四幕四場 笹山葵→神崎ヒナタ
「まま、たのしみだねぇ」
ふかふかの真っ赤なシートにちょこんと座る私はバタバタ動くぬいぐるみのようだった。
真ん中より少し後ろ、入り口に一番近い席。この場所をとうきょーのおーきな劇場。とだけ把握していた。
「葵ちゃん、舞台に人がいる間はしーですよ?」
「うんっ! ままとやくそくしたから、ちゃんとしーするね?」
人差し指に唇を当て、まーさんを見上げる。まーさんもしーっと、同じポーズをしていた。
後に聞いた話、母は私を渋々舞台に招待したらしい。渋々でも、招待をした理由は私が舞台自体に興味がないと分かっていたから。
事実幕が開くまで、私の頭の全ては綺麗なママ一色だった。
イコール、幕が開いてから変わった。
白い仮面に紺色のマント。大柄の男に当たるまばゆい光。舞台は彼の独白から始まった。
星を、見た。
いつも見上げる星じゃないけど、それは確かに星だった。
普通の子供ならば、大泣きものだ。だって舞台にいる彼は、人間じゃなかった。
歩き方、話し方、息のつき方から何から何まで私の知らない生き物だった。
滝に打たれたような感覚だった。
衝撃的で、自分の中にある何かがそぎ落とされていく。残ったのは、舞台目掛け
て伸ばした右手だけ。勿論、その中に何もない。空っぽだった。
舞台中はしゃべっちゃ駄目。口に手を抑え、今にも漏れそうな衝撃を抑える。
そして舞台終了後、私は人生で一番の積極性を発揮した。
本当は、分かっていた。あの缶を見た瞬間から、気づいていた。
あのDVDを見ずとも、まーさんの話を聞かずとも、分かっていた。
でも、認めたくなかった。記憶のどこかにほころびがあると、信じたかった。だから過去を確認した。
その結果、確実な事実だけが手の中に残った。
笹山葵は、自分の意思で舞台に立った。
「おっはよ」
「ごめんね、突然呼び出して」
「んや、ライブ映像見返していただけだから」
日が沈みかけているのに、「おっはよ」。特に違和感を感じなかったのは、元役者だからかな。……もと。
陽彩は手ぶらだった。今日は私の用事に付き合って貰うので。
「これを一緒に見たいの?」
クッキー缶から取り出したDVDはパッケージも何もない。透明なケースに入れられ、DVD自体も真っ白。
傍から見れば、何の映像か分からない。下手すればCDかもしれない。
でも私は。私だけは知っている。
「そうだけど、ちょっと違うというか……」
「ん?」
「逃げないように、見張っていてほしい。もし逃げたら、殴ってでも止めて」
「……はぁ」
理解できないのは当然だ。自分でも、バカけたことをお願いしていると思っている。
でも、そうするしかなかった。
「ごめん。陽彩にしか、頼めないことなの」
「……いいけど、私のお願いも一つ聞いて貰うからね?」
「わ、私に出来ることなら」
今は一刻も早く、この中を見たい。その一心であったことを深く後悔した。
「りょーかい。半殺し程度には済ますから」
「……お手柔らかに、お願いします」
震えた手で、陽彩にDVDを渡す。人の家の機材なのに、パパパッとセットされ
る。真っ黒なテレビに、一人の男が映った。
「あ、怪物」
荒い画像、音質もそこまで良くない。でもそこにはちゃんと、いた。
本物の、怪人が。
『どうして、どうしてその男の手を取る……愛しいクリスティーヌ……俺の、俺のクリスティーヌ……!』
無意識に手が伸びる。しかしそれは力尽き、床に触れる。
届、かない。
そう、私は届かない。だって、私は……才能が、ないから。
頬を伝う水がクーラーの風で冷却される。背中からも水が垂れた。
「う、う、うぁ、あああ……!」
「あ、葵ちゃん……⁉」
なれない、なれない、なれない、なれない。
私は、なれない。あんな風になれない。
「どうして……どうして私から……私から役を奪うのっ……!」
なれない、なれない、なれない、なれない、なれない、なれない、なれない。
なりた、かった。
私は、あの星になりたかったのに。
