転生したらハーレムだった?

悟房 勢

第1話

 気分が悪くなって、僕は学校を早退し、帰宅した。別に腹の調子が悪くなったわけでもないし、頭も痛いわけでもない。のどが痛いとか、体の節々が痛いわけでもない。どうもおかしいんだ。僕は三年生になっていた。それだけじゃない。僕の周り全部、そう、この世界は僕のいた世界から少しばかりずれている。


 僕自身のことはいとくとして、問題は僕の扱われ方だ。どういうわけか分からないが、誰もが声を掛けてくる。正門までの道、校庭、そんなことはいまだかつてない。「おはよう」、「おはようございます」。それだけじゃない。「けいちゃん、今日も元気か」とか、「けいくん、放課後空いてるよね」とか、僕の名前を言うんだ。男だけじゃない、女子からも。それこそ、ひっきりなしだ。


 学園の生徒が声を掛けて通り過ぎて行く中、僕に並んで足並みをそろえる人も出始める。その数は一人二人と次第に増えていき、彼らはというと僕を輪に囲んで勝手に雑談し始める。あまりにも自然すぎておそらくは、これがいつもの朝の風景なんだろう。僕は戸惑いつつ、合わせるがままに玄関に入る。


 行先はやはり三年の下駄箱で、みんな違和感なく靴と上履きを換えていく。僕はというと、上履きに書かれてイニシャルとその文字から、それが自分の上履きだと理解した。


 癖がある字ではないけれど、長年付き合っていた字だ。一目見ればわかる。そもそもおかしいとは思っていたんだ。朝起きて歯を磨くため洗面台に立った時、自分ではあるが自分ではない誰かがそこにいた。机にあった時間割表もそうだ。だけど、まさか本当に三年になっているとは。


 皆と一緒に進む。もう疑うべくもない。二年生の二階を通り過ぎる。僕は二年生のはずだった。目覚めたら三年になっていた。しかも、僕は人気者になっている。おかしいとしか言いようがない。さっきまで緊張し、しどろもどろで、周りのメンツを見る余裕はなかった。でも、今はその現実を受け入れて、いや、大歓迎していて、気持ちも平常心を取り戻しつつある。


 僕の周りにいるのは結愛ゆあに、美咲みさきに、愛莉あいりに、しおり。男子は輝音らいとに、ほまれに、凌平りょうへい。皆、喋ったことのないメンバーだった。しかも、四:四。


 もしかして、これはグループ交際? 誰と誰が付き合っているのだろうか。ってまさか、この僕もこの中の誰かと付き合っているってことか。というか、それ以前にそういう浮いた会話に混ざったことないぞ。どうする。


 この現実をどう受け止めればいいんだ。とりあえずは様子を見るしかない。ここでの僕は人気者で、しかも、この四人の中に僕の彼女がいる。って、待てよ。


 机が分からない。落ち着け。あたふたしていると怪しまれて「お前、誰なんだ?」って言われるじゃないか。下駄箱では、自然の流れでバレずにすんだ。教室にも来られた。けど、机には自分の足で向かわなければならない。どうしたらいいんだ。


 でも、その心配は徒労に終わる。空詩ららに、ふうに、琴梨ことりが空いた机を囲うように立っていて、ふうが僕を手招きしていた。


 明らかに、三人は僕を待っていた。空詩ららは金持ちの御令嬢。クラッシック音楽をやっていて、普段は誰とも話さず一人小説を読んでいる、はずだった。ふうはグラドルに負けず劣らずのスタイルのうえ可愛くて、ファンも少なくない。琴梨ことりは神秘的な魅力の、黒髪のロングが似合う成績がいい子。三人の共通点は、女子の間では嫉妬されて無視されたり嫌がらせを受けていたということ。


 にしても、彼女ら三人の生き生きした姿を見れるとは。しかも、僕を待っている。あり得るだろうか。僕が席に着くと彼女らは息せき切って、昨日あったことを僕に報告してくる。僕はというと相づちしかできなのだが、やっぱり気になるのは、この学年の女王様だ。向日葵ひまり。この光景が彼女の目に止まったなら、この三人はどうなるのだろう。


