事情

 一歩、また一歩。張りつめた緊張の中で足音だけが響く。


「俺がおとりになる」

 ギースが、視線を動かさずに言った。


 その間にも相手との距離が詰まっていく。

 オレの目にも、ガルムの顔がはっきりとわかるようになってきた。その隣にいるのは間違いなくベリオスだ。ただし美しかった銀色の髪はバサバサに乱れていた。顔色にも精彩がない。


 やつれたな。

 ギルドで会った時もそう思ったが、今はもっとひどい。

 明るく、自信満々な色男。誰もが憧れるSランクパーティーのリーダー。その面影はもう、どこにもない。


「止まってください」

 剣の間合いで、ガルムが声をかけた。

 お互いに剣を持って腕を伸ばした場合に、ギリギリ触れない距離だ。もちろんギースたちの体が基準だから、オレの体からはずっと遠い。


「カイル様、どうです。懐かしい顔でしょう。あなたと同じ『双頭の銀鷲』で勇名を馳せた剣士、ベリオス殿です。たしか人格は高潔、勇敢で仲間想いのリーダーという評判でしたな。それが親友を裏切り、ギルドから追い出された挙句、金欲しさに傭兵をしている。なかなか、興味深い経歴だとは思いませんか」


「金のためではない。エリクサーだ」

 ベリオスは腹から絞り出すように言った。


「同じことです。そのエリクサーを買う金のために大切な友人だけでなく、自分の魂まで売ったのでしょう。実に愚かな選択です。人間とはなんと罪深い生き物なのでしょうか」


「ベリオス、おまえ……」


「カイン、久しぶりだな。いや、本当は、おまえとはギルドで二度も会っていたんだな。子どもになっていたことは、ガルムに聞いた。昔の仲間が目の前にいたのに、俺は気づかなかった。パーティーのリーダーとしては失格だ」


「そんなことはいい。それよりどうして、そこまでエリクサーにこだわるんだ」


「言ったところでどうなる? 俺はただの傭兵だ。主人の命令があれば誰でも殺す。これから戦う相手のことを知って何になる」


「オレは知りたい。『双頭の銀鷲』がああなった理由も、自分がこんな体になった理由もな。おまえは欲だけで動く人間じゃなかったはずだ。オレはおまえなら、自分の命を任せられると思っていた」


「妹だ……」

 ベリオスは苦しそうに言った。


「何度か話したことがあるだろう。俺には、修道院に入れられているエリスという妹がいる。その妹が、半年くらい前に全身がドス黒くなる奇病にかかった。ポーションでも回復魔法でも治せない。可能性があるのはエリクサーだけだと医者に言われた」


「ベリオス、おまえもしかして……」

 ダークポーションだ。間違いない。オレは何度もそれを見ている。

 すべては計略の一部だったのだろう。ベリオスを絶望のどん底に落として、オレを嵌めさせる。Sランクパーティーの回復術師がいなくなれば、ギルドの冒険者への影響も大きい。


「おまえには悪かったと思っている。でも、仕方がなかった。エリクサーを扱っている商人が、おまえを追い出せば格安でエリクサーを売ってくれると言ったんだ。俺はそれにすがるしかなかった」


「なんで相談しなかった」


「相談すれば、どうにかなったのか」


 オレは言葉に詰まった。今なら治せる。その自信はある。だが、確かにその時は無理だった。十年以上の付き合いだ。ベリオスはオレのことをよく知っている。


「貴族とは言っても、下の子どもは不用品扱いだ。男なら俺のように冒険者になる方法もあるが、嫁に出せない女には使い道がない。その場合は持参金を節約するために修道院に入れられる。そこで飼い殺しだ」


「オレが治してやる」

 本気で言ったつもりだったが、ベリオスは力なく笑っただけだった。


「苦し紛れの嘘はよせ。あの病気は人間の力でどうなるものじゃない。ようやく金をそろえたと思ったら、エリクサーはもう売れてしまったと言われた。品薄だから、次に入荷した場合は倍の値段になるそうだ。

 今から金を集めても、とても間に合わない。だが、ここであのエルフの子どもが商品になるまで護衛を務めれば、報酬としてエリクサーがもらえる。これが最後のチャンスなんだ。頼むからあきらめてくれ。邪魔をするなら、おまえでも殺す」


「おい、ベリオス。カイルの言ってることは本当だぜ。あいつの回復魔法はエリクサーなんて目じゃない。実は俺の娘だって……」


 ガルムが、ギースの言葉をさえぎった。

「ギース殿。旧友との大切な語らいを邪魔するものではありませんよ。お行儀が悪いと、代わりにあなたの娘に責任を取ってもらうことになるかもしれません」


「貴様……」


「ふっ、ふふっ。ああ、おかしい。人間とはなんとも愚かで面白いものですね。こんな場所にいるのも忘れて、ついうっかり聞き惚れてしまいました。さあ、おしゃべりは終わりです。伯爵様を解放しなさい。早くしないと子どもの指を落としますよ」


 ギースは、ガルムのせいで最後まで言うことができなかった。時間があれば説得できたかもしれない。そう思うと悔しさで唇を噛み切りそうになる。

 わざと希望を与えてから踏みにじる。

 ギリギリまでいたぶって楽しむ。

 山道で襲ってきた時もそうだった。こいつは骨の髄まで魔族だ。

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