「どうして……私のものになってくれないの……!」
「はじめまして、かんざきヒナタです! よろしくおねがいします!」
大きな鏡。つるつる滑る床。そして沢山の人。体育の時間が一番好きな笹山葵は少しだけテンションが上がっていた。
初めてレッスンを受けた日のことは鮮明に覚えている。
ダンス、お芝居、歌。全ての出来事が初めまして。帰り道はぴょんぴょん跳ねまわりながら、二代目家政婦の入口さんの手を握った。
でも、次第に分かっていった。自分の実力というものを。
同い年で、ずば抜けて上手い子がいた。その子はめきめきと伸び、上級生のクラスに混ざるようになった。
焦燥感、というものが生まれた。同じレッスンをしているはずなのに、彼女は二歩も三歩も私の先を行った。
このままじゃ、ふぁんとむさまになれない。絶望の兆しが胸の縁を撫で上げた。
「ヒナタちゃんって、あの神崎ヒュウガの娘なんだよね?」
「はい」
「ふぅん。本当に? じゃあ何で下手くそなの?」
「え……?」
「神崎ヒュウガの娘なら、もっとできるでしょう?」
入団して半年。無邪気に投げられた上級生の言葉が、いつまでも頭にこびりついた。
「このままじゃ、ふぁんとむさまになれない……!」
爆発した焦りが、私を神崎ヒナタにした。
私は、あの人たちの子供だ。主役になって、当然の人間なんだ。
あのファントム様になるには、どんな舞台でだって一番を取らなきゃ駄目だ。今の私じゃ、駄目なんだ。
変革。強火に変わった情熱は間違った方向に舵を切った。
憧れを封じ込め、目の前の一歩を確実にこなす。一努力して追いつけないなら十。それでも無理なら百、千、万……。そうして私は、神崎ヒナタは生まれてしまった。
よそ見をしないよう、ファントム様は胸の奥底へしまった。今大事なのは、遠くの頂を見据えることじゃない。確実な一歩を歩むこと。
そして月日は流れ、封じ込めた憧れと共に、舞台への愛も消えていった。
クッキー缶に埃が積もる度、私の中のファントム様も消えていった。
そして、いつの間にか全てが消えた。
夢も希望も、燃え盛る情熱すら失った神崎ヒナタの心の残るのは、真ん中への執着のみ。
そして星来が、私を絶望へ突き落した。
そして陽彩が、私を絶望から救ってくれた。
「葵ちゃん!」
ハッとする。気付けば画面は真っ暗で、目の前に座る陽彩が私の頬を強打した。
「い、いった……」
「そこまで本気出してないから。大丈夫? なんか、こう……気が狂った精神病んでる人みたいだったけど」
詳細な説明に顔から火が出る。そ、そんなに取り乱してしまったのか。そりゃビンタもされるわな。
「ごめん。ちょっと、嫌なこと思い出しただけ……」
やっぱり、見るんじゃなかった。
知ったところで、私の選択は変わらない。なれない者に手を伸ばし続ける程、私は愚かな人間じゃない。
私はもう、舞台には……
「そう。じゃあ次は私のお願い、聞いて貰うわね」
「あ、うん……」
冷房以上に冷え切った声が、私を現実に戻していく。陽彩は私の手を握り、数秒私を見つめたのちに、やっと口を開いた。
「会って欲しい、人がいるの」
「会って欲しい、人……?」
「ええ。……きっと、私を助けてくれる人」
「私って……私じゃなくて、陽彩を指してる……?」
独特な言い回しにはてなが浮かぶ。しかし陽彩はすぐに頷いた。
「そう。私を助けてくれる人で……多分、貴方を傷つける人」
「……そんなこと言われたら、想像、ついちゃうよ」
また星が、私に接近しているのか。
ため息がこぼれる。ちゃんと内容、確認したらよかったな。
「でも、約束は約束だから」
「陽彩って結構ずるいよね」
「……うん。私が一番、よく知ってる」
握られた手は震えていた。ずるくても、私は陽彩から離れないのに。
彼女は一体何を、怖がっているのだろう。
「でも、いいの。どんなにずるくても、私は私の欲望のまま動く。そう、決めたか
ら」
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