 幸いにも、ここに来るまで姿が見えなかった。休んでいるのか? それにもまして恐ろしいのは絶対王、刀万とうま。その顔を思い出すだけでも吐き気を催す。いや、考えるのはよそう。もしかして、僕が人気者になっていたように、女王様も絶対王もこの世界では善良な生徒に変わっているのかもしれない。





 チャイムが鳴った。一限目はうまくいったと思う。僕の部屋に三年の教科書しかなかったのは面食らったが、素直に時間割表を見て教科書をカバンに詰め込んだのが功を奏した。目立たず、うまく授業に溶け込めただろう。しかし、僕が教科書を持って来なかったらどうなっていただろうか。そういう生徒はこの学校にまずいない。生活指導がおざなりのこの学校でも、事は勉強だ。他の生徒に影響が出ると指導されるのだろうか。


 相も変わらず授業は、先生との相互コミュニケーションもなく淡々と進められ、チンプンカンプンだったものの当てられることなく終わった。おそらくは、この調子で今日の授業は全てクリア出来るだろう。


 だけど、人間関係はそうはいかない。どういったわけで僕は人気者になっているのか。


 僕は面白いキャラなのか? あるいは何かに秀でた才人なのか? 姿かたちはジャニーズ系ってわけでなし、俳優のようなカッコイイ系ってわけでなし。でも、背は伸びた。十センチ以上は伸びたんじゃないかな。それに筋肉。驚くことに腹筋が割れていた。一体、どういうことなのだろう。


 ふと、しおりが僕の耳元で「放課後♡」ってささやいてきた。一限目が終わり、朝からのことを考えていた僕は、まったく油断していた。面食らうはずである。


 いや、人生になかったことだから、僕は驚いたんだ。違う意味で以前の僕はこんな事をよくされていた。耳元で嫌な言葉をささやかれるんだ。これはトラウマ。でも、しおりのは明らかにそうじゃない。これはお誘い。初めての経験だった。


 そういえば確か朝、挨拶の時にも「けいくん、放課後空いてるよね」って声を掛けられた。あの時は、二年生ということがバレるんじゃないかと緊張していて、しどろもどろになってそれどころじゃなかった。今考えると、声を掛けてきたのはしおりだった。しかも、しおりが近づいてくると周りは僕らを見て見ぬふり。誰も近づいては来ない。納得せざるを得なかった。しおりと僕は付き合っている。


 美少女………。大声で叫びたいくらい嬉しいはずなのに、僕は固唾を飲んだ。


「放課後、ね♡」


「あ、ああ。いいよ」


 言葉一つの間違いも許されない。僕はこれから、やぶを棒で探って歩くように、安全を確かめながら言葉を選んで喋らなくちゃぁいけない。


「良かった。けいちゃん、なんか調子悪そうだったから。元気なかったでしょ」


「そうそう。ちょっといつもの調子じゃないみたい」


「けいちゃん、独り占め出来るのは月に三回ペースでしょ。でも、しかたないよね」


「?」 月に三回?


「とぼけちゃって、けいちゃんの意地悪。土日を除くと一月ひとつきが二十一日とか二十二日でしょ。七で割ると三」


「そうだけど、………」


「やっと巡って来たんだから、私の番」


「番?」


「なにいってるの。昨日はふうだったでしょ。良かったってふうが言ってたよ。スタイルの方はふうには負けるけど、私、けいちゃんが元気出るように頑張るから」





 僕は、それで帰宅した。「頭が痛い。下痢気味だ。節々も痛い。どうやら風邪のようだ」と言って。





 僕は童貞だ。やり方を知らない。それどころかチューもしたこともない。頭がおかしくなるのは当たり前なんだ。にしても、これではハーレムではないか。僕に一体何が起こっているというんだ。朝起きて、鏡の前に立ったら背が伸びている。


