二場五場 星光の兆し

 夏でも、冬でも、稽古場を出ると空には星がかかっていた。


 STAR、そこには二つの意味がある。


 一つは星。もう一つは花形、人気者。


 星は旅人を導くもの。主役は舞台を導くもの。スターはいつも、何かを導かなくてはならない。


 私は、なんてものを導いてしまったのだろう。


 後悔なんてしたくない。その一心で全ての時間を舞台に注いできた。


 でも。


 人生でたった一つ後悔をするならば、星来と出会ったことだ。


 私は後悔している。自力ではどうにもならないような、運命的な出会いに。







「すっかり夜―……て、ことではないね」


「そうだね」


 夏の日は長い。空はまだ青くて、一番星すら見えない。


 ショッピングモールを後にし、バスを待つ。本日の陽彩の計画は終了、らしい。


 棒とかした足が震える。正直なところ、もう疲労困憊だ。私の体力も落ちぶれたものだ。


 時刻表を過ぎても現れないバスを、私たちはただじっと待っていた。


「あ、そういえばこれ」


 思い出したかのように、手の中に埋まっていたえりっつを差し出す。しかし陽彩は顔色一つ変えずに首を振った。


「いいよ。だってそれ、葵ちゃんが初めて取ったものでしょう?」


「そうだけど」


「じゃあ家に飾ってよ。今日の思い出として」


 では何のために取ったのか。陽彩の強い押しにより、えりっつはウサギと同じビニールに入れられた。


「悪いよ。ウサギも貰ってるし、何より今日一日の陽彩の時間も貰ってる」


「私も楽しかったから気にしないで。あとこれは布教活動の一環なので、そこもお気になさらず」


 後半、よく分からなかったが陽彩は満足そうに微笑んだ。演技にも見えない。ならば張り合う必要はないだろう。


「分かった。ありがとう」


 バスが来るまで、会話は続いたり途切れたり。その内容も、とりわけどうでもいいものだった。


 思えば私たちの関係はなんなのだろう。


 舞台で得た知識によれば、友達に一番近いものを感じる。けど私たちの間にあるものを友情と称すのは、陳腐な気もする。


 本音を交えた戦友。旅の相棒。パーティーの一員。しっくりきそうで、こない。閉めたと思った扉から、スースーと風が漏れているような気分だ。


「あ、バス来たよ」


 白い車体に青のラインが入ったバスが、先頭光らせてやってきた。


「陽彩、」


「なぁに?」


 ショッピングモールに反して、バスはかなり空いていた。前方にお婆ちゃんが数人座っていて、私たちは後ろから二番目の席に並んで座った。


「今日は、ありがとう。楽しかった」


 素直なセリフは照れくさい。とてもじゃないが陽彩の顔は見れなくて、流れていく窓の外の見ながら呟いた。


「ならよかった。……空っぽは、埋まった?」


「よく……分かんない」


 オレンジ色の空をバックに、住宅街、ガードレール、めくるめく動く景色。私はぼうっと見ていた。


「楽しかった、けど。楽しいことが続くと、埋まるのかな……空っぽって……」


「人によるんじゃない?」


「そっか……」


「楽しいを生きがいにする人もいるし、夢や目標を糧に生きる人間もいる。愛とか恋を主軸にするもよ

し。十人十色、でしょ」


「そっか……そういうもの、なのか……」


「でもほとんどの人間が日常に小さな幸せを感じて、生きていると思うよ?」


 住宅街を抜け、大通りへ。映る景色は車ばかりになっていた。


 成程、今のような時間が続くのか。……正直、悪くないなと思った。


「まぁ、付き合うよ。気が済むまで」


「気が、済めばいいけど……」


「ん? 何か言った?」


「ううん。何でもないよ」


 夢。私を導く、夢。そんなもの見つかるのかな。


 そんな弱音を、彼女に吐く訳にはいかない。陽彩は信じてくれているのだから。私の中が満たされる日を。


 バスを降り、電車に乗る。陽彩と別れる頃には、すっかり空に星がかかっていた。満天とは言えないけど、空はキラキラしている。


 星を導にせずとも、私は家に帰れる。それでも見上げずにはいられない。それがSTARの力ってヤツか。


 息が零れる。手を伸ばす。あの頃の私は、あそこにいたのだろうか。今思えば不思議で仕方ない。


 手を伸ばしても、掴めない。それが星。掴むには宇宙飛行士になるか、それでも無理かもしれないけど。


 でももう一つの星なら掴める可能性がある。夢とか、希望とか、愛とか。そんな意味を持つ星。


「馬鹿、みたい……」


 転ぶと危ない。正面を向き、帰路を辿る。今すべきことは帰宅だ。星に思いを馳せる、ではない。


 見据えた道は街灯のおかげでほんのり明るい。もし街灯がなければ、星に頼っていたのか。


 そんなもしもは、考えたくもないな。









「ただいま」


「お帰りなさいませ」


 玄関を開けると、やはり富沢さんがいた。帰りの連絡はしていない。エスパーか。


「ご夕飯の準備は出来ていますが」


「分かった。荷物置いたら行くよ」


 よそ見をせずに階段を昇る。部屋の戸を開ける。どうせすぐ出るのだから明かりはつけなかった。


 カーテンから夜光が漏れる中、リュックは放り、ビニールの中のウサギとえりっつを取り出した。


 人参を持って座っているうさぎのぬいぐるみは枕元に、えりっつは机の端に飾ることにした。


「……うん。いい」


 心の容量は見えないけど、舞台が消えた空っぽの部屋は、少しだけ満たされた。


 鏡を確認するまでもない。きっと今の私は、満足そうな顔をしている。


「お腹すいたなぁ」


 今日の晩御飯を考えながら、部屋を後にした。


 部屋に残るウサギとえりっつは、守護神みたいだなと勝手に想像してみた。

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