第3話 有料老人ホームにて3
ジン老師が魔王と呼んだ男は、凍るような表情から一転優しい表情に変わった。
それが逆に怖さを助長する。
大物やくざの親分でもここまでの恐ろしさは醸し出すことはないだろう。
不意にジン老師が訝しく話し出す。
「こんな所に何をしに来た。恨みをはらしに……ワシを殺しに来たのか?」
「そんなに構えなくてもよい、別に貴様の事を恨んでいるわけではない、いや、むしろ感謝してるくらいだ」
紳士は外国人らしい大げさな身振りで楽しげに話した。
「感謝だと?」
本来なら「何かあればお声がけ下さい」と言い外に出るのだが、2人のおかしな会話に囚われすっかり部屋を出る機会を逃してしまった。俺は空気になるように壁に張り付いている。
「そう、感謝だ!お前が開いた封印のゲートでこの世界に来たのだ。こんな素晴らしい世界に連れてきてくれて、まさに理想郷!私のような魔を介するものでも居心地の良い素晴らしい環境、金さえあればたいていのことはどうにでもなる。貴族、平民などの人間じみた空気感もなく誰もが自由、構成要素の基本が利益!まさに私が思い描いていた世界なのだよ、わかるかね魔導士ジンよ」
ジン老師が否定するように鼻を鳴らして横を向く。まるで意味を理解しているような感じがした。
「しかし人間というのは哀れな者よな、少し目を離すとあっという間に老いて朽ち果てる。こんなな者に寝首を搔かれるとは、自分が魔王だという認識を変えねばならんな」
「なんだ、今のワシを見てからかいに来たのか?それならもう済んだじゃろ。もう帰ってくれ」
「まあそうせかすな、死闘を繰り広げた中ではないか、今日はお前さんにいいものを授けようと思ってな」
ジン老師はこぶしを握り締め己の現状を呪うように震えている。
老いるということは何もかも失うことなのだ。金はあっても使えない、食い物も制限され行きたいところにも行けないし、何より時間が無いのだ。
この紳士が本当に魔王で長命なら老いとは人間に課せられた一番の弱点だと思っているだろう。
「魔導士ジンよ、お前さん魔力をためているな、その魔力でもう一度あちらの世界に戻ろうとしているだろう、そして今やっとギリギリではあるが魔力がたまったようだ。よくこの世界でそれだけの魔力を獲得できたものだと感心するよ、こちら側の月では何年かかるか見当もつかんよ、それだけ向こうの世界に未練があるのだろうな」
嫌味な感じに紳士が笑うとジン老師は悔しそうに顔を上げた。
「ワシは……許せんのじゃ、あの裏切り者を、ワシを騙して強制転移させたあの裏切り者を……」
「甘未な憎悪を抱いているではないか、まるで餌を横取りされた獣のようだ。あ~それが魔力充填の原動力か、納得だな」
魔王と呼ばれた男はなんだかうれしそうだ。
「それではプレゼントだ」
そう言って魔王紳士は小さな箱を出し施されていた封印を聞いた事のない言葉で開封し中身を取り出した。それは仄暗く光る石で何か肌がヒリヒリするような感覚に陥る性質を感じた。ジン老師がその石を受け取るとそれは一度輝いたように見えた。
「これは……」
ジン老師が魔王紳士を見る。
「それはイザという時の為に装備しておいた魔法鉱石なのだ」
魔王紳士は得意げにジン老師を見た。
「それがあれば向こうの世界に渡る魔力は補える。今のままゲートを開けば向こうに着いた途端に力を使い果たして死に至るよ、行くだけ損、その石を使えば自身の魔力は残り死ぬことはない、向こうならすぐに魔力を全開にでき老いを克服できるじゃろう、せいぜい暴れてこい、まあ一度年を取りすぎた体では魔力燃費は最悪だろうがな」
ガハハハッと笑う魔王紳士の顔が夕日で照らされる。もう夕方なのかとハッとする。夕食の誘導時間過ぎていることに慌てた。
「すいませんがもうすぐ夕食なので、お帰りいただけませんか?」
丁寧にお願いすると魔王紳士は満面の笑顔でうなずいた。
「まっ、まて漆黒のゼラニュウムがいるのだ。それは……」
「そうだった。忘れるとこだった。その前に、これにサインしてくれるか?」
何かの紙きれを出した。
「これは、ワシの会社が持っている倉庫の……売れという事か?」
「もちろん、破格ではあるがジンの会社にしてみれば大したものではないだろ、お荷物でもあるしな、それを売ってくれるだけでいい、そうすれば漆黒のゼラニュウムを渡すことができるかもしれないぞ」
あの土地はワシが母さんと商売を始めた最初の……悔しそうにするジン老師だったが渋々書類にサインした。
「それじゃあゼラニュウムはお渡しするよ、だが取りに行かねばなるまい、どうしたものか……ん~君、取りに行ってくれないか?」
突然話を振られた俺は困惑の表情を浮かべていたと思う。
「君ならあそこに行っても死ぬことはなさそうだ。どうしてこんな所で働いているのか知らないが君は私の知っている人間の中でもダントツに強いようだ、ぜひこの最弱の魔導士に力を貸してやりたまえ」
そう言ってメモ用紙を強引に渡してきた。迫力に押され思わず受け取ってしまったことに後悔しかない。
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