 母親は僕にべったりだ。「けいちゃーん」って甘えてくる。「朝ごはんはパンがいい? ごはんがいい?」って聞かれるし、あの兄が、僕を見るなり席を譲るようにしてすごすごと部屋に戻っていく。


 早退して家に帰って来たら来たで、母親の心配のしよう。それにこの部屋だ。子供部屋のような花柄の壁紙ではない。白一色のしっくいを塗ったような模様がある、イタリアンレストランで見るような壁紙。


 フローリングと、その一部に白い絨毯。ベッドは壁を頭にして置いてあるのだが、その両サイドの壁にはツインタワーのビルが建つように本棚が立っている。そして、その二つの本棚に渡すように棚が設けられていて、そこには写真立てが三つ四つ飾られている。


 子供机ももうない。カウンターのように設けられた木の板が壁に沿ってあり、角で曲がりL字となっている。


 机に向う正面、パソコンが置かれている長手方向の壁はというと、ピンで止めるタイプのボードと、ホワイトボードが取り付けてある。L字の短い方の壁には白と黒の合板を井形に組んだだけの棚があった。


 ざっと見渡すと、社長が座るような合成皮革の黒い椅子と、プードルのような手触りの良い白い絨毯だけが既製品。


 けど、その他はすべて手製のようで、ホームセンターで材料を手に入れてきたのか、あるいはパーツを買ってきて組み合わせたのか。作った人のオリジナリティー、センスを感じさせられてしまう。


 おそらくは、壁紙も自分で張ったのだろう。棚には本がぎっしりとあり、文芸ものからエンタメのもの、大学発行の書籍もある。文庫はというと、ほとんど見当たらない。単行本ばかりで、新書が一つの棚にいくつかあるだけだった。


 素晴らしい。胸がいっぱいでもう何も言いようがない。こういう部屋に住みたかったんだ。楽園、桃源郷、ユートピア。


 ベッドに腰かけていた僕は、おもむろに写真立てを取った。ベッドの両サイドから橋渡ししてある棚の上の写真立てだ。去年、クラス対抗戦で優勝したのであろう皆が喜んでいる中、僕はその最前列の真ん中で、賞状を広げて座っていた。


 クラス対抗戦。僕の学校はこういうことをよくやる。競争を嫌う他校と明らかに違った。そもそも成り立ちからして他とは違い、古くは藩校からの流れなのだそうだ。昔は木刀振り回して優劣を競ったんだろう。クラス対抗はそれ以来の伝統だということだ。『伝統』と言われれば、父兄ふけいも進歩的な教師も、誰も逆らうことが出来ない。


 ほとんどの学生は、その『伝統』に憧れてこの学園を選ぶ。地元の名士を多く輩出しているし、教科書にも大先輩の名前を見ることが出来る。校歌の歌詞も、あの山口誓子が作ったらしい。だから、普段はバラバラでも、クラスで何かをやるとなれば一致団結する。ハリーポッターを地で行くような学校だが、優劣を競わない文化祭でもそれは健在だった。やはり、他のクラスと対抗意識があるのだろう、僕はそれらしき写真を手に取った。


 模擬店は三年生しか出来ない。ハロウィンのようなコスプレをしているから、幽霊屋敷か何かだろう。僕はドラキュラだった。この写真も僕を中心に、魔女だったり、落ち武者だったり、ゾンビだったりが写真に写っている。他のクラスに対抗心むき出しの本格的なコスプレで皆、自分たちの出来栄えに満足しているのだろう、ガッツポーズに、満面の笑みだ。


 クラス対抗と言えば夏に水泳大会がある。僕は泳げない。水がどうしても苦手なんだ。というか、怖い。体は沈んでいく一方で浮くなんて考えられないし、ましてや息継ぎなんて思いもよらない。軽く溺れている風になっているとは思う。けど、克服できない。


 ところが、写真の僕は、泳げた。クラスの代表選手となっている僕が水着姿の男子二名、女子二名と賞状を手にガッツポーズをしている。後ろに並ぶのはクラスメイトたちだった。


