二幕四場 からっとクレーン
「何歌います? 葵パイセン」
ノリノリの悪ノリでマイクを差し出す陽彩。正直、うっぜぇ。
昼食を終えた私たちはカラオケに来ていた。
スカイハイの打ち上げで、カラオケは何度か来たことがある。だからだろうか。二人ぼっちのカラオケルームは広すぎる。大きな舞台の上で、二人芝居をしている気分だ。
「マイクの前にデンモク貸してよ」
「おお。デンモク、知ってたんだ」
「馬鹿にしすぎ」
「テニスのラケットの握り方は学校で習うけど、デンモクは習わないでしょう?」
「……そうですね」
屁理屈ではない、事実だ。
ラケットの握り方とデンモクの知名度、街中アンケートを取ればどちらが多数派か。……どっちだろう。意外といい勝負かもしれない。
デンモクを受け取り、曲を選ぶ。慣れた手つきではないけれど、初心者の手つきではないだろう。
選んだのはとあるミュージカルの劇中歌。
折角舞台以外のことを楽しんでいるのに、ここでそれを持ち出すのはどうかと思ったが仕方がない。他の曲は全てうろ覚えで、歌えないもん。
歌詞と音程バーの裏には森の中で自転車を漕ぐ男の映像が流れる。このミュージカル、舞台は女子校なんだけどなぁ。
違和感を抱えながらも、そつなく歌う。惨敗、という結果は訪れないだろう。
「おお、さっすが」
「別に、普通」
歌が終わり、マイクの電源を落とす。画面に映る点数は九十二点だった。
因みに打ち上げでの最高点は九十八点。あの頃はボイトレ通ってたからなぁ。
そんな言い訳を重ね、マイクを握る陽彩に目をやる。調子に乗っているのか、小指が立っていた。
明るいキャッチ―な曲。本人映像と思われる海と水着の女どもが流れると、陽彩は豹変した、さらに悪い方に。
「イェーイ! 陽彩ちゃんのスペシャルスッテージ!」
ソファーから立ち上がり、机に脚をかける。そういや打ち上げにもいたなぁ、こんな人。
最もその人は酔っぱらった大人だったけど。
……ドリンクバーで注いだオレンジジュース、ノンアルだったよね?
水着の女たちがキャッキャウフフと駆け回り踊る中、陽彩は私にコールを求めながら歌うが、勿論返さない。返し方知らないし、なんかムカつくから。
「夏のサンダル脱ぎ捨ててー秋に着替える準備してー紅葉を迎えに行きましょう―ハイッ!」
水着が歌うには説得力のなさすぎる歌詞。大方水着着せれば売れるだろ、という浅はかなプロデューサーの意向か、気をてらった戦略か。後者であることを望むが、何の違和感も持たずにノリノリで歌う陽彩を見ると、どうでもよくなる。
「はぁ……やっぱいいねぇ。アイドルソングは。テンション上がるよねぇ!」
曲が終わると、満足げにソファーへダイブ。同意を求めているが、現在テンションが上がっているのは陽彩だけだ。恐らく今後も。
「葵ちゃんは知ってる? 『桜木学園高等部』!」
「知らない。他校に友達なんていないもの」
「あはは! 本当にある学校じゃないよ。そういうグループ名なの! アイドルの!」
コイツの腹は今日何回よじれれば気が済むのだろう。突き出された人差し指からは、悪意しか感じない。
「……紛らわしい名前つけんじゃねぇよ」
前言撤回。プロデューサーは水着売れるだろ! という浅はかな考えを持つ変態ジジィだ。女子高生マニア。変態だ。
後にネットで調べたが、プロデューサーは女の人だった。しかも、元アイドル上がりの。
「サクガクはいいよぉ。特に私の推しはこの子! えりっつ!」
マイクを置き、スマホを突き出す陽彩の鼻息は荒れていた。
若干引いたが、羨ましいとも思った。
陽彩は言っていた、舞台から降りたって。
なのに、空っぽじゃない。好きを持っている、夢中になれるものを持っている。
失望。そんな感情に近いものが生まれた。
私は勝手に、貴方を同類だと思っていた。舞台以外は何も持ってない、空っぽな女の子だと思っていた。
貴方と私は、何が違うんだろう。
「……一つ、聞いてもいい?」
「勿論、勿論! なんでも聞いてくれたまえ、葵くん!」
ドンッと胸を叩く。何やら勘違いしているようだが、続けよう。
「陽彩はどうして、舞台を辞めたの?」
「飽きたから。舞台に、飽きたから」
この質問はそれなりに覚悟を決めたうえでのものだった。
私だって本当は誰にも言いたくなかった。でも知りたいから。拒絶されるかもしれないけど、勇気をもってした質問。
なのに彼女は昼ご飯を注文した時のようにさらりと答えた。
面を喰らう。もしかして陽彩にとって舞台は、そこまでのものではなかったのか?
