ? もう金払ってねぇんだから、お前に時間を割く義理はねぇ」
「でも星来には構うんですね」
「アイツには才能があるからな」
つまり、私にはないと言いたいのか。
ぎゅっと拳を握る。この男に言われると、腹が立つ。事実に反論する気はないが、
無性に腹が立つ。
どうせもう舞台には立たないのだから、一発殴っても問題はないだろう。……ある、か。
警察のお世話になるのは、ちょっとごめんだ。
「先生は忘れているかもしれませんが」
「ああ。忘れた」
「……まだ何も言ってないです」
「忘れたよ。何の相談もせず、自分勝手に舞台を下りた人間のことなんて、忘れた
よ」
「…………」
何も言えなかった。その通りだった。
私はもう、舞台にいない。
母も、父も、先生も、星来も、舞台にいる。言葉の違う、世界にいる。
ジワリと目頭に力がこもる。涙は舞台に取っておく。そんな言葉を、思い出してしまった。
「でもまぁ、俺にも責任はあるなぁ。お前を舞台に導いてしまった、責任が」
俯いた視界が陰る。顔を上げると、相変わらず私を睨みつける先生が口を開いた。
嘘つき。忘れたと、言ったくせに。覚えていたのか、この野郎。
「確かにお前に才能はねぇ。微塵も、粒子レベルすら存在しねぇ」
「随分と……まぁいいですけど」
事実は事実。受け止めるしかない。殴っても、事実は変わらなのだ。ふぅぅ……。
「お前は一つのことに集中し過ぎて、周りが見えなくなるきらいがある。だから星来を隣に並べた。周りを見るために、周りを通して自分を見るために」
本当に、この男は。文句の一つも言えやしない。的確に物事を言いすぎなんだよ。
「それで、私を潰したかったんですか? 才能のなさを突きつけ、見切りをつけ――」
「ああ、そうだよ。けど遅かれ早かれそうなっていた。世界は広い。俺が仕掛けなく
ても、あの神崎ヒナタはどこかしらで死んいでた。あれは舞台に固執したロボットだからなぁ」
「……………」
「だから早急に殺した。もう一度、生まれるために。役者、笹山葵を生み出すために」
「……何を、言って」
「知ったんだろう? 舞台を無くした自分の空っぽさと、普通ってやつを。役者じゃない、笹山葵の幸せを」
「っ……」
どこまでおしゃべりなんだ、彼女は。
「為せば成る、為さねば成らぬ。あの時のお前は、為す者の顔をしてた。だから賭け
てみたかった……今のお前なら選べるはずだ。完全に舞台を断ち切るか、もう一度
舞台に上がるか」
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