第12話はかない笑顔

 再び六花堂内

 

 ケガの治療を終え、お茶と大福でほんのささやかなひと時を過ごしていると、時間はあっという間に過ぎていった。

 楽しい時ほど時間がたつのが早く感じるとはまさしくその通りだ。

 雪音にとっては誰かとこうしてゆっくりお茶をして楽しく過ごすということが今までなかったため、ほんの少しの気恥ずかしさと終わりを迎える寂しさが同時に沸き上がってきた。


 人との交流を避けて、自分一人の殻にこもる生活を送る日々。

 これからもそんな生活が続くのだろうと思い込んでいた。

 誰にも干渉されずに暗闇の中を永遠と歩き回るようなそんな錯覚。

 どこに向かって行けばいいのか自分自身もわからない。

 だけどこの日初めて光を見つけたような気がした。

 暗闇の中を彷徨い続ける雪音に、一筋の光が優しく照らし導いてくれた。

 雫という名の新しい光が雪音を永遠の暗闇から救い出してくれたのだ。

 雫のおかげで初めての経験や感情が芽生えた。

 そして自分を受け入れてこうして居場所まで作ってくれた。

 本当に欲しかったものが何だったのかわからなくなっていたが、手に入れたこの場所を大切にしていこうとそう心に誓った。

 雪音は今日というこの日を、この出会いを一生忘れることはないだろう。


 「家族が心配するといけないので、そろそろ帰ります。長く居座ってしまってすみません」

 新しく引き取ってくれた家族に迷惑が掛かってしまうので早く帰らないといけない。

 そんなことは頭ではわかっているのに、まだここに居たいという気持ちが入り乱れた。

 こんなに次々と感情というものは生まれてくるものなんだと初めて実感した。

 「そうじゃの、家族に心配をかけるのも良くないしの。それにもうすぐ日が暮れるからちょうど良い時間じゃな」

 また会えるとわかっているのに、別れが寂しいと思うのも初めてだった。

 いろんな家や学校の転校を繰り返して誰かとの別れはたくさん経験してきたはずなのに、こんなにも離れがたい感覚に少しもどかしさも感じる。

 「そんな落ち込んだ顔をするな、また明日ここに来ればよい」

 無意識に帰りたくないという思いが顔から出ていたのだろう。

 少し困ったような優しい笑顔で、雫は雪音の頭をなでてくれた。

 まるでお願い事を叶えてやれなかった子供を諭すように。

 頭をなでられることは嫌ではなかったが、この年でそのような扱いをされると恥ずかしさも出てしまい顔を伏せた。

 伏せた先に自分の痛々しい右腕が目に入り、明日は来れないことを思い出した。

 「明日学校終わりに病院に寄ろうと思うので、多分ここに来れないです」

 自分がケガをしていることをすっかり忘れていた。

 一応ちゃんとした病院で診察してもらおうと思っていたのに。

 「うむ、そういえばちゃんとした医者に診てもらうように言ったのは我じゃったの。そうか、明日は雪音には会えんのか……」

 先ほどと打って変わって今度は雫の方が落ち込んでしまった。

 あからさまに出ている耳としっぽがどちらもだらりと下がっている。

 ――あれ?なんかかわいい……。

 しゅんとしたその姿はいたずらをして怒られた子猫や子犬の様だった。

 見た目は大人な雰囲気なのに内面が子供っぽい部分があるせいなのだろう。

 内側の部分が全面的に今の姿に出ているようだった。

 「また必ずここに来ますから」

 「……雪音?」

 「え?……っあ!」

 雫の自分を呼ぶ声で今自分がした行動に自分自身が驚いた。

 落ち込んだ雫の頭を雪音は無意識に自らの手でなでて慰めていたのだ。

 まさしく先ほどと立場が交代している状態。

 だが、雪音の場合は子供を諭すというより子猫や子犬といった愛玩動物と戯れる感覚だった。

 雫も自分が頭をなでられることなんて想像していなかったのだろう。

 鳩が豆鉄砲を食ったようなきょとんとした顔で雪音を見つめていた。

 「その、違くて、えっとかわいかったからじゃなくて……だから、えっと、えっと……」

 慌てすぎて自分が何を言っているのか、何を伝えればいいのかわからずしどろもどろになる雪音。

 明らかに目上の人にする行動ではない。

 無意識とはいえ、自らの行動が失礼だということに気づいた。

 「その、ごめんなさい!」

 色白の顔を赤くさせながら頭を下げて謝罪の言葉をようやく言うことができた。

 恥ずかしさのあまり雫の顔を見れず、なかなか頭を上げることができずにいた。

 穴があったら入りたいとはまさしくこのことを言うのだろう。

 「……」

 「……」

 どちらも声を発さずしばしの沈黙が続く。

 何も答えてくれず怒っているのだろうかと不安に陥ってしまう。

 「……あの……」

 最初に沈黙に耐えられなくなったのは雪音の方だった。

 下げてた頭を恐る恐る上げていく。

 頭を上げた先に目に飛び込んできたのは、雪音と同じように顔を赤くさせていた雫の姿だった。

 顔を赤くさせるほど怒っているのだろうかと疑問に感じてしまい、より一層不安が押し寄せてきた。

 しまいにはどうやって許してもらおうかと雫をみつめてしまう。

 そんな雪音の視線に気づき、雫は口に手を当てて顔を隠すように視線をそらす。

 「あまりこちらを見るでない」

 ――あぁ、相当怒っているんだな……。

 こちらを見てもくれず、嫌われたのかもしれない。

 自分でまいた種だから仕方ないのだが、心がものすごく傷んだ。

 そんな負の連鎖に陥っている雪音だったが、次の雫の言葉で勘違いだったことに気づかされる。

 「……その、今の我の顔を見られるのは恥ずかしいではないか」

 「え?」

 怒って顔を赤くしていると思い込んでいたので、間抜けな声が出てしまった。

 「何となく我が今どんな顔になっているかわかるからの、そのなんじゃ、あまりこちらを見んでくれ」

 「それじゃ怒ってるわけじゃないんですか?」

 「ん?なぜ我が雪音を怒る必要があるのじゃ?」

 「よかった……」

 雫が怒っていないことがわかって、安堵した。

 強張っていた体が一気に脱力し、相当緊張していたことに気づいた。

 「久々に誰かに頭をなでられたからの、柄にもなく照れてしまったの……」

 まだ少し顔を赤くしながら、照れくささを隠すようにそっぽを向いて雫が言った。

 その時の表情が昔を懐かしむような、どことなく寂しさを感じさせるような感じがした。

 まるでちょっとの衝撃で脆く壊れて消えてしまいそう気さえする。

 雫のその様子に疑問を感じたが、今はまだ聞かないことに決めた。

 過去の思い出ならもしかしたら話したくないことかもしれない。

 雫の物言いから昔誰か頭をなでてくれる人がいたのだろう。

 きっとその者は雫にとって大切な何かだったのだろうと予測がついた。

 いつか自分にもその者の話をしてくれる日がくるのだろうか。

 そんなことを思いながら、雪音は雫を静かに見守り続けた。

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