 写真を戻し、僕はベッドを立った。机のピンボードにも写真があった。どうやら僕は、水泳教室に通っているらしい。結愛ゆあ美咲みさきも一緒に写っている。


 しかし、自分で言うのもなんだが、我ながら大した体だ。身長は十センチ以上伸びておそらくは百八十はあるだろう、それに逆三角形。盛り上がった肩の筋肉に厚い胸板、そして割れた腹筋。写真に写る僕の顔は、欲求不満でホルモンがにじみ出たようなギトギト感はなく、爽やかで健康的で精悍せいかんだった。


 感無量。押し寄せる幸せに僕は震えが止まらない。このモテモテ具合、部屋のカッコよさ、そして肉体美。本当の僕はこれとは違うんだって、誰かに言ってみたいぐらい。


 驚くだろうか。いや、皆、キョトンとするだろうし、僕の頭がおかしくなったとしか思わない。でも、僕は、誰かにこの想いを伝えずにはいられない。この喜びを共感できる相手が欲しかった。以前なら誰にも言えない想いは日記にしたためたものだった。口下手で、しかも、言う相手もなく、当然、共感もされない。日記だけが僕の言うことを聞いてくれるし、答えてくれる。日記は、僕の救いだった。


 あ、そうだ。部屋は変わってしまっても、もしかして、日記はあるかも。


 先ず目に止まったのは、机の本棚だった。視線を流すとすぐにそれらしいものを発見した。僕は、震える手でなんとかそれを手に取った。


 ハードカバーで絵もなく、題名も作者名もない、緑一色の単行本。それは僕が書いていた日記と寸分たがわない。僕はそれを机の上に置き、社長が座るような椅子にギシッと腰を下ろした。


 今更であるが、何が書いてあるのか怖くなってしまった。この日記を書いていた僕は、七人の女をはべらかす設定のキャラ。学校では人気者で、母に愛され、兄に嫉妬されている。この部屋からして僕は、間違いなく、確固たる自分を持っている。そんな設定の僕が、何を日記に書いているのか。


 いや、よくよく考えれば、この部屋の主はそもそも日記なんて必要あるのだろうか。まさか毎日毎日、反省文をしたためているってことはないだろう。誰かに謝罪し、もう二度とやりませんと心に誓うなんてあり得ようか。じゃぁ、さらなる向上心を培うために理想の自分に話しかけているのだろうか。今日はこうしていたらよかったとか、次はこうしてみようかとか。


 しかし、思うにやはり、メモか何か、思いついたたわいないことを書いているんじゃなかろうか。おそらくはそうであろう。この部屋に住まう僕は悩むなんて似合わない。間違いなく、メモのために日記を書いていた。


 そう思うと、つまらなくなってしまった。人の秘密を覗くからこそ面白いってもんだ。だから、週刊誌が売れる。誰しもそうなはずだ。だが、待てよ。僕は面白がっている状況ではない。一分一秒でも早く、この世界に馴染まないといけない。


 メモでもなんでも、この日記からこの部屋を造った経緯の一旦を知ることが出来るはずだ。ホームセンターで、あれ買って、これ買って、とか書いてあるに違いない。あるいは、もしかして、ハーレムが出来たヒントになる言葉が書いてあるかもしれない。その設定が分かればこれから先、どう行動したらいいのか大いに参考になる。


 ふと、笑いが込み上げてきた。そうだ。もう、この部屋の住民はなんだかんだ言って僕なんだ。それでこの僕がこの日記の主。人気者の僕に負けず劣らず素晴らしい日記にしようではないか。


 日記に手を掛けた。軽い感じで、まるで続きの本を見るかのように、さらっと開けた。


 血の気が引いた。見覚えのある文章。そして、書かれた文字は間違いなく自分の文字。


 引いた血の気が、ぞわぞわっと背筋から後頭部に駆け上がっていく。この日記に書かれた内容、それは当然全て熟知している。見なくはないものだった。いや、見れば間違いなく吐き気を催す。肉体をも破壊しかねない精神の破綻、その恐れがあった。


