真実
伯爵夫人と話したのはそれだけだった。
彼女は、オレが呆然として言葉を失っているうちに席を立った。
回復術師とは言え、オレもポーションなら何度も使っている。テッドに殺されかかった時、酔っ払ったオレを正気に戻してくれたのもポーションだ。早く目的地に着くために、馬に飲ませたことさえある。
それに人間の命が使われていた。
食堂から、どこをどう歩いたのかも覚えていない。
部屋に案内されると、オレは内側から鍵をかけてからベッドに身を投げ出した。そして怖い話を聞いた子どものように、頭から布団をかぶって嗚咽した。
人の命を救うヒーラーが、人の命を道具にしていた。その矛盾が許せなかった。オレだけじゃない。世界中の人間が、知らないうちに自分の手を汚している。その事実に恐れ、震えた。
『目を背けるな』
誰かの声が聞こえたような気がした。
『目を背けるな。どんなに受け入れがたくても冷静に現実を見ろ。そして今、本当に必要なことをしろ』
そうだ、思い出した。回復術師の師匠の言葉だ。
師匠は両親の顔を知らないオレにとっては親のようなものだった。道を示し、導いてくれた。そして今のオレには、師匠が教えてくれた回復魔法がある。
冷静に、冷静に。現実を見ろ。
今、できることは何だ。少なくとも焦って自滅することじゃないはずだ。とにかく情報を集めよう。今ならそのチャンスがある。
オレはドアに向かって声をかけた。
「誰か、そこにいるんだろう」
「はい、カイル様。お呼びでしょうか」
メイドの声だ。同時に、かすかに金属の触れ合う音もする。ドアの外には兵士もいるのだろう。どうやら、しっかりと監視されているようだ。
「執事のガルムを呼んでくれないか。少し話がしたい」
「承知しました」
ガルムはすぐにやってきた。
さっきと同じ黒服だ。抜け目のない表情も変わりがない。
「そろそろ、私をお呼びになる頃だと思っていました」
「座ってくれ」
「恐縮ですが、お望みとあれば。ようやく落ち着かれたようですね。さっきは青い顔をしていましたよ」
「子どもの心は繊細なんだ。それに好奇心も旺盛でね。色々と教えてくれないか」
「もちろんです。なるべくご要望にお答えするようにと、イレーヌ様からも申し付けられています。ところでカイル様。お茶などはいかかがですか。メイドにすぐ持って来させますが」
「そうだな。甘い菓子があれば、ついでに頼む」
オレたちは向かい合って座った。
相変わらず、こいつは人を食ったような顔をしている。
魔族は人間の感情の揺れを見て楽しむ。子どもなら誰でも知っていることだ。親は魔族の登場する物語を聞かせて、誘惑に負けない強い心を持てとさとす。
「バクトラでは、どれくらいの量のポーションを作っているんだ」
「年間で約二十万本です。ひとりの人間で二十本ほどできますから、素材としてざっと一万人の人間が必要になります」
「そんなに大勢の人間をどうやって調達するんだ」
「ご主人様が言ったはずです。戦争ですよ。隣にあるデルビア王国は人口だけは多いですからね。捕虜だけでなく領土まで手に入る。いいことずくめです」
「作り方はエリクサーと同じなのか」
「ずいぶんと変わったことに興味をお持ちですね。私は素材がどうなろうと問題ではないような気がしますが……。人間の場合はエルフよりも耐性が低いので、特別に薄めた魔族の血を注入します。高熱を出して苦しみますが、床に転がしておいても二週間ほどは死にません。そして十分に血液が変化したところで全身の血液を抜きます。沈殿させた透明な液体がポーションです」
ガルムはまるで料理のレシピでも説明するように言った。
聞いただけでも、ぞっとする。だが、動揺するわけにはいかない。こいつを喜ばせるだけだ。
「ダークポーションは?」
「沈殿した色の濃い方を精製します。こちらは素材の人間一人につき一本ほどです。魔族を治療する機会はほとんどないので、現在は主に毒として使用しています。人間に対する効果は、もうご覧になったでしょう」
オレはテッドの最期を思い出した。ギースの娘には、おそらくうんと薄めて使ったんだろう。人間としての原形まで崩壊させる。まさに悪魔の薬だ。
「おまえはどうしてルナが
「エルフは、魔族とは表と裏の関係です。それなりに通じ合うものがあるのですよ。それに私もプロですからね。エリクサーの製造過程で何十体ものエルフを扱ってきました。良い食肉業者は、牛や豚の外見を見れば肉質がわかるものです」
「ルナは、これからどうなるんだ」
「エリクサーの素材として使われます。エルフは成長すると体質が変わるので、その前に使用しなければなりません。だだしもう少し太らせたいので、ひと月くらいはそのまま飼育することになると思います」
落ち着け。怒りを抑えろ。
ひと月か。オレはその日数を頭に刻みこんだ。とりあえずは、ルナはまだ無事らしい。それが救出までの実質的なタイムリミットになる。
「せめて、どこにいるかだけでも教えてくれないか」
「残念ながら、それを答えることは許可されていません」
想定内の返答だ。オレがまだルナを奪還するつもりなのは、どうせ読まれている。
「もうひとつだけ聞きたい。エルフの血が濃い方が効率がいいって理屈は、なんとなくわかる。でも本当に、ハイエルフ一人で千本もエリクサーが作れるのか」
「実際にハイエルフを手に入れたのは初めてですから、もちろん推定です。ただし全く根拠のない話ではありません。
今までの実績では、五世代目のエルフだと二本、四世代目だと十本、三世代目だと五十本のエリクサーが作れることがわかっています。もちろんそんなに大量の血液が採取できるわけではありませんが、純血種に近いエルフで製造したエリクサーは薄めても効果があまり減らないのです。
世代ごとに五倍で増えていくと、計算上では千本以上になります。仮にそれが半分の五百本だったとしても、年間の生産量の十倍近くです。それがどれほど貴重なものか、カイル様ならおわかりでしょう」
「カイル様、お茶をお持ちしました」
メイドが銀色のトレーを持って入ってきた。
「悪い。そこに置いて部屋から出ていってくれ。執事殿もだ。少し考え事をしたい」
「なんなら、お休みになってはいかがですか。あなたが魔力を使うたびに肉体を消耗することは知っています。実際に、その瞬間を国境で見せていただきました。少しでも回復しておかないと、そのうちに消えて無くなってしまいますよ」
余計なお世話だ。
そう言いたかった。だが、情けないことに体がついていかない。
それから、オレは本当に自分が消えてしまう夢を見た。ルナのために魔法を使い、代わりに自分が消滅する。なんの解決にもならないはずなのに、夢の中でオレは久しぶりに安らかな気分になっていた。
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