「でね? えりっつの好きな食べ物はプリッツで、そこからあだ名がきてて……」
そして話は戻された。ウインカーも出さずに進路変更をされた気分だ。こっちはまだ、聞きたいことがあったのに。
「あのさ、陽彩」
「前回の選抜選挙では十四位だったんだけど、今回こそはトップテン入りを目指してて」
「陽彩」
「だから今回のシングルは三十枚買うんだー! バイト代全部つぎ込んで」
「陽彩!」
「……どしたの? 葵ちゃん」
「陽彩はどうして、舞台から降りたの……?」
もう一度、問う。だってさっきの答えは、演技だったから。
白々しい、舞台上で総スカンを喰らう、下手くそな演技だったから。
「……飽きたんだよ。舞台に」
呆れたように、吐き出された言葉。
「嘘、だって――」
「もう、あの子に追いつけないから。走っても、走っても、あの子の背中は届かない。そんな舞台に立ち続ける理由はない。だから、」
空気が張り詰める。舞台の上のあの感覚。共演者が放つ、プレッシャー。
「葵ちゃんを知りたかったの。星来を舞台に導いた神崎ヒナタと笹山葵の過去と未来を」
「…………」
「だから付き合うよ、どこまでも。笹山葵の自分探し」
その言葉は演技じゃなかった。
陽彩の笑顔は繊細だ。いつも様々な感情が詰め込まれている。
それらを読み取るのは、少し難しい。人の感情を察するのは得意なはずなんだけどなぁ。
陽彩が何を思い、何を願い、そのセリフを言ったのか。
私はまだ、気付けずにいた。
「はい、お目当てのクレーンゲーム」
「へぇ……」
結局カラオケは陽彩のアイドルメドレーで幕を閉じた。私が歌ったのはあの一曲だけだ。不満はない。だから、もう自らカラオケに行くことはないだろう。
すぽーむを後にした私たちは有料のゲーセンに来た。そこにはちゃんと、ぬいぐるみや大きなお菓子、フィギュアが詰められた箱がずらりと並んでいた。
「何か欲しいのあるの?」
「いや、ないけど」
「じゃあ何でしたいって言ったのよ」
これしか知っているものがないから。とは言えなかった。
無言に何かを察したのか、陽彩はため息をついた。
「葵ちゃん、クレーンゲームやったことあるの?」
クレーンゲーム。あの景品箱のことだろう。
「ない」
「ほんっと、ブレないよね。とりあえず一周して、気になるのあったら言ってよ」
ゲーセン探索が始まる。箱にはいろんな種類があった。
ぬいぐるみ、フィギュア、お菓子。掃除機は二度見した。何でもありだな、クレーンゲーム。
「うおぉぉぉ!」
突然の雄たけび。放ったのは隣の陽彩だった。
「さ、サクガクのぬいじゃないですか!」
雄たけびを上げた陽彩はとあるクレーンゲームに顔を押し付け、跳ねだした。
「えりっつは、えりっつは……あ、いったーーー!」
夏休みなのに制服を着ている学生、親子連れ、小学生。周りの視線が刺さる。今すぐ陽彩に注意を促すか、赤の他人のふりをしてこの場を去るか。私は後者を選んだ。
「葵ちゃん!」
「ぐへっ……」
しかしそんな魂胆は陽彩の瞬発力によって防がれる。
すかさず襟元を掴まれ、クレーンゲームの方を向かされる。そこには手のひらサイズの人型ぬいぐるみが並んでいた。
「見てこれ! サクガクのぬい!」
ぬい。一瞬犬の対義語かと思ったが、この箱を見る限りぬいぐるみの略称だろう。
「そう、ですね」
とりあえず同意。それが本当に『サクガクのぬい』なのかは分からないが、陽彩が言うのだからそうなのだろう。
今日一日、もし陽彩が説明の中に嘘を混ぜていても、私は見破れなかっただろう。例えば、ボーリングは必ず利き手じゃない手で投げなければいけない、とか。
いつの間にか、私にとって陽彩は世界を知るための教科書になっていた。
