凶行

 ううっ、やばい。

 胃から酸っぱい物が込み上げてくる。


 オレは逃げこむように暗い路地に入った。そして建物の冷たい壁に手をつく。

 う、うぐっ。ぐぅおわぁぁ……。

 そのままオレは胃が裏返るまで吐いた。酔っていてもわかるほどの強烈な悪臭。今のオレにはお似合いの臭いだ。

 感情とは関係ない涙がボロボロ出る。咳き込んだせいか、呼吸が苦しい。酒ばかり飲んでいたせいで、汚物のほとんどが水分だ。


「ザマあないな」

 顔を上げると、そこにテッドがいた。ぶらりと垂らした右手に抜き身の剣を持っている。月明かりを背にしているせいで、表情はよく見えない。


「わざわざ見送りに来てくれたのか」


 テッドは唾をぺっと吐いた。

「おめでたい奴だな。まさか、この剣が見えないわけじゃないだろう。少しは他人の気持ちってものを想像してみろよ」


「気持ち? 少なくともオレは恨まれるようなことをした覚えはないぜ」


「だから偽善者様は困るんだ。俺はおまえがずっと嫌いだったんだよ。せっかく念願のSランクパーティーに入って、ポーションも使いたい放題だと思ったのに。そこにはおまえがいた。ちょっとしたケガなら薬なしでみんな治しちまう。俺はずっとイライラし通しだった」


「なんだ。おまえ、薬物中毒ジャンキーだったのか」

 それにはオレも気づかなかった。

 万能ポーションは、ケガを含めたあらゆる体調不良に効果がある。精神的な依存性はあっても、目立つような後遺症はない。


「俺には、おまえの存在自体が邪魔だったんだよ。ずっと死ねばいいと思ってた。だが、おまえは剣はともかく、素手じゃあバカみたいに強い。その癖、ヒーラーであることにこだわって絶対に前に出て戦わない。これほどふざけた話があるか」


 ああ、そうか。その話か。

 戦士になったらどうだ。ベリオスに、そう勧められたのも二度や三度じゃない。

 だが、剣を持てばヒーラーの仕事はできない。回復魔法には手のひらを使う。素手での戦闘を鍛えたのも、あくまで治療中に襲われた時の用心だ。


「そりゃあ悪かったな。でも、どうせ俺はお払い箱だ。もうそれでいいじゃないか」


「ああ。でも、まだ足りない。おまえを殺せばエリクサーがもらえるんだ。エリクサーだぞ。体が腐ってさえいなけりゃ、死者でも蘇ろうって代物だ。あれを飲んだらどんなにいいか……ふふふ。わかるか」


 テッドの腕の筋肉に、ぐっと力が入った。だが、オレの体はまだふらついている。

 くそっ、なんでこんなに呑んだんだ。

 腰に吊ってあるはずの剣をまさぐったが、そこには何もなかった。たぶん酔っている隙に盗まれたんだろう。武器もないのに本職の戦士に勝てるわけがない。


「誰にそそのかされた」


「さあな。俺には名乗らなかった。だが、想像はつくぜ。世の中から回復魔法を消そうとする連中の誰かだ。遠くないうちにヒーラーは全て殺される」


 逃げろ。逃げろ……。

 だが、足が動かない。その隙に、少しでも距離を取ろうとして突き出した腕をめがけて、テッドの剣が一閃した。鉄の冷たい感触。そして遅れてくる痛みに、俺は両手首を斬り落とされたことを知った。


「う、うわああぁぁぁ」

 痛い、痛い、痛い。

 だがそれよりも、両手を失ったことがオレを絶望させた。

 これで回復魔法は使えない。オレはもう、回復術師ヒーラーじゃない。


「騒いだって誰も来ないぜ。このあたりは、そういう場所だ」

 テッドは斬り落としたオレの手首から、ギルドの識別票のついた金の腕輪を外した。たぶん、殺害を命令した依頼主に渡すつもりだろう。


「懐の金はもらっておくぜ。おまえを殺したのは金品目的の強盗ってことにする。それでもって仕上げは、こいつだ」


 懐から財布をむしり取ってから、テッドは俺の胸を剣で貫いた。

 ゴボッ。剣を引き抜くのと同時に肺から空気が抜けていく。後は血が、湧き上がるように溢れて……。俺は足をもつれさせたまま、石畳の上に崩れ落ちた。


 テッドは血に濡れた剣をオレの服にこすりつけてから、ゆっくりと鞘に戻した。

「まだ息があるのか。それなら、ゆっくりと死んでいく人間の絶望ってやつを味わうがいい。俺も暇じゃないから、見届けてはやらないぜ。死体は朝にでも見つけに来てやる」

 最後にそいつはオレの腹を思い切り踏みつけた。

 ガシャン。瓶の割れる音がしたが、興奮していたテッドはそのまま離れていった。


 オレは死ぬのか……。でも、なぜだ。痛みがすうっと消えていく。

 不思議なことに、まだ意識はある。少なくとも酔いは醒めた。


 そうか。割れたのはポーションの瓶か。だが圧倒的に量が足りない。それなら魔法は、魔法はどうだ。オレは一流のヒーラーだった。他人を回復させる時は、確かに手から魔力を放出する。でも、自分の体ならどうだ。


 オレは知っている限りの治癒魔法を自分にかけようとした。だが、魔力は血液と一緒に手首の切り口から外に漏れ出てしまう。足りない。足りない。足りない……。

 不意に頭の中で、自分を育ててくれた師匠の言葉が蘇った。 


『回復魔法には、まだ知られていない真実ほんとうの価値がある』


 そうだ。発想をひっくり返せ。

 回復魔法は肉体を再生する。逆に回せば肉体を魔力に変えられるはずだ。

 肉を、骨を、魔力に変えて燃やし尽くせ。体が半分になっても生き残ればいい。

 狂気に近い状況の中で、オレは今まで世界で誰も気づかなかった方法で自分の体を組み換え始めていた。

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