第10話怪医の弟子

 金平糖を食べながら、雪音は明日またここへ来るのはやっぱりやめておこうと考えた。

 右腕のケガをちゃんと病院で診てもらおうというのもあるのだが、やはり妖怪に、ましてや自分を襲ってきた凛とまた会うのは少し気が引けたからだ。

 たとえこの六花堂内で凛とはまた別の妖ものと遭遇しても、きっと雫が助けてくれるだろう。

 そんなことは頭ではわかっている。

 だが雪音の中では、大抵の妖怪に対してあまり良い印象がない。

 それゆえ警戒をし続けるしかなかった。

 雫とは友好的な関係で居たかったが、怪医である以上妖怪と接触するのは目に見えている。

 それを考えると、明日に限らずこの六花堂にも近づかないほうがいいのかもしれない。

 そんな気さえしてきた。

 「やっぱり、ここへ来るのはやめときます」

 無理矢理作った笑顔で雪音はその言葉を口にした。

 決断して導き出した答えのはずだが、自分で言っていてなぜか複雑な気持ちが芽生えた。

 悲しいような寂しいような……。 

 どうやって表現するのが正しいのかわからず、モヤモヤしてしまう。

 「雪音の決めたことじゃ、別に我は無理強いはせぬよ」

 そんな雪音を見守りながら、落ち着く声で雫は言った。

 「だがここが嫌で来んというわけではないのだろう?我には本当はまた来たいのに、来るのを諦めているように見えるぞ。何かわけがあるのなら、聞かせてはくれぬか?」

 雫には雪音のことが何でもお見通しのようにさえ思えた。

 まだうまく整理ができないかもしれないが、話してみることにした。

 「本音を言えばここにはまた来たいと思ってます。だけど、多分妖怪と会うのが怖いんだと思います……」

 少し目を伏せて物憂げな表情で言った。

 幼い頃から人には見えないものが見える、その性質のせいで嫌なことや苦しい思いをたくさんしてきた。

 そんな経験をしてきたら、妖怪は怖いものだと思っても仕方がないだろう。

 雪音もその一人だ。

 「怖いと思ってしまうのじゃな」

 雫は少し考えるしぐさをしながら言葉を続けた。

 「では聞き方を変えよう。雪音は我のことも怖いと思っておるか?」

 「怖くはないです」

 「ほう、それはなぜじゃ?」

 「えっと……あまり妖怪っぽくないというか……むしろ人間のように感じるから?」

 雫は自分のことは妖怪だと言ったが、見た目や醸し出している雰囲気からは全くと言っていいほど妖怪には感じられなかった。

 人間と言われたほうがしっくりくる。

 「ではこれを見たらどうじゃ?」

 そう言うのと同時に雫の姿が一変した。

 といっても変わったのは二か所だけだ。

 ピンと立っている猫耳とふわふわの大きなしっぽが、まるで手品のようにどちらもポンと現れたのだ。

 どちらも触ってもふもふしたい衝動にかられたが、ここは空気を読んで我慢した。

 「これを見ても我を人間のように感じるか?」

 「……いえ、本当に妖怪だったんだなって……」

 答えるのに一瞬遅れたが、どうやらこの耳としっぽは本物のようだったので雫が妖怪であることに納得した。

 「我のことを本物の妖怪と改めて実感した今、雪音は我のことを怖いと感じておるか?」

 「怖いとは……思ってないです」

 「それはなぜじゃ?」

 いたずらな笑顔で耳としっぽを動かしながら先ほどと同じ質問を繰り返した雫。

 それに対して言葉を詰まらせる雪音。

 「ここに来てそんなに長い時間が経ったわけではないが、うぬは我のことを知ってくれたから怖いと感じなくなったのではないかの」

 まるで最初から雫には答えがわかっていたかのようだった。

 「何も知らないと誰でも恐怖を感じてしまう。出会ったときうぬは我のことも警戒していたであろう?でも今は怖いと感じてはおらぬと言った。それは雪音が少しでも我のことを知ってくれたからじゃ。知るということはそれと同時に恐怖も無くなっていくものじゃ。雪音はあまり奴らのことを知らぬのではないか?」

 雫の言葉で雪音はハッと気づかされた。

 確かにはじめは雫のことも警戒していた。

 でも今は怖くはないし、もっと知りたいとさえ思っている。

 妖怪についてどこまで知っているか問われると、何も答えられないだろう。

 今まで彼らのことを理解しようなんて考えたことなど一度もなかった。

 襲ってきた彼らにも何か理由があったのかもしれない。

 雫のように社交的な妖怪もいたのに、そいつらのことは忘れて自分にとって悪影響なことばかり考えてしまっていた。

 自分が無知だったことを改めて知った瞬間だった。

 「雪音、もう少し妖怪のことを知ってみたくはないか?」

 優しい笑顔で問う雫に今の雪音が返す言葉は決まっていた。

 「妖怪のことを、彼らのことを知っていきたいです」

 知っていこうと決意した雪音だが、どうやって理解するか方法は何も思いつかなかった。

 だが次の雫の提案ですぐに方法は見つかった。

 「では雪音、ここで我の弟子として働いてはみぬか?」

 雫は楽しそうにしっぽを揺らしながら、雪音の答えを待った。

 弟子として働く、つまり医者の怪医の雫の傍で様々な妖怪と関わりあっていくことだ。

 自分がちゃんと役割を果たせるか、雫の足手まといになるのではないかと不安ではあったが、この答えももちろん決まっていた。

 「今まで何も知らないで、知ろうともしてこなかったけど、今はちゃんと妖怪のことを知っていきたいと思ってます」

 そう言った雪音をじっと雫は見つめ、言葉の続きを待った。

 「ここで働かせてください」

 顔をあげて真剣なまなざしで雪音は自分の決意をはっきりと伝えた。

 雪音が新しい一歩を踏み出した瞬間だった。

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