16 地に堕ちた鷲

銀鷲

「カイル、よかった。カイル」


「カイルさん、無事でよかったです」


 リディが、シャルが抱きついてくる。

 いや、違う。抱きかかえられて振り回されているのはオレだ。むぎゅう。シャルの胸に挟まれて、ほっぺたが圧迫されている。リディが谷間からオレを引きはがしてキスをする。まるで本物の子どもにするように遠慮がない。


「おいおい、俺にはなんにもないのかよ」

 ギースが不平を言った。


「あなたは人質を脅しているただの悪者でしょう。キスの代わりに悪名は全部差し上げるわ。もし捕まったら、代表で縛り首になってちょうだい」


「ひでえな。俺だって、必死なんだぜ」


「お姉ちゃん、これ。拾ってきたから使って」

 オレはリディに弓と矢筒を渡した。


「お姉ちゃんって、カイル……」


 一瞬、不思議そうな顔をしたリディは、オレの視線を追って伯爵の顔にたどり着いた。理解したとでも言うように小さくうなずく。


「……うん、そうね。それじゃあ、お姉ちゃんのそばを離れないでね。私が守ってあげるから」


「うん、それでね。このおじさんが、地下室のもっと下に隠し部屋があるって教えてくれたんだ。面白そうでしょう。今からそこに行こうよ」


「わかったわ。ほら、ギース。悪役の出番よ。さっさと案内させなさい」


「わかったよ。さあ、伯爵様。よろしく頼むぜ」


 オレたちはサルフィ伯爵の案内で、地下室へと向かった。

 途中で何か所かシャルの魔法で崩れた瓦礫があったが、乗り越えたり迂回したりして進んで行った。

 それにしても、シャルの魔法の威力はすさまじい。転がっている瓦礫の大きさでわかる。ハンマーを使ったって、こうはいかない。これだけ細かくなっているってことは、瞬間的に巨大な力が加わったってことだ。

 呪文の詠唱に時間がかかる。細かい狙いをつけるのが難しい。そういう欠点もあるが、威力だけなら魔法使いは最強だ。


「地下室はどうなっているの」

 歩きながら、オレは伯爵に聞いた。


「最初の地下室は大きな倉庫になっている。戦争の時には備蓄した食料で一杯になるが、普段は二割も使っていないはずだ。隠し部屋に続く階段は一番奥にある。私が最後に見た時には、小麦の入った袋をのせて入口を隠していた」


「そんなもの、どうして造ったの」


「もちろん戦争のためだ。坊やは戦争に負けると、城の中で暮らしていた家族はどうなると思う?」


「やっぱり、殺されちゃうのかな」


「それが、そうでもないのだ。身代金を取れる貴族なら、だいたいは捕虜にされる。だが、血走った眼をした戦闘中の兵士には、なかなかその区別がつかないものだ。だから隠し部屋は、いざという時に城主の家族を保護する場所として造られた。実際に使われたのは一度だけだが、いつでも使えるようになっているはずだ」


 なるほど。それなら生活空間としても問題ない。部屋の性質上、城内でも知っている人間はそう多くはないだろう。


 ルナはそこにいる。

 オレの想像は確信に変わった。ルナが生み出すかもしれない千本のエリクサーは、伯爵夫人がこの国を掌握するための決定的な武器だ。政敵に奪われれば、逆に自分の立場が危うくなる。どこか別の場所に製造工場を持っていたとしても、ルナだけは自分の目の届く場所に監禁しているはずだ。



「やけに暗いな」

 階段を降りきった時、ギースがつぶやいた。


 最初は、本当に真っ暗かと思った。

 目が慣れてくると、ようやく内部の様子が浮かび上がってくる。

 地下倉庫は石造りの巨大な空間だった。等間隔に並んでいる無数の柱以外には、余計な装飾は一切ない。


「カイル、あそこに人がいるわ」


 リディが地下室の奥を指さした。エルフの目は特別製だ。薄暗い場所でも、はるか遠くの物を正確に見分けることができる。


「六人いる。ひとりはあの執事よ。その隣にいるのは……なんてこと。ベリオス、あのベリオスよ」


 なんだって。どうして、ベリオスがここにいる。

 オレは目を凝らして確かめようとした。だが、まだ、ぼんやいとした人影にしか見えない。


「やはり、ここに来ましたね」

 ガルムの声が倉庫の中で大きく響いた。

 近くでシャルが小さく呪文を唱えている。いざという時のために攻撃魔法の準備をしているのだろう。発動できるまで最低でも二分。威力はあっても、使い勝手は必ずしも良くはない。


「……でも、伯爵様まで連れてくるとは予想外でした。中々の判断です。話をさせていただく前に、ひとつ注意をさせてください。私の後ろにも人質がいます。女の子どもが二人。誰だかは、おわかりですね。人質を殺したくなければ、攻撃魔法は使わない方がいいですよ。こちらにその意思がなくても、巻きこまれて死んでしまう」


「本当よ。あいつらの後ろにルナとサリーがいる。二人とも、別の男に捕まっているわ」

 リディが教えてくれた。サリーはギースの娘の名前だ。


「子どもたちは無事なんだろうな」


「もちろんですよ。私はそんなに意地悪な男ではありません。ここまでのご足労に免じて、声くらいはお聞かせしましょう。……おい、少ししゃべらせてやれ」

 ガルムの声色が途中から急に変わった。


「カイル、ルナは大丈夫だよ。こいつらをやっつけて!」


「お父さん! 助けて。お父さん」


 間違いない。二人の声だ。

 ギースが怒りに、わなわなと震えている。オレも他の人間からは同じように見えているだろう。


「さあ、もういいでしょう。ハーフエルフは弓を捨ててください。魔法使いはその場から動かないように。カイル様とギース殿は伯爵様と一緒に、ゆっくりとこちらに歩いて来てください」


「嫌だと言ったらどうする」

 ギースが伯爵の喉元に短刀を突きつけながら、威嚇するように言った。


「そうですね。とりあえず、あなたの娘の指の何本かを切り落としましょうか。私たちが欲しいのは血液です。生きてさえいれば、他はどうでもいい」


「こちらも同じ事をするぞ」


「どうぞご自由に。我々にとって、伯爵様は生きていてさえいればいいのです。どうです。試してみますか」


「ギース、奴は本気だ」

 声の調子で直感した。伯爵がオレの顔を見て驚いたような顔をしていたが、気にしている余裕はない。子どものふりはもう終わりだ。


 オレは声を張り上げた。

「カイルだ。言うとおりにそちらに行く。伯爵はそっちに渡す。代わりに二人の子どもを返せ」


「ええ、もちろん。そうさせていただきますよ。さすがにカイル様は話が早い」


「嘘だ」

 オレは奴らには聞こえないように、声をひそめて言った。


「ギースの娘はともかく、二人とも返すことは絶対にない。オレが合図したら、シャルは攻撃魔法を放て。デタラメな方向でいい。リディは弓を拾って走ってくれ。混乱に乗じて子どもたちを奪い返す」


 反応はなかった。

 動揺したり、うなずいたりもしない。

 『暁の不死鳥』には相手に悟られるようなことをする間抜けはいない。だが、伝わったことは間違いない。覚悟の心が、空気から感じられる。

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