伯爵

 走り出したオレを、ギースがあわてて追った。


「幽閉って……そんな奴、どうせ伯爵夫人にとっちゃあお飾りみたいなもんだろう。人質になんかなるのか」


「今は伯爵夫人はいない。それに夫が死んだら彼女も困るはずだ。この城を相続する子どもはいない。伯爵の兄弟と争いになれば、最悪、城を明け渡すことになる」


「でも、伯爵夫人のバックには皇帝がいるんだろう」


「オレは侯爵家の三男坊と同じパーティーにいたんだぜ。貴族の事情ってやつも少しくらいは知っている。皇帝と言えども臣下の財産を勝手に処分できるとは思えない。まだ伯爵が生きていることが、その証拠だ」


「わかった。あんたを信じるよ」


 城の中は複雑な迷路のようだったが、パターンのようなものがある。あからさまに迷わせようとするなら、その逆を行けばいい。


 実はオレには特技がある。

 冒険者は、ダンジョンと呼ばれるような複雑な洞窟を探索することがある。見知らぬ森や廃墟に踏みこむことも多い。そのために訓練した特殊な感覚だ。

 頭の中に建物の図面を描く。そして立体の地図に、実際に行った通路を書きこんでいく。窓があれば太陽光で方角を知って補正する。多少は迷っても、目的の場所には必ずたどり着けるっていう寸法だ。


 シャルたちのお陰で、途中で兵士に出くわすことはなかった。


「兵士がいる。外から見た窓の方角からすると、あの部屋だ」


「そんなのわかるのかよ」


「オレを信じるんだろう。頼む、あいつらの気をそらしてくれ」


 オレたちに気づいて、扉を守っていた二人の兵士がこちらを向いた。すらりと剣を抜いて身構える。


「誰だ! 止まらないと斬るぞ」


「そりゃあ大変だ。斬られないようにしないとな」


 ギースが大げさな動作で剣を振り、兵士を牽制した。当然、小さい子どもなど目には入らない。

 オレはできるだけ接近してから、ギースの陰を飛び出した。


 鎧を着ている。体との隙間が大きい。届くなら足か。

 足に向かって魔力入りの当て身を二発。そのまますり抜ける。

 それで終わりだった。兵士は声もなく崩れ落ちる。ガシャン。金属の鎧が互いにぶつかって大きな音を立てる。


 オレたちは身構えた。中から反応があると思ったからだ。

 ギースが扉に耳を近づける。


「静かだな。留守じゃないのか」


「留守なら見張りはいらないはずだ。さっさと開けてくれ。ほら、鍵だ」


 オレは兵士の懐をあさって鍵束を見つけた。そのままギースに投げる。

 カチャッ。一発で鍵が外れる音がした。こいつはカンがいい。


 扉を開けると、正面に椅子に座った人間の背中が見えた。窓から差し込む光が逆光になって、そこだけがかえって暗く見える。


 おかしいな。反応がない。まさかこの騒ぎが聞こえていないのか。

 そのまま進もうとするギースを制して、オレはその人物の前に回りこんだ。赤茶色の頭髪と髭。豪華な室内着。間違いない。中庭から見た男だ。


「おじさん、寝てるの?」


 オレはバクトラ語で話しかけてみた。久しぶりだからアクセントが怪しいが、子どもなら許してくれるだろう。


 男はようやく顔を動かして、オレを見た。

「なんだ。私を殺しに来てくれたのではないのか」


「おじさんは誰?」


「誰……? はは、誰か。私もそのように聞かれるようになったのだな。坊や、教えてやろう。私は意志を持たないただの道具だ。昔はサルフィ伯爵と呼ばれていたこともある」


「おい、カイル。ゆっくり話している時間はないぜ。さっさと連れて行こう」

 ギースも中に入ってきた。剣は抜いたままだ。


「なんだ。剣を持った者もおるではないか。それならば話は早い。私を殺すなら殺してくれ。どこかに連れて行きたいなら、黙ってついて行こう。私はどちらでもよい」


「なんだよ、おい。ずいぶんと無気力なおっさんだな」


 ギースが言うのも無理はない。

 伯爵の目には光がなかった。年齢は四十代前半だろうか。キチンとした身なりをしているだけに、逆に薄気味悪い。まるで人形のようだ。


「気力など、とうに尽きた。私は悪魔が人を支配するために使っている道具だ。生きているだけで、人の世に災いをもたらす。だが、かと言って自分から死ぬこともできぬ。それが皇帝陛下に対する忠義であり、伯爵家を継いだ者の義務だ。

 道具なら、むしろ心を持たぬ方がよい。私はそう悟ったのだ。責任は道具を使う者にこそある。道具でいる限り、罪の意識を感じる必要はない」


 ギースの言葉に反応したのか、伯爵は上品なダルシア語に切り替えた。国境の近くに領土を持つ大貴族だ。言葉を知っていても不思議ではない。


 高価な絨毯の上に、ギースがぺっと唾を吐いた。 

「高貴なお方らしいクソみたいな理由だ。まあ、いいさ。それじゃあ、黙ってついてきな。ついでに知ってるなら教えてくれ。この城にエルフの子どもを隠している場所はないか」


「さあ……ただ、地下室の更に下に隠し部屋がある。そこは、城の中でもごく一部の者しか知らない」


 そこだな。

 オレは直感した。


「おじさん、そこに案内して」


「だが、そこに入るのには鍵がいるぞ。私は、鍵の場所までは知らん」


「それなら、シャルの魔法で入口を吹き飛ばしちまえばいい。なあ、カイル。先にリディたちと合流しよう。子どもたちを助け出してから、このおっさんを盾にして逃げる。それでどうだ」


 オレはうなずいた。

 爆発音からすると、二人はいくつか下の階にいる。途中で拾っていけるだろう。


「ほうら、お飾りの伯爵様よ。さっさと立ちな。気にするなよ。あんたは剣で脅されて従っただけだ。魔族にも人間にも、自分の意思で手を貸したわけじゃない」


「いいだろう。せいぜい上手く操ってくれ」


 伯爵は椅子から立ち上がった。その動作は、まるで人形使いの操る糸に急に引き上げられたように、ぎこちなく不自然だった。

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