接触

 オレたちは夕方近くになってから、ようやく解放された。

 入国手続きは基本的に午前中しか受けつけない。それから審査をして、普通は三時過ぎには全ての手続きが終わる。今回はかなり異例だ。

 オレたちが建物を出た時には、国境を越える人や馬の列は完全に消えていた。代わりに一台の馬車が、ぽつんと街道の中心に停まっている。


「お出迎えだ。どうする」

 ギースが馬の手綱を引いた。馬がいななき、馬車が停まる。


「さっきも話したとおりだ。人質がいる以上、無視はできない。向こうに話があるなら聞いてやろう」


「全員で降りるか」


「とりあえずオレとギースだけでいい。いつでも馬車を出せるように、シャルはギースの代わりに手綱を頼む。リディは弓を持って待機していてくれ」


「わかったわ」


 幌馬車から飛び降りると、ちょうど向こうの馬車からも人が降りてくるところだった。お互いに歩み寄り、手が届くくらいまで近づいてから同時に止まる。


 オレはその人物を知っていた。

 いや、違う。こいつの正体は人ではない。

 忘れるわけがない。山道で待ち伏せされた時に戦った魔族だ。

 今は太った商人の姿をしているが、本当の姿は全く違う。もっと背が高く、真っ黒な翼まであった。どうやらバクトラでも人間のふりをしているらしい。


「こんにちは。またお会いしましたね」


「またも何も。わざわざそっちから会いに来たんだろう。俺もカイルも忙しいんだ。用事があるならさっさと言え」


「まあまあ、最初からそんなにケンカ腰にならなくてもいいでしょう。私は話をしたいだけです。それに、あなたには興味がありません。用事があるのは隣にいる小さな子どもの方です。

 カイル君、でしたな。調べましたよ。あなたのまわりは信じがたい奇跡で満ちあふれている。視力のない少女の目を回復させ、死病を治し、Sランクのパーティーでも手に負えないサーベルタイガーを倒した。

 普通に考えればあり得ないことです。そのことに私のご主人様が興味を持ちましてね。カイル君を、いやお客様ならカイル様と呼ぶべきでしょう。カイル様を自分の城までご招待するように言いつけられたのです。どうです、来ていただけますか」


「それを、オレがやった証拠があるのか」


「ありますとも。この前にお会いした時、私に一撃を食らわせましたね。あれは間違いなく回復魔法の反転術式でした。バクトラの初代皇帝が使ったと言われている魔法と同じ物です。あなたは恐らく、現代では最高のヒーラーでしょう」


「バクトラの皇帝?」


「あの反転術式は三百年前からあるのですよ。使える者が絶えていただけです。

 カイル様は自分で思っているよりも、はるかに重要な人物なんですよ。どうです、招待を受けていただけますか。私どもの城まで来ていただければ、お近づきのしるしにハーフエルフの娘の方は返して差し上げても構いません。ご主人様も、そう申しておりました」


 それを聞いてギースの目の色が変わった。商人に化けた男に迫ると、襟首をつかんでねじ上げる。

「おいっ、貴様。俺の娘は無事なんだな」


 襟首を持ったギースに吊り上げられ、男の足が浮いた。だが、表情は崩れない。


「乱暴はやめて手を放してください。あの少女はもちろん無事ですよ。ようやく手に入れた貴重な素材を粗末に扱うのは愚か者だけです」


「素材だと」


「そう言えば、あなたが父親でしたね。知っていますか。エルフは気に入った相手としか子どもを作りません。無理矢理に犯しても妊娠しないので、効率の悪い自然交配に頼るしかありません。

 前に牧場のようなものを作ろうとしたことがあるんですが、誰ひとり子を孕むこともなく、そのうちにみんな死んでしまいました。あなたは種馬としてはいい仕事をしたようですね。その点については尊敬いたします」


「キサマ、死にたいのか……」

 ギースは魔族の男を突き飛ばした。完全に逆上している。


「おい、ギース。待て」


 俺はギースを引っ張って止めようとした。だが、子どもの短い腕ではシャツの裾にも届かない。

 ギースの剣技は一流だ。いつもなら、自分の間合いにいる相手を斬り殺すことなど雑作もない。オレには斬った瞬間の血しぶきまで想像できた。

 だが、ギースの右手は腰の剣に触れる寸前で止まった。やがて、全身をぷるぷると震わせ始める。信じられない物でも見たように眼を剥いたまま、ギースはグフっと息を吐いた。


「ご覧になっていましたね。これは私の正当防衛です」


 ギースの腹には、短剣が深く刺さっていた。魔族の男の右腕だけが黒く変色し、あり得ないほど長く伸びている。その黒い手は刺したばかりの短剣を引き抜くと、まるで伸縮するゴムのように自分の体に戻った。変色していない方の手でポケットからハンカチを出すと、短剣についた血をぬぐう。

 ドサッ。ギースがその場に崩れるように倒れた。その衝撃で砂埃が舞う。


 オレは男の顔を睨みつけた。

 内側からわき上がってくる破壊衝動をギリギリのところで抑える。怒りに任せてはダメだ。こいつを殺したら、ルナにたどり着く手がかりがなくなる。

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