伯爵夫人

 城の中は迷路のようだった。

 ただ食堂に行くだけのはずなのに何か所も通路を曲がり、階段を上がったり下がったりした。軍事的な要塞として造られた建物は、そういう構造をしているものだと聞いたことがある。


「カイル様、どうぞ」


 金の象嵌が施されたドアを開けると、そこには最低でも四十人は座れそうな長いテーブルがあった。その一番奥にひとりの女性がいる。

 赤と黒のドレスを着た銀色の髪の女性で、雪のように白い肌が印象的だった。だが、あまりに遠くて瞳の色まではわからない。


「この席にお座りください」


 オレが案内されたのは伯爵夫人の真向かいの席だった。とは言っても端から端。お互いの表情もわからないような距離がある。

 席に座っているのは彼女とオレだけだった。他には数名の兵士とオレの後ろで監視するように立っている執事のガルム。給仕を兼ねたメイドだけだ。メイドはさっそく、オレの前にサラダとパンを置いてくれた。


「さあ、お腹がすいているんでしょう。遠慮なくお食べなさい」


 遥か遠い席から声が届いた。部屋の構造のせいか、意外と声が響く。

 黒幕と直接に会うチャンスがあれば、捕まえて人質にする。そんなプランはあっさりと断念させられた。この距離では届かない。護衛もいるし、近づく前に向こうのドアから簡単に逃げることができる。


「私の名前はイレーヌ=ジュネ=サルフィ。イレーヌと名前で呼んでちょうだい。あなたはカイルでいいわね」


「どうとでも好きに呼べばいい」


「まあ、すねた様子もかわいらしいこと。あなたが本当は大人だなんて、とても信じられないわ」


「言葉は、どこで覚えたんだ」


 伯爵夫人のダルシア語は完璧だった。それに上品だ。ダルシア貴族と言われても、そのまま通用する。


「魔族は寿命が長いのよ。私も世界の色々な場所にいたことがあるわ。もちろん、あなたの育った国にもね」


「長生きはするもんだな」


 オレは出されたパンを、そのままかじった。

 毒は入っていないはずだ。殺すつもりなら、とっくに馬車の中で殺っている。

 オレはとにかく腹が減っていた。体力を回復させておかないと、いざという時に動けない。


 食べ始めるのを見て、メイドが急いでスープを持ってきた。それをパンに浸して食べる。食べ方が好きなわけじゃない。その方が吸収がいいと思ったからだ。

 メイドがグラスに水を注いだ。パンばかり食べると喉が渇く。


「朝ですが、お肉料理もご用意しました。牛肉と羊肉。どちらがよろしいですか」


「両方くれ」

 オレは遠慮せずに食べ続けた。

 ローストされた骨付きの肉は、どちらも絶品だった。ルナにも食べさせてやりたいな。チラリとそう思う。

 追加のパンとデザートまで平らげると、ようやく腹具合が満ちてきた。


「どう、お腹いっぱいになったかしら」

 伯爵夫人はとっくにナイフとフォークを置いていた。食器も下げさせ、今はティーカップだけが残っている。


「ああ。素晴らしい味だった。食事を出してくれたことには感謝する」


「それは良かったわ。朝食にご招待したのも、あなたと友好的な話がしたかったからよ。私はあなたを高く評価しているの」


「友好的? どこが。子どもを二人もさらわれて、その上、来る途中で襲撃までされたんだ。信用しろって方が無理だ」


「あれは、あなたを試しただけ。おかげで色々とわかったわ。信じられないことだけど。あなたは回復術師ヒーラーとしてバクトラの初代の皇帝以来、誰も到達したことのない高みにいるのよ。エリクサーと同等の効果のある回復魔法が使えるだけでなく、反転術式で逆に破壊することもできる。これは奇跡と言ってもいいわ。

 特に反転術式は、私たち魔族にとっても極めて重要だわ。あなたは、私たちの救世主になれるかもしれないのよ」


「救世主ね……」


「私はあなたと組みたいの。あなたがいれば、人間の世界どころか魔族の世界だって手に入れることができるわ。あなただけでは無理だけど。私が協力すれば、世界のあらゆるものが手に入るのよ。どう、魅力的な話だとは思わない」


「そういうことは、まず奪ったものを返してから言ってくれ」


「ガルムが伝えたはずよ。あのハーフエルフの娘は返すわ」


「ルナは、ルナはどうなる」


「残念だけど。それは、あきらめてちょうだい。純血種ハイエルフの少女は二度と手に入らないかもしれない貴重品なの。

 あの娘ひとりでエリクサーの瓶が千本はできるわ。あなたともうひとつ。世界を手に入れるために必要なパーツがそれよ。千本のエリクサーがどれほどの人間を動かせるか。あなたならわかるでしょう」


「教えてくれ。エリクサーはどうやって造るんだ」

 オレは怒鳴りたい気持ちを必死で抑えた。もう想像はつく。だが確認しなければいけない。それが真実に近づいた者の義務だ。


「簡単なことよ。エルフの血管に魔族の血を入れるの。そうすると拒絶反応が起きて回復力の高い血液に変わる。それを精製したのがエリクサーよ。ただし、エルフなら誰でもいいわけじゃないわ。耳が尖る前の女の子、それも初潮前の子どもに限られるの。大人のエルフにそれをすると血がエリクサーに変わる前に死ぬわ。

 あの子が貴重だって意味がわかったでしょう。残念だけど、あの子に代わりはいないの。ハイエルフだってほとんど見つからないのに、ちょうどいい年頃の女の子なんて絶望的だわ。エリクサーが千本もあれば、欲望を操って人間の世界を支配できる。あなたの力は魔族同士の競争で切り札になる。それが同時に私の前に現れた。これを運命と呼ばなくて、なんと呼べばいいのかしら」


「もうひとつ教えてくれ」


「どうぞ」


「ポーションは何からできているんだ」


 遠くて表情までは見えなかったが、その時イレーヌは確かに笑った。


「人間に決まっているでしょう。だからこの国はいつも戦争をしているのよ」

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