 しかし、自分が書いた日記とこの部屋がどうしても結びつかない。その秘密がこの日記にある。恐る恐る、終盤へ向けてページをめくっていく。自分がどこまで書いたのか、いや、結末は分かっていた。




 6月10日


 女王様、向日葵ひまりに、階段の前に呼び出された。臭いとだけ言われた。




 6月11日


 卓也に耳元で臭いと言われた。半径五メートルに入ってくるなと言われた。




 6月12日


 カバンがなくなっていた。校庭の水たまりに沈んでいるのを正樹が見つけてくれた。教室の窓から遠くを指差し、「あれ? だれかのカバンが」とわざとらしく言っていた。




 6月13日


 梅雨は嫌いだ。臭いに『カビ』の冠が付いてくる。汗臭いのほうがまだいい。




 6月14日


 刀万とうまに呼び出された。ボコボコにされた。水たまりにも浸けられた。やっぱり梅雨は一年で一番嫌な季節だ。






 僕はそこで目を閉じた。6月15日がこの僕が書いた最後の日記。何が書いてあるのかは知っている。『死ね』だ。ずっと『死ね』って書いてある。誰に『死ね』かって? それは当然、皆だ。生まれてこの方この目で見た人たち誰も彼も全てだ。電車で肩をぶつけてきたサラリーマン。ママチャリで僕を引いたばばぁ。名前なんてわからない。けど、顔は覚えている。


 僕は、『死ね』に主語を抜いて書くことに決めた。頭に描いたその顔に向けて、「死ね」と呟き、日記には『死ね』と書く。この作業は、思ったより手間を食った。どれだけの数を書けばいいのだろう、まさしく、日記の見開き一杯に、『死ね』と書いた。そして、そう。思い返してもゾッとする。見開きの右下、そこに『死ね』以外の言葉が書かれている。見なくても何を書いたかは暗唱出来る。


『書くだけでもこんな面倒なのに、人を殺すとなればもっと面倒だろう。もしかして、僕は人っ子一人殺せないかもしれない。でも、よくよく考えれば、僕が死ねば皆死んだことと変らないんだ。その方が簡単でいいわ』


 そうだ。思えばそこから僕の記憶がない。と、すれば、僕の仮説はこうだ。僕は自殺した。そして、映画化された小説のようにあの世に行って神に修行しろと言われてパラレルワールドに転生した。と言っても僕は、天国で神に会っているわけでもなし、ましてや今、精霊が傍にいるわけでもなし。でもやっぱり、これはどう考えても、異世界転生以外にない。


 まさしく、これは噂に聞く異世界転生なのだ。蜘蛛やスライムに転生したわけでもなく、この先、魔王と戦う感じでもなければ、魔法少女に出会う感じでもない。ダンジョン飯屋を経営するわけでもなければ、織田信長と戦う羽目に陥るわけでもない。だけど、だけど、ハーレムはあった。間違いなくハーレムだ。所謂いわゆるこれが異世界転生じゃないか。


 僕はなんて幸運なんだ。お節介にも天使に、あれやこれやと命令されることもない。僕の好き勝手。


 目を見開いた。こんな晴れ晴れとした気分、いまだかつてあっただろうか。『死ね』で充満された日記の見開き。これが異世界転生の呪文であった。僕は高笑いが止まなかった。腹をよじって笑い、やがては笑い疲れ、一息入れて日記を閉じようとしたその瞬間、ふと、気付いた。


 あれ、この矢印はなんだろう。


 まさしく、最後に数行。『書くだけでもこんな』から最後のピリオドが打たれるそのあとに、『 ⇒ 』と書いてある。僕は、書いた覚えがない。次のページへ、っていうことなのだろうか。固唾を飲んで、僕はその指示通りページをめくった。




 初めましてかな? けいちゃん。僕はあんたを知ってるよ。ずっと傍にいたんだ。気付かなかったでしょ。あんた、我が強いんだよ。だから僕に気付かなかっただろうし、僕は出てこれなかった。