「欲しいなら、やれば?」
「い、いい?」
「何に遠慮してるの? 今日一日付き合ってもらったんだし、いいよ」
いや待てよ。ここはお礼として私が取るべきなのではないだろうか。
しかしリュックを前面に回し、開いたところでハッとする。私、クレーンゲームやったことない。
今までの戦績を振り返る。今日一日で様々なことをしたが、未経験のものが上手く出来た例など、太鼓しかない。むやみに手を出しても、お金が溶けるだけ。
リュックに取り付けられたファスナーをしめる。世間一般的に言えば、私のお家はオカネモチだが、金の価値観は一般的だと思う。舞台関係のものは除くけど。
うん、やめよう。そう思ったが、隣にいるのはエスパーだった。
「うーん……葵ちゃん取ってよ」
「はい……?」
悩むポーズを捨てた陽彩は、どうぞどうぞ、と箱の前から離れる。
「今日のお礼ってことで。勿論葵ちゃん持ちで」
「あんたが取った方が早く終わるでしょ」
「私こういうの苦手なんだよねぇ。それに今度の選挙に向けて節約しときたいからさ」
節約のためにプレゼントを強制。どうかと思うが、何かしらお礼をしなければとは思っていた。
財布を取り出す。バイトはしていないが、毎月貰うお小遣いの使い道がないので、たんまりと溜まっている。
今度は塞がれていない投入口に百円を入れる。すると有料景品箱は、ちゃらんと音が鳴る。ゲームスタート、ということか。
「そっちのボタンを押し続けると、横に動く。で、離すと止まる。縦も同じ。離すとクレーンが落ちてき
て、上手く掴んでその穴に落とすとゲット」
簡素な説明をする陽彩は、一歩引いたところで箱をじっと見ていた。ガラスの反射で彼女の顔がうっすらと見える。一見落ち着いているようだが、箱の中のぬいにキラキラした目を見せている。
「この真ん中の子でいいんだよね?」
「うん。えりっつ。右隣はさっぽんで、左隣は高松」
さっぽん、高松。恐らく明日になれば忘れるだろう。すまんな。
形式の謝罪をぬいにして、クレーンを動かす。目指すは緑色のえりっつ。成程、プリッツだから緑か。徹底している。
景品口となる穴はぬいぐるみの手前にあった。アイドルどもを奈落に突き落とす。成程、私は今からスキャンダル記者になればいいのか。
「む……」
クレーンは進む、どこまでも。という訳にはいかないので、クレーンの中心とえりっつぬいの中心が重なる瞬間を見失わないよう、ガラスに張り付く。
ここだぁ!っと、結構な自信でボタンを離したが、時差が生じたらしい。クレーンは若干右に寄っていた。
むむ……難しい。しかし作業はまだ残っている。
今度は縦。しかしここからではよく見えないので、箱の側面に回る。勿論手はボタンの上。もしかすると私の長い手足は舞台の為でなく、クレーンゲームの為にあるのかもしれない。
時差に気を付けて。自身に喚起し、今度は少し早い段階でボタンを押した。……早すぎた。えりっつの
首を鷲掴みにしてやろうと思ったが、手のあたりで止まってしまった。
むむむむむ。難敵だな、クレーンゲームよ。
下がったクレーンは確かにえりっつを掴んだが、すぐに手放し穴まで運ぶことはなかった。でもちょびっと、穴に近づいた。
悔しいが、ちゃんと進んでいる。成果が表れるというのは非常に喜ばしいことなのだ。
すかさず百円を投入。時差に気を付けて。でも気を付けすぎも注意だよ。馬鹿みたいな喚起を唱え、ボタ
ンを押す、離す、押す、離す。気付けば五百円目に突入していた。
手のひらぬいぐるみに五百円。思えばぬいぐるみの相場を知らない。その五百円目も、ちょびっとの成果を残して消えていった。
「六百円」
まさしく塵も積もれば山となる。プラスの意味でもマイナスの意味でも。
