屈辱

「私を恨むのは見当違いです。それよりこの男を放っておいていいのですか。よくご覧ください。皮膚が変色し始めているでしょう。あの短剣にはダークポーションがたっぷりと塗ってありました。そう長くは保ちませんよ」


「くそっ」

 オレは悪態をついた。


 猶予はない。

 どうすればいいか。何を言えばいいかはわかっている。

 だが、オレにも感情がある。その言葉だけはどうしても言いたくなかった。


「何を迷っているのです。考える必要はないでしょう。治せるものなら、治して見せてください。薄汚い男が醜く死ぬさまより、私はあなた起こす奇跡を見てみたい」


「ギースの体を仰向けにひっくり返せ」


 オレは屈辱に耐えて叫んだ。

 ギースの体はうつ伏せに倒れている。このままでは治療は不可能だ。子どもの小さな体では大人は動かせない。


「なんですか。聞こえませんね」


「頼む、ギースの体をひっくり返して仰向けにしてくれ。このままだと傷口が見えない。お願いだ」


「なるほど、わかりました。こうすれば良いのですね」


 男はギースの体を足で蹴って仰向けに転がした。

 短剣の刺さっていた腹部に黒いシミが広がっている。血の色までがおかしい。それに皮膚に滲みが浮き、全体が黒ずんできている。テッドの時と同じだ。内部から、急速に崩壊を始めている。


「ギース、オレがわかるか」


「へっ、こんなの……」

 カスリ傷だ。弱々しく動いた口の形はそう読めた。

 だが、声が続かない。呼吸も急速に弱くなってきている。危険な状況だ。


「いいか、気をしっかりともて」


 オレは、ギースの腹部に両手をぴったりと当てた。傷口に触れた瞬間、ビクッと体が震える。痛いだろうが構ってはいられない。魔力を高める呪文を唱えると、オレは傷口にありったけの魔力を注ぎこんだ。

 だが、体の崩壊が思ったよりも早い。これもダークポーションの威力か。崩壊に向かう方向に歯車が勢いよく回っている。連鎖反応を食い止めるだけで、オレは大部分の魔力を持っていかれた。

 体が熱い。自分の体も、内側から燃えているような気がする。


 想像上の歯車に、回復魔法を注ぎこんでいく。自分の血を、肉を削って。やがて、崩壊への連鎖反応はようやく勢いを失った。

 これで助かる。助けられる。

 オレは今度は慎重に、回転を本来ある姿に戻していった。動き始めれば、その速度は加速がついたように上がっていく。

 皮膚に浮かんでいた黒い滲みが消えていった。顔色に艶が戻り、呼吸も力強くなってくる。やがてギースが、げふっと咳をした。


「ギース、大丈夫か」


「あ、ああ。また世話をかけちまったな」


「無理するな。後はオレに任せてくれ」


 パチパチと拍手をする音がした。

 見上げると、そこに憎々しい顔がある。口もとを吊り上げたその表情は、まるで笑顔を彫りこんだ仮面のように見えた。


「これは素晴らしい。見事です。あなたは予想を超える逸材だ。このことも、私のご主人様に報告しなければなりませんね」


「今度オレの仲間に手を出したら、本当に殺す」


「どうやって殺すつもりですか? あなたの反転術式は私には効きませんよ」


 確かに前回は効果がなかった。かえってその攻撃で、こいつの体を膨張させたようにさえ見えた。


「ああ、確かにあの時は効かなかった。でも、それは反転術式だったからだ。ダークポーションが魔族にとっての薬なら、ポーションは毒かもしれない。もしかしたら、魔族には普通の回復魔法が効くんじゃないのか」


「クックックッ。なんと素晴らしいことでしょう。たとえ真理のひとつにしか過ぎないにせよ、このわずかな間に、そこまでたどり着くとは。あなたには何度も驚かされます。やはり、私のご主人様の目には狂いがなかったようですね……」


 その言葉が終わらないうちに、オレたちの馬車が勢いよく走ってきた。

 背中のすぐそばで止まると、幌の間から上半身を出したリディが弓を引きしぼって魔族の男に狙いを定める。


「カイル、大丈夫!」

 夕日に照らされたリディは、まるで神話の戦乙女いくさおとめのように美しかった。均整の取れた肉体から矢の先端までがひとつになって輝いている。


「よくもやってくれたわね。ギースは最低の男だけど、一応は仲間よ。カイル、こいつから離れて。目玉を串刺しにしてやる」


「ほう、あの距離で今のが見えていましたか。さすがはエルフだ。目玉を射抜かれたくらいでは死にませんが、片目が見えないと少しばかり不便でしょうな。

 わかりました。カイル様の言うとおり、お仲間の命は保証しましょう。もちろん、あなたがおとなしくしている間は、ですが」


「リディ、頼む。落ち着いてくれ。オレも気持ちは同じだ。でも、ルナたちに近づくためには誘いに乗るしかない」


「賢明ですな。さあ、そうと決まればカイル様は私の馬車に乗ってください。そこのエルフは、この薄汚い男を拾ってから私たちについて来ればいいでしょう。ただし、その前に弓を下げてください。いくら温厚な私でも、弓で脅されるのは気持ちのいいものではありませんからね」


「リディ、言うとおりにしてくれ」


「だって、カイル……」


 気高い戦乙女の表情が、悲しそうな顔に変わった。

 オレの顔がよほど情けなく見えたんだろう。まるで哀れな幼な子でも見るように、リディはゆっくりと弓を下げた。

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