二幕三場 星は沈み、太陽が煌めく

 夏休み一日目。昨年通りならば、クーラーのきいた部屋で昼まで寝る予定だった。


 その後はまぁ、成り行きに過ごす。その予定はとある少女の提案によって崩された。

 

 私の全てをさらけ出した、少女によって。


「おはよう、葵ちゃん」


「……おはよう」


 富沢さんが出る前に、玄関の戸を開ける。そこには顔の近くで軽やかに手を振る陽彩がいた。


 今日も今日とて気合の入ったツインテール。ジーパンに青いTシャツ。動きやすい服装の正解が現れた。


 自身の服を摘まむ。白地のTシャツにジャージ。動きやすい服だけど、なんか違う気がする。


 こういった感覚が狂っているのも舞台の弊害、なのだろうか。


「何でジャージ?」


「あんたが言ったんでしょ。動きやすい服着ろって」


「部活動じゃないんだから」


「部活したことないから分かんない」


「あ、そっか。そうだったね」


 そう言うと陽彩は振り返り、開きかけている門に手をかけた。そして再び、私の方を見あげる。


 太陽を背景に微笑む姿は、少々鼻についた。


「じゃ、行こっか。自分探しの旅に」


 人差し指を突き出し、道路の方を指す。そこには何もないのだけれど、彼女には何かが見えているのだろうか。


 空っぽの私には見えない、何かが。







 電車に揺られて三十分。バスに乗って十分。辿り着いたのはショッピングモール。


 その三階の一部は、お店とは思えないような暗がりだった。


「学生二枚、フリータイムでお願いします」


「学生書のご確認を致しますので、提示をお願いします」


「だって、葵ちゃん」


「え、あ、う、うん……」


 舞台とはまた違う、圧迫感のある音響。スポットライト以上にカラフルな光があちらこちらに散らばる。


 初めて見る光景に困惑していたが、陽彩の一声で慌ててリュックサックから学生証を取り出す。


 受付に座るのは、舞台メイクよりは薄いけれど、普段のメイクとしては濃すぎる気がするお団子頭のお姉さん。学生証と私たちの顔を一瞥したお姉さんは、私たちに二千五百円を求めた。ひゅぅ。意外と高い。


「荷物はそちらのロッカーにお預け下さい。では、お楽しみ下さい!」


 ここぞとばかりの営業スマイルを決めるお姉さんに軽く会釈をして、慣れた足取りの陽彩に続く。あの人下手だなぁ、演技。


「葵ちゃんのリュック、やけに大きいね。何が入ってるの?」


 小さなショルダーバック一つに陽彩に対して、私は背中が丸々隠れる程大きなリュックをうんこらしょとロッカーに詰める。


 澄ました顔してないで手伝って欲しいというのが本音だが、自ら言うのは癪に障る。なかなか収まらないリュックに対しての怒りを、私は陽彩にぶつけた。


「あんたが行き先、教えてくれなかったからでしょ!」


 怒りは時に強い力となる。何かのセリフにあったような言葉を思い出す。


 語尾と共に思いっきり押し込んだリュックは、意外と簡単にロッカーに喰われた。


 動きやすい服装。そんなものを指定されたら、山登りや海を想定していたのに。


「教えたらつまんないじゃん」


 陽彩は悠々と腕にロッカーのカギをつける。流石にロッカーの使い方くらいは分かる。刺さった鍵を右に回し、抜く。そして手首に付ける。どうだ。


「で、ここは何処なの」


「……葵ちゃんって本当に世間知らずね。箱入りお嬢様の相手してる気分だわ」


「箱入りお嬢様は殺し屋にも騎士にもならないから」


「あははっ。正論ね。ここはね、色んなことが出来る夢の国よ!」


 夢の国。頭に浮かんだのは浦安に住みつくネズミだった。









「じゃ、まずテニスね」


「う、うん……」


 ショッピングモールの中にある総合型アミューズメント施設『すぽーむ』。そこではボウリングも、カ

ラオケも、ゲームも、スポーツも、何でもできる施設らしい。


 何でもできる。なんだか、舞台みたいだ。


 下らぬことを考えている間に、エレベーターは止まる。


 セミと張り合うようにじりじりと鳴る太陽。夏休み効果で、朝一番なのに室内には沢山人がいたが、外はがらがら。


 流石夏。一歩踏み出しただけで零れた汗を拭う。あっじぃ。


 フェンスに囲まれたコートの中に入り、ベンチの上に乱雑に置かれたラケットを握る。ぎゅむ。テニス選手の役は演じたことがないので、これであっているか分からない。


「葵ちゃん、片手で握るんだよ」


「そ、そうなんだ」


「授業でやらなかった?」


「高校ではまだやってないし、中学の体育はいつも見学だったから」


 スポーツ中継はルールが分からないので、いつもチャンネルを変えていたし。


「……見学中、何してたの?」


「台本読んでた」


 呆れたのか、深いため息をつかれる。


「いい? こうするの」


 陽彩から握り方や打ち方を習い、軽くラリーをやってみる。


 ボールが来たら、追って、焦点を合わせて、ラケットを引いて、打つ!


