密談
執事が出て行ってから、ギースがメイドの方を振り返った。
「悪い。早速だが何か飲み物をもらえないか。久しぶりにカイルに会うんで、緊張して喉が渇いちまった」
「コーヒーとお茶、どちらになさいますか」
「コーヒーって、あれか。黒くて苦いやつ。前に一度だけ飲んだんだが、舌に変な粉がついて参っちまった。あんな物を喜んで飲むやつがいるなんて信じられないね」
「イレーヌ様はお好きですよ。それにここでは、粉は布で丁寧に
「わかった。そこまで言うなら飲んでやる。カイル、あんたはどうする」
「オレもそれでいい」
メイドのひとりが出ていくと、ギースはオレの前に椅子を引っ張ってから座った。ベッドに座っているオレと、目の高さがちょうど合う。
ギースはオレに向かってウインクをした。何かの合図だろうか。残ったメイドは真後ろにいるから見えなかったはずだ。ギースは自分の膝を指で小さく叩いた。
「たまには、カミさんと離れて寝るのもいいもんだ。ガキもいないから静かでいい。あいつのイビキがまた、酷くてな。信じられるか。まるで、サーベルタイガーの唸り声みたいなんだぜ」
ん、今なんて言った。イビキだって?
ギースの奥さんがイビキをかくなんて聞いたことがない。
イビキが酷いのは、むしろギースの方だ。隣に寝ていて、地響きかと勘違いしたこともある。
なるほど。つまりこいつは、意識して嘘をついているってことだ。そしてそれを、オレに伝えようとしている。
ギースがまた、自分の膝を指で叩いた。
「イビキも酷い。料理もできない女にどうして惚れたんだろうな。自分でも呆れるくらいさ。おまえは俺みたいな失敗はするなよ」
これも嘘だ。ギースの奥さんは料理上手だ。オレの目の前でも、恥ずかしげもなくベタ褒めする。
どうやらオレにもわかってきた。
指で膝を叩けば嘘。叩かなければ本当のことを言う。そういう決め事だ。ギースはメイドに背を向けているから、小さな指の動きくらいなら悟られない。
「イビキの事は今でなくてもいいだろう。せっかく来たんだ。もっと大事な話があるんじゃないのか」
「そうだった」
ギースは指を動かさなかった。
「実は、あの執事にあんたを説得するように頼まれた。そろそろ十日だ。早く娘に会わせてくれって言ったら、あんたが伯爵夫人と手を結べば、すぐにでも解放してやるって言い返しやがった。
とりあえず待ってはくれているが、ひと月以内に態度を決めないと娘がどうなっても知らないそうだ……」
ここでまた、ギースは指で膝を叩いた。
合図が正しければ、次の言葉は嘘になる。
「なあ、カイル。悪いがもう、ルナのことはあきらめてくれないか。相手はただの小悪党じゃない。何てったって皇帝陛下にも顔がきく伯爵夫人だ。あんたには恩があるが、ただの自殺に付き合う気はないぜ。リディもシャルも同じ気持ちだ。
冷静になって考えた方がいい。ルナはいい子かもしれないが、しょせんは他人だ。それにルナが犠牲になれば、エリクサーが山ほど作れるって言うじゃないか。大勢の人間が助かるんだ。あの子も本望だと思うぜ」
オレも自分の膝を叩いた。
声の調子を変えないように注意しながら嘘を言い返す。
「正直な話、オレも迷っているんだ。小さな女の子を犠牲にするのは気が引けるが、オレだって正義感だけで生きていけると思っているわけじゃない。今まで、コツコツと真面目に生きてきた結果がこれだからな。それに報酬も魅力的だ。伯爵夫人はオレと一緒に世界を支配するつもりらしい」
「世界を支配するって? おいおい、本当かよ。まるで夢みたいな話じゃないか」
「どうやら本気らしいぜ。ゆっくりと部屋で話をしたのは一度だけだけどな。毎晩、皇帝に呼び出されるんで忙しいらしい。イレーヌとは、いつもは一階の食堂で朝食の時に会うだけだ」
「イレーヌ?」
「伯爵夫人の名前だ。銀髪で緑色の目をしている。この城にいる人間の皮をかぶった魔族は彼女と執事の二人だけだ。このことは、オレたちと顔を合わす使用人や兵士以外は知らない」
オレたちは慎重に嘘と真実を織り交ぜながら、情報交換を続けた。
命をかけてでもルナとギースの娘を救い出す。パーティーの仲間は全員が同じ気持ちだ。それがわかっただけでもオレには心強い。
メイドが持ってきたコーヒーを飲み干すと、ギースはオレに嘘を言う合図をした。
「また、近いうちに会いに来る。その時までに考えておいてくれ。頼むから早まったことはするなよ。リディとシャルは、どうせ監禁場所から動けない。あんたが暴れても、俺たちは手伝わないぜ」
「そんなことするもんか。当分は、おとなしくしてるさ」
本当の意味はこうだ。
たぶんギースには伝わっている。
『行動するなら早い方がいい。シャルの魔法なら自力で脱出できる。ひと暴れするなら俺たちも力を貸すぜ』
『最初からそのつもりだ。思う存分暴れてやる』
別れ際、ギースはオレの手を握った。
もちろん、これにも意味がある。
大人の手のひらの中に隠した小さな二本の指で、オレはメイドたちには気づかれないように、二日後に行動する意思を仲間に伝えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます