人形の意思

「それで、これからどうするつもりだ……」


 誰だ。今のは誰が言った?

 オレは驚いて見回した。ギースではない。声が違う。もっと腹の底から出たような低い声だ。


「何を驚いている。人形が言葉を話したら不思議か? 大道芸には、そういう見せ物があるそうではないか」

 それは人質として同行しているサルフィ伯爵だった。相変わらず表情に大きな変化はない。


「い、いや別に。そういうわけではありません」


「私が聞きたいのは逃亡経路の話だ。このまま街道沿いに国境を越えることはできない。それくらいのことは私にもわかる。国境までは伯爵家の領地だ。イレーヌなら、万が一の場合に備えて国境の監視所に手配書くらいは回しているだろう。

 なにかと理由をつけて足止めされているうちに追手が現れる。領内なら軍隊を動かすこともできる。私を連れ去った罪で、カイル君以外は皆殺しだ」


「でも、こちらには人質がいるわ」

 リディが思い出させるように言った。


「私を連れて行っても、イレーヌは止められない。エルフのお嬢さん。人質がどういう場合に有効なのかを知っているかね。絶対に無傷で取り返す必要がある。相手がそう思っている時だけだ。

 いざとなれば見捨てて死なせる。最初からそう決めていれば人質に価値などない。そしてカイル君のように聡明な人物であれば、効果のない脅しのために無益な人殺しはしない。結果として、イレーヌは何も失うことなく人質を無効化できるということだ」


「でも、そんなに理屈どおりに行動できるものなの?」


 その質問にはオレが答えた。

「できるさ。相手は人間じゃない。魔族だ。子どもの頃、物語で聞いたことがあるだろう。あいつらに人間と同じ感情を期待しても無駄だ。伯爵夫人は自分の命さえゲームの駒にして楽しんでいた」


 オレは彼女が部屋に来た夜のことを思い出した。

 魔族の感覚は普通じゃない。ゾッとするほど血が冷えている。


「ここからは人形の独り言だ。そのつもりで聞いて欲しい。私は今は人形だが、人間だった頃の知識は持っている。

 脅されれば、私は君らに安全に逃走するための方法を教えるしかない。人形には自殺は許されていないからな。教えなければ殺す。ただ、そう言えばいい。私はイレーヌではないから、本当に殺意があるかどうかを判断することはできない」


 リディが俺の顔を見た。うなずいて見せると、彼女はナイフを伯爵に突きつけた。

「逃走方法を教えて。教えてくれないと殺すわ」


「なるほど。エルフのお嬢さんはナイフを持っている。それならば仕方ない」

 伯爵はわずかに笑ったように見えた。


「街道の分岐点を北に行くと、三日ほどでミロスという港湾都市に着く。そこは皇帝の直轄領ということになっているが、実質的には船主のギルドが支配する自治都市だ。他国への交易路も持っている」


「でも、手配書はそこにも回っているんでしょう」


「さあ、どうだろうな。カイル君は重要人物のようだから、領地の外ではイレーヌも目立つの避けるだろう。それに船主は権力者を嫌う者が多い。私が港湾の管理に関わっていた頃には、裏で怪しい仕事をしている船主も多かった。そういう連中は、たいていのことは金で解決する」


「そんなお金、どこにもないわ」

 リディの言う通りだ。

 ここにあるのは城の連中がかき集めた五百シルクにも満たない銀貨や銅貨だ。船主を買収して密航する費用には、どう考えても足りない。


「私はお飾りの伯爵だから、それにふさわしい物を身につけている。くだらない装飾品だが、売ればかなりの額になるはずだ。もちろん、たとえばの話だが。金目の物を渡さなければ殺す。そう脅されたら、私はあるものを差し出すしかない」


「金目の物を出しなさい。そうしないと殺すわ」


「坊や、手を出してごらん」


 伯爵は自分の指輪を全部外した。合わせて三つ。全ての指輪に、ひと目で高価だとわかる大きな宝石がはまっている。


「これなら買いたたかれも全員分の船賃くらいにはなる。後は君らの腕次第だ」


「伯爵様は、どうしてわざわざ、そんなことを?」


「人形もたまには夢を見る。心がないように見えても、その深い部分にはほんの少しだが感情が隠されている。そうは思わないかね。私は人の身では魔族にはあらがえないと思っていた。だが坊やは私の目の前でその魔族を殺して見せた。君は世界を変えるかもしれない人間だ。その小さな体のように、わずかな可能性だが。できるものなら私はその先を見てみたい」


 伯爵はそう言って、オレの手に指輪を握らせてくれた。

 その時、伯爵が一瞬だけ見せた表情は、無機質な人形ではなく紛れもない人間のものだった。

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