 しかし捉えたと思ったボールは後ろのフェンスに直撃した。


「あっはっは! 葵ちゃん見事な空振りだね!」


「う、うるさい」


 正論を突きつけ、腹を抱えて陽彩は笑う。言い返すセリフはない。事実なので何を言っても逆ギレになってしまう。


 しかし、腹に抱えた感情はぐつぐつと怒りを煮込み始めた。


「葵ちゃんから打ってみなよ」


「うん」


 自分で投げた球くらいなら、とフラグを立てたのが悪かった。フラグさえ立てなければ、投げたボールが自分の顔面に当たることはなかったはず。


 全てが想定外。でも一つだけ起きた想定内の出来事は、ラケットを放った陽彩の腹がよじれたこと。

笑い過ぎだぞ、この野郎。じっとりと睨むが、気付かぬほど爆笑している。更にぐつぐつ、怒りが煮込ま

れたのは言うまでもない。


 舞台以外で誰かを笑わせたことなど、初めてだった。


 少しだけ沈んだ空気が浮足立つ。


 意外と単純な笹山葵は、こういう休日も悪くはないなと思ってしまった。








「次はこれね」


「はいはい」


 テニス、フットボール、バッティングマシーン、ストラックアウト、バスケ。


 どれも新体験で、心がふわふわした。けどどれも上手く出来なかった。


 基本的に不器用。それが笹山葵である。バッティングマシーンはもう少しやってみたかったけど、後は

もういいや。今日一日で、一生分は楽しめた気がする。


 エレベーターを降りて、二階へ。次に来たのはゲームセンターというヤツだった。


 ショッピングモールの中にもあるのに、ここにもあるとは。そんなに人気なのか、『ゲーセン』


「何かしてみたいの、ある?」


 辺りを見渡す。ゲームセンターは過去に一度、来たことがあった。でもここは、ちょっと違う。


 重圧のあるBGMもなければ、ぬいぐるみが入った大きな箱が並んでいない。


「あれ、やりたい。ぬいぐるみ、取るやつ。あの、おっきい箱の」


 ここには無いのだろうか。陽彩に問いかけると、ここのゲームは全てタダだからそういうのは置いてないと言われた。え、タダなの? これ全部。


 唖然と、再び辺りを見渡す。太鼓に、ギター、ワニ、銃、謎の箱。


 全て、タダ。お金にがめつい訳じゃないけど、感心する。すげぇな、『すぽーむ』のゲーセン。


「とりあえず、今はこの中から選んで」


 そう言われても。というのが正直なところ。


 一度来たゲーセンはほぼ通りすがり。景品を取るやつを見ただけ。つまり、ゲーセン経験はないのだ。


「……陽彩の、おススメで」


「ならこれで勝負ね」


 陽彩が示したのは二つの太鼓。分かったぞ。一人一つ、これを連打してその数を競うんだな。


 そんな予想はことごとく外れる。陽彩の説明によると、画面のレーンに赤と青の丸が出るから、端にある白い丸と重なった瞬間、リズムに合わせて赤ならば面を、青ならば縁を叩くらしい。


