自己管理人
葛
1 金庫
「最っ低!」
彼女はそう喉から声を張り上げ、俺の部屋を去った。二度と戻っては来なかった。
「最低」という単語を浴びせられるのは通算十五回目である。
十八歳で上京して以降、実に十六人の男女と知人以上に親密になった。
が、一人を除くすべてが俺との連絡を絶つ選択をした。
俺はいまだ親しさを損なっていない唯一の人物にメールを送った。
便宜上、彼を親友と呼んでいる。
『振られた。お前、今ヒマ?』
『分かった。いつもの店で愚痴聞いてやるから』
苦笑する親友の様子が思い浮かぶ。
『いつも悪い』と打ち返して財布をジーパンのポケットに突っ込んだ。
オレンジジュースを一気に呷った。
今回振られた経緯を説明し、毎度おなじみの台詞を吐いた。
「……何が悪いんだと思う?」
「お前が悪いよ、全面的に」
分かり切っている言葉で返された。
俺はそれなりに傷ついている、多分。
「それなり」という単語の定義づけが必要となる。
いや、定義づけは不要か。この場では俺が哀れっぽく見えていさえすればいい。
「もうちょっとその辺を分かってくれそうな女と付き合えよ」
親友は忠告するが、
「俺の性格のひねくれ具合を察した人から逃げてくけど?」
「…………」
動きを止め、俺に視線を寄こした。
「まあ、そうだろうなあ……」
親友は天井を仰いで、溜息を吐いた。
一度親友に酒を勧められたが、仕事に差し支えるから、と断った。
「お前、絶対に自分ちか俺んちでしか酒入れないよな。何か酒の席でやらかした事でもあんの?」
半分は親友の指摘した通りである。
もう半分の理由を俺は決して口にしない。
赤の他人の目がある所で酒を飲むなど自分には到底できない、という態度でいるだけである。
いつどこで奴らの監視の目が光っているとも分からない、と正直には発言しないのである。
♧
帰宅し、恋人の荷物の整理を終えてから物置部屋と称している部屋に入る。
十数台の金庫が整然と積み上がっている。
入り口に近い金庫に数字を入力し指紋認証をすると、ガチャと鍵が開いた。
中には養父が会社で演じた失態を記載した資料がある。
一束手に取り、目を通し終えると、元通りに仕舞って隣の金庫を開ける。
中の書類には養母の本家が不仲である経緯が詳細に書き記されている。財産問題の詳細だ。
それも読み終え、その隣の金庫は飛ばして次を開ける。
飛ばしたのは親友の金庫、開けたのはついさっき“元”恋人になった女の金庫。
もう不必要になった情報と、最低限確保しておくべき彼女の弱みとに仕分ける。
作業が終わると「知っておくべきではない」または「通常知り得るはずがない」事柄だけ頭の中から消去した。
何年も前からこの行為を繰り返している。
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