おつかい

 ソシャゲ「戦国乙女天下を征く!」は歴史公証なんかめちゃくちゃの作品ではあるが、今川義元だけはちゃんと桶狭間の戦いで死ぬ。

 必要絶対のルート分岐点である。


 織田信長が今川氏に勝つと、今川の麾下にいた松平元康――のちの徳川家康が離反。つられるように離反者が続々と出て、今川家の権勢は崩れていく。


 そして今川義元という強大な庇護者を失い、東海に冠たる美女と名高い初花姫は頼りない身の上となった。戦勝国の将兵、あるいは漁夫の利を狙って戦況を見つめていた男たちの中に、その彼女を我が物にせんと動く者たちが現れ出す。

 今川氏敗戦の報を受けた姫は数人の腹心を連れて落ち延び、大恩ある義元公の仇討ちを決意する…………


 という、ここまでが共通ルートの話。追手から逃げる際どこへ向かうかの選択で攻略ルートが決まり、 さらにそこから攻略対象選択のためのチュートリアル的プロローグが挟まって、ようやく本命の攻略対象ルートに入ることができる。

 初花姫にとって仇敵である織田方の武将や、今川家から離反していった徳川家康などは、そもそもルート入りが難しい。ゲーム自体が周回前提の難易度設定なので、特定のルートを通らないと攻略できないキャラクターも多い。

 

 件の竹千代殿改め松平元康――徳川家康は、初花姫とはかつて婚約の可能性があった。

 顔合わせも済んでいてお互い感触も悪くなかった。むしろ好感を持っていたはずだ。それなのに今川家が没落すると見るや元康の率いる一党がいの一番に離反したので、初花姫様は彼に恨み骨髄の有様となる。

 周回を重ねることによって家康についていくルートも開けるのだが、基本は敵対するしかない。



――



 近々、とは言いつつなかなか転属の正式な内示が下らず、五日が経った。

 

 有難いことに日々の仕事に関しては野分の体が覚えている。私が内心でおろおろともたついても、彼女の憤れた所作がカバーしてくれるのだ。



 この期間に野分についてわかったことがいくつかある。


 たとえば野分は、駿河国内で商う伯楽はくらくの娘だった。

 伯楽というのは、 別名に馬喰ばくろうともいって、馬の目利きや治療、売買の仲介をする仕事である。

 割合羽振りのいい一家だが、家格ということになるとド庶民だった。


 男兄弟の中でぽつんと一人女の子だった彼女は、遊びといえば馬に乗ることくらいであったので兄弟に劣らず乗馬は嗜んでいた。

 とはいえ馬の世話は力仕事。働き手としては頼りないからと早々に他所の家へ奉公に出された。

 

 奉公先の酒問屋が今川家の御用達で、野分はその縁からとんとん拍子に今川家の女中の充員に選ばれたという次第である。


 野分の記憶は、彼女本人のこと以外だと、何か対外的な要因によって私にも開示されているようだった。

 特定の場所や人、その他記憶を刺激するようなものに触れる度、少しずつ取り戻している感がある。もっと行動範囲を広げて、彼女の来歴や交友関係を詳しく知らなければいけない。


 彼女に成り代わった上、色々と探るような真似をしていて申し訳なく思う。

 でも何もしないでいることはどうしてもできないのだ。彼女と私とが共に、ろくでもない目に遭わないためには。




 ともかく目下の問題は松平元康だ。

 今川家の人質として従属する松平家の若君。元服に当たって義元公から偏諱を賜って今の名前を名乗っている。

 竹千代殿というのは、幼少のみぎりから駿河の国府の人質である彼を揶揄しての呼び名だったのだろう。


 燕が口を滑らさなければ、野分がその元康からスカウトを受けていたというのは私にはまったく知りようのないことだった。


 顔はわかる。一応攻略対象だったので、私側の記憶にもおぼろげに引っ掛かっている。

 彼はのちの徳川家康だ。穏やかで生真面目な、堅忍不抜のお人柄。私の知っている史実にもしも少しでも近いとするなら将来的には腹黒狸爺に進化するはずだ。

 ただ件のゲームはキャラデザだけで集客が見込めるレベルだったから、例によって彼の顔もかなり美形に仕上げられている。 

 


 今川家に臣従する立場の元康が、その主家の所有である女中を欲しがるなんていいんだろうか。 そもそも元康とて名のある一家の長だ。そんな人からわざわざお声がかかるなんて、本当の野分はどういう人だったのだろう。



 淡海の方の坐す曲輪には奥方付きの侍女たちとは別に、雑仕と呼ばれる下働きの女たちがいる。

 実家が市で商売する関係からか、野分はそっちの方に知り合いが多かった。

 そう、本来ならむしろ下働きの方に組み入れられそうな庶民の出なのに、野分はなぜだか侍女なのだ。



「野分、用事を頼みたいのだけど」


 こんな風に用事を頼まれやすいのはそういう出自のせいだったりもするのだろうか。


「はい、ただいま」


 記帳の手を止め、出入りの戸口に立つ女性を振り返る。

 多門たもん殿だ。淡海の方の配下で、お方様の側近である御牧殿に次ぐベテラン女房。



「城下に行って、千年屋でこの書付通りの酒をもらってきてちょうだい。支払いは済ませてあるから」

「かしこまりました。タ方までには」


 丁重に紙を受け取って、 中身を改める。略式に「清酒 菩提泉ぼだいせん 」とある。菩提泉といえば、大和国の酒造がつくる一級品だ。

 こんな高級品ひとりで持って歩くの怖いわ、 と文句のひとつも言いたかったが、多門殿はもういなくなっている。まったく、言いつけるだけ言いつけて。



 夜遅く訪ねてくる今川義元と淡海の方が縁側に出て庭など眺めているところに、 酒を捧げ持っていくのは、野分がこれまでに何度かこなしたことのある仕事だった。これは特に若い女中にさせることが多かったらしい。

 御牧殿や多門殿ら古参の奥女中がやらずになぜ、とも思うが、これは淡海の方の差配でそうと決まっていた。

 一応は夫婦水入らずであるべき時間に、小姑よろしく目を光らす側近がいては気が休まらないから、というのが理由のようだ。


 そのための酒を都合する千年屋は、ここ数年の今川家の注文を請け負っている酒蔵だ。


 ちなみに、過去に野分が奉公していて、 今川家の女中になるきっかけとなった酒問屋は潰れている。 

 商人同士で利権争いだか商圏争いだかがあって、それに負けて店を畳んだらしい。

 そんな世の無常まで反映しなくていいのに。

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