君たることの難きを知れば

「早々から女人ばかりで何の内証事かね、淡海おうみの」

 つと顎を上げた淡海の方は夫――今川義元に向かって、「お珍しいこと」としとやかに驚いて見せた。


 今川義元。歴史の教科書にも載っている、だいたい織田信長の噛ませみたいな人。

 たぶん史実の正真正銘本物とは全然違うのだろうが、目の前に現れたその名前の人は、それはそれで迫力があった。


 白塗り化粧に麻呂眉の平安貴族ルックが現代人の感覚からするとちょっとまぬけに思えるのだが、しかし眼光が鋭い。さりげない目の動きに刺すような迫力がある。ちらりと見られただけで考えを見透かされているように思えて「不敬でした」と誠心誠意の座礼をかましてしまう。

 しかもこの方、体が大きい。ぷよっとした太り方ではなく、厚い筋肉の上にうっすら脂肪を載せた固太りの体型で、しゅっとした相撲取りのようなのだ。



 なんだかんだ私は、野分側のものの見方になりつつあったらしい。


 私の知っているゲーム世界に似ているけど、もしかしたらそうではないかも、と思い始めていたのかもしれない。

 出てくる人がみんな、ちゃんとした人間味や肉感を持っていて、野分という人に間借りして私もまがりなりにもここに立って喋って食事も睡眠も取ってしまっているせいでもある。

 なにより、死後の世界かなとか夢かなとか確証の持てない憶測は一旦置いておいて、とりあえず今の自分が置かれている状況をどうにかしたい。そう思うばかりに焦っていた。

 この世界観に取り囲まれてまだ二日目で、もうメタ的視点を欠いていたのだ。

 

 でもこんなにはっきり見たことあるキャラデザそのまんまの人が出てくると、さすがに冷静になる。


「館に戻られた姫君の女中の候補を協議しておりましたの。早急にとのことでしたから」

「其方は話の分かる女だ」


 淡海の方の返答に今川義元は満足げに頷いた。仮にも自分の側室のところから召使いを取り上げようというのにそれだけだ。

 君たる者、簡単にお礼は言わないということらしい。

 頭を下げたままだが、なんとなく気に入らんおっさんだな、とこっそり思う。


「初花と言葉を交わしたというのはその方らのどちらだ?」


 考え事がばれたような気がして、肩が跳ねた。昨日姫様と喋ったのは侍医、細江殿、野分だけだ。

 他の同年代の侍女たちは姫君の半径2m内に入らなかったように思う。だから私が至近距離に寄って彼女を観察することができたわけだ。

 もしかして皆こうなるってわかっててわざと?

 

「恐れながら、私でございます」

 

 相手につむじを見せたまま言うと、視界の上の方に見切れていた鮮やかな紫色の装束の裾が近付いてきた。

 物理的な高さ以上に、精神的にものすごく上の方から何か言うぞ、というのがひしひしと感じられる。 


「初花が其の方を是非にも恃みにしたいというのだ。頼むぞ」

「誠心にお仕えいたします」


 明らかな圧をかけられたせいか、ちょっと声が震えてしまった。

 ものすごく偉い人から直々に声をかけられて怖い、というのはもう野分と私で渾然一体の感想に違いない。


 義元公はこの返事にとりあえずの満足を得たようだった。「ふむ」とほとんど吐息のような一言のあと、公の白足袋の爪先が踵になり、遠ざかっていく。



 私と燕は今度こそ辞去を許された。廊下へ出ると、自分たちの部屋の方へ足早に引き返す。



 お偉方のいる奥向きからは充分に距離を取ってから、ようやく歩調をゆるめた燕が口火を切った。


「御屋形様のあの感じだと、姫様の我儘聞いてあんたのこと探してたようじゃない?」  

「まあ、そういう風に聞こえたね」

「でも変よね。初花姫様が公方様に我儘なんて」


 あいまいに「そうね」と相槌を打って、燕の次の言葉を待つ。

 私は以前の初花姫様を知らないのだ。体を間借りしている立場で、野分の記憶をそうそう都合よくは引っ張り出してこられないらしいと段々わかってきた。


「今までお人形みたいにおとなしかったのに、昨日なんか急に泣き出して」

「侍医殿の言う通り錯乱なさってたんでしょう。そもそも昨日の一件、細江殿の助け舟がなかったら処理できなかったと思うわ」

「年の功よね。くどくどうるさい人だけど、お偉い駄々っ子の相手なんかさせたら一流だわ」


 位が高くて教養のあるお姫様が人前で声を上げて泣くのは、はちゃめちゃ戦国的にもアウトらしい。

 さほど身にならない気付きを得た。


「何にしろ、あのとき私らが遠巻きにしちゃったんで野分だけがお目に留まったわけね……」

「それなんだけど、なんであんな遠くにいたのよ」

「だって確かに亡くなられたのに死体が腐らなかったのよ。また起き上がったのよ。一旦距離を置いて観察するでしょうよ」

 

 死体が腐らなかったというのは初耳だ。

 本当なら降霊術に次いで戸惑うが、そこの感覚はこっちの人たちと共通しているようで安心する。


 そう考えるとやっぱりあの場面は尋常ならざる事態だったのだ。

 設定上は存在したであろう本来の姫様は、ほとんどプレイヤーのためだけに体を空けて待っていたということになるのだろうか。

 作劇上の都合とはいえ、本当の初花姫はずいぶんむごい扱いを受けている。


「でもお引き立てに預かれるかもとなったら喜んでたでしょう」

「それはそれ。姫様が娶せられる相手如何によっては栄転だもの。この話さっきしなかった?」


 そう、奥座敷への行きがけに、燕が口にした噂のことがある。「初花姫様と竹千代様を娶す」という話。

 たぶん中身が純粋な初花姫その人でなくても今川義元にとっては変わらなかったはずだ。姫には美貌と従順な性格さえあれば必要十分。人が変わったようなところがあったって、儀式の直後で錯乱しているということにしてしまえばいい。

 

 あとそもそも竹千代って誰なのよ、という疑問がまだあった。

 いっそのこと聞いてしまおう。


「ねえ、その話の竹千代殿っていうの、どんな方だっけ」


 間があった。

 燕の表情が愕然として固まり、次いで気遣わしげにそっと肩をさすられた。


「あんたやっぱりまだ調子悪いんじゃない?倒れたついでに思い出の何個か落っことしたのよ、きっと」

「え、うそ……思い出あるの……?」

「ちょっと本当に嘘でしょ……」

 

 燕の当惑以上に、私も混乱していた。

 野分が、まさか城内で姫君と縁付けられる可能性のある男性と親しかったなんて。ちっともそれらしい記憶が蘇ってこない。

 なんでだろう。野分の人格が諸々の情報を抱えたまま、異物の私には開示したくないということなのか。 


「野分、あんた松平の若様に……うちで召し抱えたいとかって再三口説かれてたじゃない」


 続きを聞こうと自然に前のめりになっていた体がのけぞった。


 松平の若君。…………松平元康だ。その男なら知っている。

 のちに徳川家康と名前を改める、「戦国乙女天下を征く!」の攻略対象だ。

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