再会

   ※  ※  ※ 



「昨日は良かったわ。ただ腰を動かせば女が喜ぶと信じている、あの愚かな老いぼれに教えてあげたいくらい。カイル、楽しい夜をありがとう」


 朝食の長いテーブルの向こうでイレーヌが言った。昨夜は腰まで垂らしていた銀髪を肩の上で結い上げている。


「パンにバターはいかがですか」

 艶っぽい話にもメイドは顔色を変えない。

 そう訓練されているのだろう。オレがうなずくと、彼女はスライスしたパンに厚くバターを塗ってくれた。


 結局、オレはイレーヌを殺せなかった。

 命令どおり。まるで下僕のように、あの禍々しい魔法で彼女に奉仕をするしかなかった。

 イレーヌは悦楽にうねる肌で、オレを何度も包んだ。喰われる。際限のない魔族の情欲に恐怖さえ覚えた。

 せめてもの救いは、オレが子どもになっていたことだった。未発達の体は快楽よりも恐れに対する反応の方がずっと強い。そうでもなければ、オレはその夜のうちに彼女の奴隷になっていただろう。

 まともな男ならイレーヌの魅惑に耐えられはしない。それは単なる想像ではなく確認の必要のない事実だった。


「あれが、おまえたちのエリクサーか」


「それ以上よ。まるで生まれ変わったみたい。あれなら誰でもすぐに夢中になるわ。ガルム、あなたもアレを味わったんでしょう」


 後ろに立ってオレを監視している執事が、伯爵夫人にうやうやしく頭を下げた。

「はい。あの時は手傷を負っていましたが、一瞬ですっかり治りました。まるで空でも飛んでいるような気分になったものです」


 ふん、わざとらしい。

 こいつはその時、魔族の姿をさらして空を飛んでいった。

 

「老人のいやらしい指の感覚も、みんな綺麗に消えてくれたわ。毎日でもお願いしたいところだけど。あなたの体に負担がかかるみたいだから、当分の間は我慢するわ。早く大人の体になって、本当の意味で私を満足させてちょうだいね」



 それから、伯爵夫人はオレの部屋には一度も来なかった。

 遅い朝食を一緒にとる時だけ、オレの前に姿を現す。そして夕方には馬車で宮殿に出かけ、深夜に城に戻る。その繰り返しだ。


 その間。体力の回復をはかると共に、オレはできる限りの情報収集に努めた。

  城内で立ち入りの許された場所は食堂と自分の部屋、それと城壁との間にある中庭だけだった。中庭に出る時には必ずガルムの監視がつく。


 一度だけ、オレは城にある塔の窓から男が顔を出しているのを見た。リディならその男の人相まで言い当てただろう。だがオレの目では赤茶色の髭が生えているのを確認するのが精一杯だった。


「あれは誰なんだ」


「あれとは、何のことです」


「ほら、あそこにある窓から顔を出している男だよ。ずいぶんと立派そうな髭をしてるじゃないか。オレみたいに日なたぼっこをしているのかな」


「ああ、あのお方ですか。あまり余計なことに興味を持つのは感心しませんな。どちらにせよ、カイル様には関係のない人間です」


 その返事で確信した。

 この執事は、この城の実質的なナンバーツーだ。敬称を使う必要がある人間などそうはいない。

 窓からぼうっと外を眺めていても、とがめられない人間。赤毛の髭。たぶん、この男こそがサルフィ伯爵本人だろう。それにしても、この城での存在感がやけに薄い。


 幽閉されているな。

 おそらく間違いない。イレーヌにとっては、それが一番都合がいいはずだ。貴族でもない彼女が宮廷に出入りできるのは、あくまで伯爵夫人の称号があるからだ。あまり派手に活動されても困るが、殺してしまうわけにもいかない。


「そうだ、思い出した。今日は死んだオヤジの命日だったんだ。夕食に仔牛のソテーをつけてくれないか。とびきり上等なやつだぜ」


 くっくっくっ。ガルムは口を押さえて笑った。

「私が知らないとでも、お思いですか。カイル様には父親はいないはずです」


「そうか。そう言えば好きな物が食えると思ったんだがな」


「そんな子どもだましの嘘を言わなくても、何でも好きなものを出して差し上げますよ。あなたはこれから世界を手に入れる方ですから。イレーヌ様からもそう命じられております」


「それはありがたい。この城にいる間に、世界中の美味い物を食い尽くしてやる」


 オレは、わざと話をそらした。

 どうせガルムからは、伯爵についてこれ以上の情報はつかめない。今は部屋の位置だけでいい。それだけをしっかりと頭に刻みこんだ。



 そのまま、城での軟禁生活が十日を過ぎた頃だった。

 いつものように昼間からベッドに入っていたオレは、ノックの音にあわてて飛び起きた。

 もう夕食か。一瞬、そう思った。だが、窓から柔らかな陽が差している。角度からすると、まだ昼寝を始めてからそれほど時間は経っていない。


「カイル様、よろしいですか」

 ガルムの声だった。

 

「珍しいな。どうしたんだ」


「カイル様は前から、パーティーの仲間に会いたいとおっしゃっていましたね。部屋の前まで、ギース様が会いに来ています。どうします。お会いになりますか」


「ギースが?」

 どうして今頃。それもギースだけが。

 向こうにも何か思惑があるのは間違いなかったが、無事かどうかだけでも確かめられるのならありがたい。


「気がすすまなければお断りしておきます」


「いや、頼む。入れてくれ」


 返事をするとすぐに、執事の後ろからギースが入ってきた。

 ギースは相変わらず元気そうに見えた。血色もいい。どうやら酷い扱いは受けていないらしい。


「やあ、カイル。元気か」


「ああ、おまえたちはどうだ」


「まあまあだな。お上品な料理ばかりだが、とりあえずは食える。ベッドもフカフカだ。女どもは、やることがなくて太ったとか文句を言ってるけどな。まあ、これも贅沢病ってやつだ」


「自由に外へ出歩けるのか」


「そうはいかないが、必要なものは頼んでおけば届けてくれる。不自由はないさ。それより今後のことで、あんたと話がある」


「なんだ。混みいった話か」


「そうじゃないが、執事殿の前では話しにくい。二人にしてくれてもいいかな」

 ギースはガルムの方をチラリと見た。


「いや、これは失礼いたしました。私はお邪魔のようなので退散いたします。それではごゆっくり。メイドを残しておきますので、何か必要なものがあったらお申し付けください」


「どうぞ、なんなりとご命令ください」

 メイドは表情を変えずにお辞儀をした。


 つまり監視役を残していくってことだ。二人いるのは、一人が用事で出て行った時でも監視を続けられるようにするためだろう。


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