 考察を言わなくてよかった。言ったらまた陽彩の腹を曲げてしまっていた。


「これなら出来るでしょ。葵ちゃんでも」


 ムカつく言い方だが、これまでの戦績を踏まえた発言に何も言えない。


「そう、かな」


 バチを握り、首を傾げる。自信はない。そもそもこの世の中に存在する物事に、自信のあるものなど一つもないが。


「『スカイハイ』ってダンスの授業あったんでしょう? リズム系は得意でしょ」


「フラグ立てるの、やめて貰えます?」


 ダンスが出来る=太鼓の達人である保証はない。


「はいはい、さーせん」


 陽彩は慣れた手つきでバチを回し、太鼓の間にあるスイッチを押す。陽彩の方が達人っぽく見えるぞ。

すると画面は切り替わり、選曲画面が映る。おお、本当にタダだ。すげぇ。


 よく見ると、百円を入れる場所はあった。でもそこにはガムテープが三重に張られており、絶対にお金が入らないようになっている。


 徹底した無料。貫くなぁ。


「何の曲にする?」


 陽彩は慣れた手つきでひょいひょいっと縁を叩く。画面が動く。慣れているなぁ。今度から『ゲーセンの女帝』と呼ぼう。


「……知ってる曲、ない」


「ブレないね、葵ちゃん」


 貶されている。文句を垂れようとしたが、陽彩が曲を選び、ゲームが始まった。


 案の定、私の結果は惨敗。と、思われた。


「うぉう」


「跳ね返したね、フラグ」


 タップダンス? クラシックバレエ? それともモダンダンス?


 何のお陰か分からないが、私には『おとげー』の才能があったらしい。


 ゲーム終了後、機械内ランキングと全国ランキングが表示された。


 一位と百七位。一という字に全身が震えたのは、言うまでもない。









「まっ。後は全勝したからいいんだけどねー」


 ストローを口に含み、ズゴーっと吸い込む陽彩はドヤ顔をかましていた。


 ムカつくが事実。太鼓以外は惨敗だった。


「葵ちゃん、太鼓以外は点で駄目だね」


「精通したモノが一つ有れば十分だって、なんかの本に書いてあった」


「特別なことは出来なくていい。当たり前のことを当たり前にしろって言葉もあったけど?」


 ある程度の遊びを終え、私たちは昼食を取っていた。


 陽彩はチーズバーガーとポテト、オレンジジュース。私はピザとカルピスを注文した。


「どう? 楽しい?」


「……うん。楽しいと、思う」


 返事を躊躇ったのは、気を遣ったからではない。自分の感情を確認するためだ。


 役(他者)を突き詰めた弊害か、私は自分自身の感情に鈍感になっていた。


「その中でなかった? これだーって感じのヤツ」


「う、うーん……」


 頭を抱える。楽しかったのは事実。忖度でも何でもない。


 だけど情熱を持てたかと言われると、首を縦には振れない。


 負けて悔しいものはあったけど、次は絶対に勝ってやる! と思えるものはなかった。


 思えば私にはそういう感情がないのかもしれない。舞台を下りたのも、星来に負けると分かっていたからだもの。


「太鼓は? 機械内一位だったじゃん」


「あれは、心躍ったけど」


「けど?」


「……欲しいものを見つけるのって、難しいんだね」


 ジュースを回す。溶けかけた氷がカルピスの中で揺れ、ガラガラとなった。


 サンタさんにも、短冊にも、流れ星にも、何かを願ったことはない。


 あの頃欲しかったのは、実力でしか手に入らないものだったから。願う時間があるのならば努力する。あの頃抱いた執着は、どこまでも異常だった。


 自分を見て貰う、それだけの為に身を捧げた自分の頭をそっと撫でてやりたい。


 無論、過去の私は容赦なくその手を振り払うはずだが。


 経過は自分自身の記録に過ぎない。結果だけが、他者の記憶となるのだから。


 経過を慰めたところで、結果につながるほど甘い場所じゃないんだよ、舞台は。


「うーん……ちょっと失礼」


 腕を組み、唸り声を上げていた陽彩は、突然私のピザを持ち上げた。


「は?」


 意味不明だ。太鼓に負けたのがそんなに不服だったのか?


「葵ちゃんは今お腹が空いていますか?」


 反対側の拳が私の口元に運ばれる。インタビュアーでも演じているのだろう。


「空いています……だから頼んだんですけど」


「じゃあどうしてピザを頼んだの?」


「どうしてって……何となく、ピザの気分だったから」


 一年前はカロリーの高いものは控えていた。けど、今となってはどうでもいい。ピザでもちゃんこ鍋で

も、食べたいものを食ってやる。……でもその翌日は、簡素なものを食べるけど。


「数あるメニューの中から、葵ちゃんはピザを選んだ。ピザを欲しいと思った」


「そういうこと、だけど」


「欲しいものって、それくらいシンプルだよ。喉が渇けば水が欲しい。尿意を感じればトイレに行きた

い。お腹が空けば食べ物が欲しい。どんな人間にもあるよ、欲しいものは」


「……じゃあ、陽彩は何が欲しいの?」


「私? そうだなぁ……」


 散々悩んだポーズを見せた後、机にピザを置いてこう言った。


「もう一度、舞台に上がる未来……かな」


 その笑顔はとても寂しそうで、とても、大人びていた。


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