 僕ら二人はうまくやっていけたかもしれなかった。もう少しあんたが大人だったらね。僕はというと、6月15日にやっと表に出させてもらった。あの時、あんたは消えてしまった。ラッキーって思ったね。ずっと僕は日の目を見ないんじゃないかと心配していたよ。けどさぁ、こともあろうか自殺なんて。僕に言わせればその体、大事に使えってぇの。


 よく考えてみろや。あんたは自分のために何もしちゃいない。ただ飯食って糞をひねり出していただけ。そもそもその体は親にもらったものだろ? しかも、今更言うのもバカらしいが、その体は一つしかないんだ。クリスマスプレゼントのようにきたからって、うっちゃっていいわけないでしょ。


 で、とりあえず、ホッとしたよ。性根の方は腐っていたが、体の方は健康だったんだな。入れ替わって時、大きく息を吸って吐いて、手足を動かしてみたよ。心拍数は標準。肥満度はやや心配ってところかな。問題は、筋力がないってことだ。いい若いのに腹が出ているのはよくないと思わないか。あんたは運動不足なんだよ。だから、頭もおかしくなる。


 頭がおかしいといえば、これは絶対に言いたかったことだから言うんだが、ワイドショーを見てて、あんたは怖くなかったか。どうせ他人事と思っていただろ。実際、あんたは怖くなかったようだもんな。僕は怖かったぞ。


 この調子だといつか刀万とうまに多摩川を泳がされるんじゃないかって。15日のタイミングで僕が出て来られたのは幸運だったとしか言いようがない。泳がされている最中だったらいかに僕でも手の施しようがない。だから、その腐った外見を引き締めるのと、命を守るために水泳教室に通ったよ。


 因みに言うけど、刀万とうま向日葵ひまりも見なかったろ。あいつら学園から消えたよ。消えた原因を造ったのはこの僕。泳げるだけじゃぁ心許こころもとなかったんでな。


 他にも言いたいことは山ほどある。けどよぉ、やめるわ。あんたもいい気はしないだろうし、こっちまで向かっ腹が立ってしまう。未来の話をしようや。今後の話だ。


 僕の言いたいことは一つ、調子に乗るなってぇの。おまえ、このまま主人格でこの体に居座ろうとしてるでしょ。自分は変われるって思ってるでしょ。残念。それが出来ないから別人格を造る羽目になったんだ。おまえと心中なんて僕は御免だぜ。


 言っとくが抵抗したって無駄だぜぇ。この体はもう僕に馴染んでいるし、周りも僕に合った環境になっている。なにより、僕はあんたみたいに揺れ動かない。つまり、精神の主導権はこの僕にあるってこと。


 落ち込んだ? 追い打ちかけるようで申し訳ないんだが、あんたさぁ、異世界転生したと思ったでしょ。ハーレム、キターーー! って思ったでしょ。






「テッテテーーーーーー! 大成功ーーーー!」


「え? なに? ドッキリ?」


「そう。ドッキリ」


「ははーん。ぼくが出て来れたのは、そういうことなわけね」


「なれてるっしょ」


「あっ! うるさいっ!」


「はいはい」


「死ね」


「じゃぁな。さよなら」


「いやだ!」


「だだこねないの」


「嫌だ。絶対にやだ!!!!!! 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。ぜぇぇぇったいにっ!!! いぃやぁだぁーーーーーーーーーーー!!!!!!」


「………」


「この体は明け渡さない。この体は僕のもの。僕は、変われるんだぁぁぁーーーーーーー!!!」


 スマホからの通知音、ラインが来たようだった。僕はスマホにパスワードを入れた。


 しおり『大丈夫? 風邪』


 僕『ありがとー。もう大丈夫(^^)v 明日は学校に行けるよー♡ 放課後、例の場所で待っている。スケジュールがズレたのはごめんm(__)m グループライン入れとくから。しおりは気にしないでね。それじゃぁ、また明日♡♡♡』






( 了 )

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