2 ぬいぐるみ



 俺の少年期の記憶は、非連続的である。


 平らな床に玩具のブロックが点々と置かれているような、右も左も前も後ろもない。


 どの出来事がどの出来事の後に起きたかが不明であるため、失くしたブロックがあっても不思議ではない。


 非連続的であると気づいたきっかけは、時計を模したぬいぐるみである。


 最も明瞭めいりょうな思い出として、中学一年の家庭科で、裁縫さいほうの授業があった。


 俺はお手本そのままに、時計のぬいぐるみを作った。

 しかし、そのぬいぐるみを中学生より幼い俺が抱えている記憶がいくつか混じっている。

 そういった状態である。




 少年の俺が、日本家屋の廊下で老婆ろうば説諭せつゆされている。


「礼儀作法というものは、存在することに意味があり、その心に意味があるのです」


「おかしいよ。何でもおばあちゃんの言う通りなんて操り人形みたいだ」


 老婆は俺のほほひどくつねった。




 大人の話し声が飛び交う和室の隅に座らされた。毛羽立けばだった畳を見つめた。


「ええ、もう私では手に負えないんです。この子だけです。この子だけ。極端に協調性に欠けるのは……」


 女――俺の養母が言い終えると、間を置かず医者らしき男が、俺の発育状況を聞き出し始めた。


 自分の事が問題にされていると分かっても、俺は傷んだ畳を撫でることしかしない。


 また、それに飽きた場合、内出血や蚯蚓腫みみずばれがくっきりと残っている両腕を検分して暇を潰す。

 今朝つけられたばかりの新しい傷だ。


 大人たちとの会話の中で養母と養父は、近所の子供たちが俺をいじめたと話していたが、実際は家主である老婆――俺の養祖母が癇癪かんしゃくを起してぶったものだ。


 そこをどう訂正しようが俺の態度が悪いことに帰着するため放置した。


 と、そこで一番権威のありそうな医者の男が俺の名を呼んだ。


「はい」と返事をした。


「君はこれから一年間、隔離生活をしてもらいます。その中で君の思想を正しいものに矯正していきましょう」


「えっ、と……」


「大丈夫。君は出来損ないではありません。今はまだそう思っていても、これからいくらでも努力によって苦手なことを乗り越えていけます。

 周囲と協調できないのは君の特性ですが、それは後から教育することで修正できるのです」


 養祖母の家屋に立ち入ったことのない一室があった。


 部屋は木製の檻で二分割されていた。分割された奥を、座敷牢ざしきろうと呼べ、と教えられた。


 俺はそこに住んだ。

 与えられた空間は一人で使うには十分すぎる広さがあった。


 俺はその座敷牢の、蜘蛛が巣を作り、ほこりがその巣に絡まった、最も不潔な場所を選んで座りこんだ。

 時計のぬいぐるみを抱き締めた。


 足のすねがかゆくなって引っ掻いたら血が出た。治りかけの傷だったらしい。


 絆創膏ばんそうこうを探した。そんなものはなかった。




 一年後、座敷牢を出た。一年後に出たと後々聞かされたため、そのような記憶を形成した。

 俺の記憶は依然いぜんとして非連続的であり、座敷牢内と外との出来事は、少年期とおぼしき時期のどこであれ点在している。




 青年期に差しかかった頃、俺は、監視されていると確信した。


 家人には勿論のこと、学校の教員、同級生、近隣住民、通行人までも俺の動向を窺い、座敷牢に引きずり戻そうとしている。


 養母は俺の言動を日記に書き記し、学校教諭は授業の業間まで俺を見張りに告げ口し、通行人の所持する鞄の隙間からはビデオカメラが覗く。


 医者の男は今でも間接的に自分を監視している。


 俺は、ごく平凡な人間の言動を真似る事に、注意を配った。

 人並みの成功と挫折、の外面的経験を積み上げた。


 それは現在も続いている。





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