15 サルフィ伯爵

決行の日

 テーブルの遥か向こうの席に、伯爵夫人が優雅な動作で腰をおろした。

 朝、といっても、むしろ昼に近い時刻に食堂でイレーヌと一緒に朝食をとる。その習慣も今日で終わる。


「おはよう、カイル。今朝はずいぶん晴れ晴れとした顔をしているのね。気づいているかしら。ここに来た時からそれほど経っていないのに、あなたは二年は成長したように見えるわ。ふふふっ、いいのよ。緊張しなくても。かわいくて、かわいくて。大人になるのが待ちきれずに、食べてしまいたいくらい」


 食べてしまいたい。 

 何気ない言葉だが、相手が魔族だと思うとゾッとする。


「そんな遠くから、表情まで見えるのか」


「もちろんよ。魔族はエルフと同じくらい目がいいのよ。それで役に立つことも多いわ。宮廷は広いから、目指す相手を探すのも大変なのよ」


 なるほど。

 エリクサーの作り方といい、ダークポーションの件といい。どうやら魔族とエルフは、本当に表裏一体の関係らしい。


「ガルムから聞いているわ。カイル、あなたも少し考え方が変わってきたようね」


「いや、まだ変わったわけじゃない。でも正直、揺らいでる。あさましい考えかもしれないが、本当に世界が手に入るなら……そう思わなくもない」


「いい傾向よ。野心は人を強くするわ。いっそのこと、エルフの子どものことなんか忘れてしまいなさい。それで楽になれるわ。大切なのは最初の一歩を踏み出すこと。そうすれば、見える景色も変わってくるものよ」


「もう少しだけ、時間をくれ」


「いいわよ。でも、あまり待たせないでね。私は皇帝陛下よりもあなたに抱かれたいの。早くいい返事がもらえることを期待しているわ」


 食事を済ますと、伯爵夫人は早めに席を立った。

 今日は皇帝の六女が結婚する日だ。それに合わせて盛大な披露宴が宮廷で行われるらしい。そのせいで、伯爵夫人はいつもより早く宮殿に呼ばれている。

 決行の日を今日にした理由もそれだ。女性とは言えイレーヌは魔族だ。それにガルムとは違った底知れぬ威圧感がある。今回の目的はあくまで二人の子どもの救出だ。相手にしなくていいなら、それにこしたことはない。



 伯爵夫人が外出を窓から確認した後、オレは自分に与えられた部屋でギースを待っていた。

 目の前にいるのはいつものメイドが二人。扉の外に剣で武装した兵士が二人。ガルムはギースを呼びに行っている。


 この城のどこかにルナはいる。

 この十日の間に、オレはそう確信するようになっていた。

 皇帝を後ろ盾にした強大な権力を握っているとは言え、それだけに伯爵夫人には敵が多い。ルナにエリクサー千本分の価値があるなら、敵対する者は必ずそれを奪おうとするはずだ。

 絶対に敵に奪われない安全な隠し場所。

 そんなに都合のいい所は、本拠地であるこの城しかない。当然、ルナのことを知っているギースの娘も一緒にいる。


「やあ、カイル。決心はついたか」

 まるで世間話でもするように、ギースが入ってきた。


「あれからリディやシャルとも話したんだが、おまえが貴族になるって言ったら興奮してたぜ。自分たちも舞踏会に出れるか聞いてくれってさ。あんなアバズレ共がドレスを着たいって言うんだから笑っちまう」


「貴族になるんじゃない。伯爵夫人の右腕になって、世界を動かそうって話だ」


「同じことさ。そうなれば爵位だって自由自在だろう。俺は男爵でいいから、よろしくな。あいつらはともかく、俺のカミさんには立派なドレスを着せたいんだ」


 執事が笑いをこらえるように口もとに手をやった。

「それではごゆっくり。実りのある話し合いになるよう期待しております」


「さっさと向こうへ行ってくれ。それと俺は、未来の男爵様に決まったからな。これからは、もう少し待遇を良くしてくれよ」


「承知いたしました。ギース男爵様」


 執事が退出するとすぐに、オレたちは一昨日と同じようにメイドにコーヒーを持ってくるように頼んだ。そしてそのまま、たわいのない雑談を続ける。


 オレは話の相槌を打つついでに膝を叩いた。

「コーヒーが来たら、まずはゆっくりと味わおう。この前は田舎者丸出しだったぞ。そんなにせっかちにしてたんじゃあ、貴族なんて無理だ」


 メイドが戻ってドアを開けた瞬間、オレたちは立ち上がって行動を開始した。


「剣を奪う。ついて来い」


「任せろ!」


 ギースの脇をすり抜け、二人のメイドに当て身を食らわす。もちろん殺さない。連続した動作で、扉を守る二人の兵士にも同じことをする。


 当惑している相手には、オレの魔法は面白いくらいに効果がある。

 小さい子どもの手が触れるだけで大人が倒れる。威力を目の前で見ても、自分の体と常識がついていかない。


「おっと、お嬢さん。悪いな」


 ギースが絶妙のタイミングで、倒れていくメイドから銀のトレーを受け取った。これで、それほど大きな音は立たない。ガルムが気づくまで少しは時間を稼げる。


 ドーン。突然、大きな音とともに地響きのような揺れが襲った。


「シャルだ。リディと一緒に適当に暴れるように言ってある」


「適当って、それじゃあどこに合流すればいいんだ」


 また、爆発音と揺れがあった。ここが三階だから、一階か地下の東だろうか。


「あれを適当な間隔でぶっ放してれば、どこにいるかはすぐにわかるさ。さあ、カイル。俺たちはどうする。先に合流するか、オトリになってもらっているうちに子どもを探すか。二つにひとつだ」


 ギースは倒れている兵士の腰から長剣を奪った。抜く間も与えなかったから、鞘ごと外して自分で装備する。


「二つにひとつじゃない。三つ目がある」


「三つ目?」


「こっちも人質を取る。この城にはイレーヌの夫、伯爵本人がいるはずだ。チラッと見かけたことがある。話題にもならないところをみると、恐らく幽閉されているんだろう。窓の位置からすると、たぶんこっちだ」

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