消えていくお金。でもえりっつは穴に近づいているので、ここでやめるのは勿体ない。クレーンゲームとは麻薬らしい。あとで陽彩に教えてやろう。
すっかり慣れた手つきで百円を入れる。今気付いたが、五百円を入れると六回プレイできるらしい。なんだよ、早く言えよ。
マイナス気分が増したが、ゲームは変わらずちゃらんとなる。スタートの合図。私にもスイッチが入る。
舞台のブザーが鳴ると、いつも心臓がカチリと鳴る。すると次第に集中力が高まり、頭が真っ白になる。神崎ヒナタがいなくなる、という意味で。
稽古で注意されたこと、今まで積み上げたことが頭になくとも自然と動くのだ。それに近い感覚が、私の中に走った。
「気にするけど、気にしない……」
自分の為に、セリフを吐く。言わずもがな、今の私はクレーンゲームにのめり込んでいる。悪い気分では、ない。
横移動はいい感じだ。しかしここで糸を緩めてはいけない。幕が下りて、再び上がるカーテンコールまでが舞台。カーテンコール中も、私は神崎ヒナタを演じていた。笹山葵に戻るのは、いつもベッドの中だった。
「……よし」
いい感じの配置に声が漏れる。アームは相変わらずえりっつを持ちあげるけど、すぐに落とす。けど今回はいつも通りではなかった。
塵が積もった結果。ちょびっとの移動でえりっつが穴に落ちたのだ。うっしゃ。パパラッチ成功。
「やった……!」
慌てて景品口からえりっつを取り出す。ぽてっとしたたれ目。頬に取り付けられたピンクのフェルトをちょこんと突く。ふむ。なかなか可愛いではないか。
「ほら、取れたよ」
あ、そういえば陽彩。彼女からの頼み事なのに、すっかりその存在を忘れていた。
しかし振り返ると、そこには後ろに設置されたクレーンゲームを腕を組みながら操作するカップルしかいなかった。
きゃっきゃうふふの効果音。おい、アイツは何処に行ったんだよ。まさかあの女の方が陽彩? 黒い水玉のワンピースを着た女に、あるわけのないまさかを突き立てる。
念のため顔を覗き込んだが、やはり別人。そもそもこの人、背が高すぎる。
「あ、もしかしてもう取れたの?」
トントンと肩を叩かれる。回れ右をすると、大きな白いビニール製の袋を肩にかけた陽彩がいた。
「とれました、けど」
勿論目はその袋へ。何が入っているのか。袋から飛び出したピンク色の耳が物語っている。
「そう。じゃあこれあげる」
にっしっしーと、袋を胸元に押し付けられる。目線を下げると、バカみたいな大きさのウサギのぬいぐるみが入っていた。
「まさか、取ったの……?」
「そっ。得意なので」
かまされるドヤ顔は本日何度目だろう。つーか得意なら自分で取れよ。節約は何処へ行ったのだ。
「お金」
「いいって。タダみたいなもんだから」
え。もしかしてあるの? 無料景品箱。心の踊りがバレたのか、陽彩はすかさず補足した。
「みたいなもん、だからね? 本当にタダじゃないから」
「そ、そうですか」
「何? そんなにハマったの? クレーンゲーム」
私の顔を覗き込むよう下手に周り、いたずらっ子の笑みを見せる。
うん、というのは癪だ。謎のプライドの働きにより、私は陽彩の顔を押し戻し、別にと素っ気なく答えた。
「へー? 本当にぃ?」
「しつこい。納豆かよ」
「え。なにそのツッコミ。ねばねばだから? 一周回って新しいね」
「馬鹿にしてるでしょ」
「もっちろん!」
最終的に、陽彩の頭に怒りの鉄槌を下し有料ゲーセンを後にした。
もう一度ここに来ることは、あるかもしれない。そんなワクワクと共に。
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